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秩父のギタリスト笹久保伸氏のニューアルバム『 VENUS PENGUIN』リリースツアーが寄居である ★ 、というので行った。
コロナ禍になって以降ライブに行くのは初めてだ!
場所は埼玉県寄居町の アトリエリカ 。 昭和の香りの建物を素敵に使っている。
服のオーダーメイドやリメイクのお店でのライブはこじんまりしている。ワークショップも出来るちょっとした広さの板の間に椅子を並べ 板の間に上る数段の階段を客席にして、土間がステージだ。聴衆は30人程度、生(なま)音が十分行き渡る。
ああなんか旅芸人っぽい。PA(音響システム)なんて要らない。楽器を携えて来れば すぐステージを始められる。これぞ原点。
笹久保氏はギターを3本使った。クラシックギターってストラップがつかないんだね。左足を足台にのせ左腿に滑り止めをのせてその上にギターを構えるのがクラシックギターの流儀なんだな。
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3本のギターはみなチューニングが異なっていた。カポタストを使ったりした曲もあった。左手のポジションと音程ががっちり紐づけされていると逆につらいかも、と鍵盤弾きのわたしは思ってしまった。
世間じゃ絶対音感って誉められますが、まあじっさい便利なときもあるけど、なくても音楽って出来るよなあ。
"絶対"音感 よりも "相対"音感 の方が重要だと思う。
って話がずれたので戻す。
クラシックギターの音色って沁みる。弦を直接さわって音を出すことのうま味を最大限活用できる楽器だと思った。
そっと響かせたりビブラートをかけたりハーモニクスの独特な音色を使ったり、かと思うと激しくかき鳴らしたり、胴を叩く打楽器的な使い方もできるし。
ひとつの音を出すために基本的には左手の指と右手の指の両方を使うから、指1本の鍵盤楽器よりも表現の幅があるんだろうなあ。
ステージで笹久保氏は秩父の消失しそうな古い労働歌をアレンジした曲を演奏したりオリジナルのリリカルな曲を演奏したりペルーの曲を演奏した。
笹久保氏って一体どのジャンルに入れられるんだろう?
若い頃にはクラシックの受賞歴もあるし、バロック音楽を南米からよみがえらせる試行をしたりしているし ★ 、昨年10月に出したアルバムは ハモを重ねるエフェクターを使ったジャズ?サックスのサム・ゲンデル氏との共作だった。★ というように幅広いけれど、笹久保氏のギター根っこはペルーなんだろう。
借り物の音楽じゃダメなんだ、という話を演奏の合間にしていた。それで秩父やアイヌの音楽を引いてきて、そこに思いっきりオリジナリティを加えているんだな。
ミュージシャンって大変だ。
ステージ後半からは サンポーニャ の 青木大輔 氏が加わってペルーの曲も演奏した。
サンポーニャってパンフルートを3段重ねたような楽器で、聴こえるのはほとんど息の擦過音でそこに音程がつく感じ。命を吹き込んでいるようだ。たくさん息を吐いて気が遠くなる、と言っていた。それじゃ高山の現地じゃなおさら大変だ。唾と汗でべたべたになって熱演していた。大変な楽器だと思った。
笹久保氏の音楽はリズミカルというよりはリリカルだ。独奏のときはよいのだが他の楽器と合わせると途端にグルーブの合わないことが耳についてしまう。
具体的にいえば4拍子の4拍目裏が迷子になっている。拍子というのはなにより1拍目が重要だ。1拍目が等間隔に繰り返されてそれを毎回予測できることで安心して曲にノることが出来る。ちょっとだけずれさせて予想を外すことで面白さを出すこともあるけれど、まずはキチンと等間隔。その大事な目印の1拍目がちゃんと来るよという予言が4拍目裏で、勢いづけの重要な役割だ。そこが迷子になってしまうので、聴いていて1拍目を探すのが疲れる。共演者もちょっと困っているように見えた。
演奏技術の幅がとても広いのにノリのつまづきがとても痛かった。
ひとの生演奏を鑑賞するのは本当に久しぶりで楽しかった
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