80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

白内障

2015-12-27 17:10:50 | 最近の出来事
とある病院で、名前を呼ばれて診察室に入ると、担当の女医さんが、

“あら、あなたが、あの荒武さんの奥さん?”とのたまわった。


“一瀉千里を走る”という言葉が私の脳裏をよぎった。

もう約13年も前の話である。

その病院で、がんの治療を受けていた夫が院内感染の肺炎で急死した。

その直後のことであった。

まだ幾日も立っていないのに、もう病院中の噂になっているのだなあと

びっくりした。

普段あまり病院とご縁がなかった私だったので、夫が入院中に自分の

健康診断をしておこうと思いたち、夫のお世話になっていた内科と、

眼科の検査をお願いしていた。

その時、女医さんは

“私の考えでは、多少の白内障はあるけれど、多分あなたは一生、

 目の手術をしなくていいと思うよとおっしゃったのである。それ以来

 検査の必要はないと思って眼科へ行かないことにしていたのである。



 話がそれるが、夫はその病院で、その約二年前に検査で肝臓に出来た

 ごく初期の癌を発見して頂き、検査中に癌に薬をかけて癌が消滅し

 それから定期的に検査を受け、約一年半は何事も起こらずで、夫は

 その担当医を信頼し、看護婦さんも親切であると、評価していたのだ。

 亡くなる二ヶ月前にまた、同じところに癌らしき物が出来ているから

 と翌月再検査して、結局4月15日に入院し、再度手首からカテーテル

 を入れて、前回と同じ治療をすることになっていたが、その手術の朝

 急に癌の周りにプラスチックを吹きかける治療に変わった。

 場合によっては一ヶ月も高熱が続くという話であったが、夫は四日目

 には平熱になり元気で病院中を歩き周り、担当の先生が、とても喜ば

 れて、もう安心とおっしゃったが、その翌日急に具合が悪くなり,

 次の朝に亡くなった。

 前の晩、夫の部屋に泊まるつもりで簡易ベッドをお願いしたら、4月

 に入ったばかりの看護婦さんが、あわてて、先輩に相談にいき、

 ここは、完全看護だからお引き取りくださいということで帰宅を

 余儀なくされたのである。

 夫は其の日、僕は今夜死ぬといっていたのであるが、それほど具合が

 悪いとも思えなかったが、夫の言葉が気になって泊ろうとしていたの

 である。万が一と思って着の身着のままで寝たら朝5時過ぎに電話が

 かかり、息子と飛んでいったら、夫の意識はもうなかったようであった。

 ベッドの横を叩くと反応すると言われたが、そんな気配は全くなく、

 それから心電図をとりますだの、レントゲンを取るがそのためには注射を

 しなければいけないだのといわれて、其の後夫は寝台車で運ばれていったが、

 すぐに呼びに来られて、いってみたら、夫の体中にチアノーゼが出来ていて、

 それを見て、私は愕然とした。

 20分は心臓マッサージをしていますといわれたが、夫が連れて行かれてから

 物の5分位で呼ばれていった気がして、なんとも解せなかったが、何の証拠も

 なく、いくら私がわめいても夫が息を吹き返すわけもなく、今は生きている

 先生や看護婦さんの方が大事ではないかと思うしかなかったのである。

 私が騒げば夕べ私が簡易ベッドをお願いした看護婦さんは4月に入ったばかり

 の新人さんで、まだ3週間にしか立っていない。きっと精神的に何らかの

 ダメージを受けてしまうかもしれない。

 先生だって、一生懸命やってくださったのに、週末の休みは必要なはず。

 人手が足りないから、誰も来てくれなかったのだろう。もしここで私が何か

 言ったら、医師不足、看護婦不足の事態はもっと悪化してしまうと思った。
 
 隣のベッドの方のお話では、夫はベルを押して看護婦さんを呼んだが、来ない

 ので、苦しい息の中、何とか這って廊下に出て、しばらくもがいて・・・だった

 とか。夫が、苦しみながら、廊下を這っていった様子が想像されて、可哀想で

 たまらなかったし、苦しかったがじっと心の中で耐えるほかはなかったのである。

 ところで、その後白内障の心配することなく13年目になっていたが、

 入浴中に、目を大きく開いたり、ぐるぐる回しすなどの目の体操をしていたら、
 
 視力がよくなったのか、目めがねを掛けるよりも掛けない方がよく見える状態

 になって、以前使っていためがねを取り出したりしていたが、なんとなくしっくりと

 いかないので、目がねを作り変えるかどうしようか迷っていた。

 ブログを書くときには、めがねをかけずに大体書ける。画数の多い感じだと虫眼鏡で、

 ちゃんと書かれているか確かめたりしていたのであるが、普段だって、目がね要らず

 でなんともないという気がしていたのである。デモ、最近肩が痛くて、マッサージ

 をしても痛くてたまらなくなったので、もしや眼から来ているのではないかと気に

 なって眼科へ行った。立派な白内障だということで、新年早々手術をするように手

 配してあげるということになってしまった。 

 私が85歳まで生きるということは先生の多分想定外だったのかもしれない。

 もっと早くあの世に行っていれば、白内障の手術は要らなかったのである。(笑い)


脳について(1)

2015-12-21 18:59:15 | 最近の出来事
先日、夜中に目が覚め、例によってテレビをつけたところ、

脳科学者達のいろいろな話が面白かったので、その番組の

一部しか見ていないのですが、ちょっとご披露。

NHK の番組よりの抜粋

脳というのは、幼いとき、バイオリンを弾く勉強をしていると、

左脳が発達し、ピアノを習っていると右脳が発達するとか。

ちなみにアインシュタインさんは、子供時代バイオリンをされて

いたので、左脳が普通の人より大きく発達されていたそう。

その番組で、外国の脳科学者達がお手玉をされていたが、お手玉

は記憶力をよくするといわれていた。

たまたま、先日美しい昔の布地を使ったお手つくりの袋入りの

お手玉を4個いただいたので、飾って楽しもうと思っていたの

ですが、早速お手玉遊びをしようと思ってやってみたら、なんと

4個はおろか2個もろくに出来なくてびっくり。

ごく小さい子供の頃、私はあまり近所のお友達がいなかったので、

お手玉遊びをすることが、他のお子さんよりはずっと少なかった

のですがが、それでも、小学校に入ってから、一時期お手玉が

はやって、わたしも夢中になって、なんとか4個迄は出来るよう

になったのですが、他の方は6個でも出来る方が多かったようで、

目下、毎日のように報道されている認知症予防にいいかなあと

思っているところ。?



