≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

トーハク特別展『古代メキシコ』に行った。その9(マヤ3 パレンケ2)

2023-08-26 17:27:14 | 展覧会に行った話
トーハク特別展『古代メキシコ』に行った。その8(マヤ2 パレンケ1)よりつづく

マヤ文明といえば不気味な横顔の文字の印象が強い。書くのが面倒臭そうだ。

キャプション。その8(マヤ2 パレンケ1)の冒頭で顔見せしたパカル王が築いた神殿の碑文の一部だそうだ。
西暦にすると647年3月5日を表しているそうだ。西暦じゃなくて直訳だと何と記されているのだろう?



マヤ文字についてのキャプション。ブレまくっていて本当にすみません。
ウィキ マヤ文字 に説明があったが、難しそうだ。解読の歴史はドラマチックなようだ。




デュペの石板。ひょうたんつぎのような顔が見える。


キャプション。西暦にすると654年のことが記されているらしい。




太陽の神殿の北の石板。胸部から上がないが、写実的で端正だ。


キャプション。西暦692年にパカル王の息子キニチ・カン・バフラムがトニナに勝利した祝いではないか、とのこと。




キニチ・アフカルを表す漆喰の文字。


キャプション。西暦722年に即位したキニチ・アフカル・モ・ナフブはパレンケがトニナに対して劣勢になったのを盛り返そうとした、とのこと。トニナとはずっとやりあっていたのだな。

マヤ遺跡探訪 パレンケ遺跡博物館 には、キニチ・アフカル・モ・ナフブが描かれた石板が何枚もアップされている。それ以外もとても充実しているのでおススメです。



書記の石板。今度は頭部も見える。髪型?頭飾り?が特徴的だ。


キャプション。西暦725年頃のものだそうだ。
耳に通された紙の帯は捕虜を表す、ってびっくりした。その8(マヤ2 パレンケ1)でアップした赤の女王の孔雀石の葬送面の耳飾りには細長い筒がささっていたし、パカル王の翡翠の葬送面の耳飾りにはもっと長い棒が刺さっていた。他の土偶などはみな円盤状の耳飾りだったから、死者やそれに準ずると耳飾りもしくは耳に直接長いものを通すのだろうか?




漆喰彫刻。丸い耳飾りはおなじみだが、頬の丸は何なのだろう?


キャプション。西暦でいうと734年だそうだ。トウモロコシ神の息子の英雄、フーン・アハウではないか、とのこと。これは神に数えていいのか?含めるなら6柱目。




96文字の石板。


見やすく描いた図。なるほど、81×2で96文字だ。右から4番目下から3番目の文字は、キニチ・アフカルの漆喰の文字と同じな気もする。なんというか線が多くて難しい。


キャプション。西暦でいうと783年らしい。歴代の王の即位が記されているそうだ。

上方で貼った マヤ遺跡探訪 パレンケ遺跡博物館 のリンク先にはパレンケ歴代王の一覧がある。



道標。何と記されているのだろう?


キャプション。ピンボケですみません。

パレンケの文字についてはここまで。



香炉台。かなり大きい。北米インディアンのトーテムポールを思い出した。
その6(テオティワカン5、サポテカ)でアップしたように、テオティワカンにも派手な香炉台があったなあ。


キャプション。地下の太陽の神だそうだ。7柱目。




香炉台。結ばれた紐のようなものの片方の先がさじのような三つ目のような。何ですかね?


キャプション。鳥の神。8柱目。





    トーハク特別展『古代メキシコ』に行った。その10(マヤ4 トニナ) へつづく




 
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