80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

ワンガリ マータイさん(4)

2017-02-11 11:40:16 | 環境
1,952年マータイさん52歳の時、モイ大統領に再び闘いを挑む。

この頃民主化を求める若者達が不当に逮捕されていた。

マータイさんは彼らの釈放を求めて母親達とともに、水しか口にしない

ハンガーストライキはじめたのだ。そして全員が釈放されるまで

ウフル公園で待つと政府に告げた。女性達が声をあげたのは初めてのこと

不安に駆られる母親達をマータイさんは励まし続けた。

日が立つにつれて、参加者は増えていき、我々は開放を求めると叫びました。

5日目、モイ大統領は警察隊を送り込み、強制排除に乗り出しました。

マータイさんは頭を殴られて意識不明の重態となりました。

其れでもマータイさンは、母親には息子の自由を求める権利があるのですと

母親達を励まし続け、ハンガーストライキはその後も続いて、11ヶ月後、

大統領は全員を釈放しました。 1993年(52歳)


2002年 野党一体となっての総選挙にキバキ氏が勝利第三代大統領に

就任。政権交代が実現しました。24年に及んだモイ政権の崩壊。そして

マータイさんは国会議員に選ばれました。

マータイさん

 ”ケニヤにすばらしいときが訪れました。24年にわたり苦闘と困難と

 敗北、投獄と暴力と屈辱が続いた。それでも、決意と粘り強さと希望を

 忘れなかった。私達は自信を持ってこ宣言した。ケニヤを変えた。

 民主主義を取り戻した。”

新政権が誕生した後もケニヤには多くの問題があった。 ケニヤには40

以上もの民族が暮らしていた。

その民族間で争いが起きた。原因の一つは森林の伐採による土地の荒廃だった。

彼らは水源地や緑豊かなところをめぐって、争いを繰り返すようになった。

この頃民族紛争はケニヤだけでなくアフリカ各地で起こっていた。

マータイさん

 ”資源が枯渇したため、人々はそれを奪いあい、殺してまでそれを独占して、

 紛争が起きているのです。ごく限られた人たちが資源を握る一方で、貧困の

 中にあって資源を使う手立てもなく資源にアクセスすら出来ない人がいる。

 そんな状態がなくならない限り平和は訪れないと、私は思います。”


マータイさんはこうした紛争をなくすためにもグリーンベルト運動が必要で

あると訴え続けたのです。

実際、運動の開始から25年がたち、家事に必要な薪も、家畜の餌となる草も、

そして水源もよみがえりつつあった。

グリーンベルト運動は紛争の防止に役立った。男達の意識が変わった。

男性達は ”わが村の女達はたいした仕事をしたもんだ。”を口々にした。

男性たちのこの言葉を聴いた女性は、普通男性は女性のことを褒めたりしない

ので、嬉しく思いました。男性達も変わっていきました。