
材木座の来迎寺(らいこうじ)です
ミモザの頃に来たときは、ミモザの木は折れてるし、
本堂はブルーシートで覆われて修理中という状況でした。
昨年2010年12月の竜巻の被害だそうですが、見事に復旧されました。

三浦義明とその孫の多々良重春のお墓です。
治承4年、源頼朝の挙兵時、三浦氏は頼朝に援軍を送ろうとしたのですが、
酒匂川の増水で間に合わず、頼朝は石橋山の戦いに負けました。
三浦へ引き返す途中、平家方の畠山重忠との戦いで、多々良重春が戦死。
小坪合戦では勝ったものの、畠山は義明の居城衣笠城を攻めました。
義明は義澄以下一族に安房へ逃れて頼朝と再起を図るように諭し、
自身は衣笠城に籠城、子孫のために捨石となって89歳で戦死しました。
頼朝は義明の17回忌の時、生前尽くしてくれたことに感謝し、
今日まで生きていたものとして「百六つ」と尊称しました。
「鶴は千年、亀は万年、三浦大介(みうらのおおすけ)百六つ」

奥には三浦義明公の家来のお墓が集められてます。
横須賀の満昌寺にもお墓があるそうですが、どうなんでしょう?

きれいに再興なった来迎寺、来年はミモザもがんばれ。

いただいた御朱印、枠に収まらずです。

第15番 円龍山・向福寺(時宗)【聖観音】
材木座の来迎寺もそうですが、本尊は阿弥陀三尊、
観音さまは脇侍として厨子に入ってるそうですが、小さくて見えませんね。

いただいた御朱印です。枠内にリカバリーいただきました。
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