ごみ捨て

2015-12-14 09:28:08 | 最近の出来事
今朝は燃えるごみの日。


NHKテレビ“あさが来た”を楽しんでから

ゆっくりと立ち上がり、ごみを捨てに行った。

小さなビニール袋入りのごみ2袋と、大きな雑草を

入れた袋を持って、家の前の坂をゆっくりと上っていった。


ふと、気がつくと、上から駆け下りてきたご婦人が、

私のごみを持ってくれようとされていた。

“荒武さん大変だ。言ってくれれば、いつでも持ちますよ”

 っと・・・。

お気持ちは本当に感激して涙が出そうなくらい有難かったが、

でも、お断りした。


“ありがとう。本当にお気持ちは有難いけれど、今が大事なの。

ここで甘えてしまうともう持てなくなってしまう。お気持ちだけ

は有難くいただきます。声を掛けていただくだけでも

とっても元気をいただけるのよ。本当に何時もありがとう。”


この奥さんはとても立派な方で、以前、ゴミ捨て場の前に引越して

来られた方がゴミ捨て場の変更を申出られて、何処にするかで大分

もめたことがあったが、その時に、そのお宅の前でいいととても

気持ちよくおっしゃってくださって、みんなが助かったことが

あった。会長婦人から、ゴミ捨て場を私の家の横にしたいけれど、

そうすると、荒武さんのご門の前になってしまうので、どうかと

聞かれて、両隣がよければ私はいいですと申し上げたのだが、

道路の真ん中に出っ張るのであまりよくないということだったのか、

中々決まらなくて困っていた。 夏になればくさい匂いが出るに

決まっている、大変なことだ。 其れを承知で引き受けてくださっ

たのである。

だから、せめて、ごみ当番のっ時には、お宅の前の木の葉ぐらいは

掃かせていただくと心がけてはいるのだが、忘れてならないことだと

思っている。

私はお子さんがご結婚される時には、何かご近所に声

を掛けて、何かしたいと思っていたのだが、うっかりしているうち

にお子様方、お二人とも独立されてしまって、機を逸してしまった。



デモ、老人の健康って、その日によるのである。

今朝は具合がよくて、持っていけたが、この間の土曜日には

どうにも足が痛くて、本当に往生していたら、嫁さんが、

持っていってくれるというので、本当に助かった。


私の周りにはごみの日ばかりでなく、いろいろと優しい言葉をかけて

くれたり笑顔が魅力的な人々が一杯。本当に何時も有難くて、幸せだ

と思っている。感謝。感激。




思い出になった戦争体験談?

2015-12-11 21:10:57 | 最近の出来事

小学校の6年生になると、2学期の終わりに、日中戦争や

太平洋戦争のことについて、学校の授業で教えられるそうで、

ここ何年かは近くの小学校で、12月8日を中心に戦争体験談を

させて頂いていたのですが、今年はまだ何処からもお話の依頼

がきていないのです。

昨年ある学校に伺った時、私が、そのために伺っていることを

ご存知なかった先生が、私の側に来られて、

“戦争体験談は年をとっているからといって、誰でも出来る

 ことじゃないんです。 今年が最後かもしれません“と、

 おっしゃりながら、私が、今までお話していた張本人だと気づかれて

 ”あら、失礼しました”と、お二人の先生が続けて仰ったのです。

 この学校は熱心でPTAの他にお父さんお母さんが、子供さん方

 の教育に必要なサポートをされているという学校で、お父さんお母さん方

 も本当に気使いがあり、先生方も子供さん方も本当にすばらしくいい学校

 でした。

 一番最初に伺った時には、ある坊ちゃんが、私の話が終わった時に、

 ご自分のノートの切れ端に名前を書いて私にくれたのです。

 “僕は、これからおばあちゃんが言ったように生きていくから見ててね”

 ・・・・と。

 私は今も毎日定期入れに其れを入れてもって歩いています。

 そして、子供さん達の行列が出来、私に自分のノートにサインしてと

 言われたのです。私のサインでいいのと言いながら、嬉しく、サインさせて

 もらいました。

 先生方は感想文を子供さん達に書かせて、其れを綺麗に束ねて、くださいました。

 最初の日にお話したクラスの生徒さんは翌日、わざわざ質問に来てくれました。

 次の年には4年生の担任に変わられた先生が、

 わざわざ私に会いに来てくれました。

 先生が、サプライズして下さった年もありました。

 最初の日にお話したクラスの先生が、三日目に話しに伺った後、態々会いに来て

 くださったので、私が、先生のクラスのお子さん達が待っておられるでしょうから、

 私は一人で行かれますから大丈夫ですとお断りしたのですが、いやいや大丈夫ですよと

、私のコートやら焼夷弾の模型やら荷物などを持ってくださって、優しくゆっくりと

 サポートして、控え室まで連れて行ってくださったのです。

 控え室のドアを開けると、先生のクラスの生徒さん達が、半円形に並んで、私が入って

 いくと、一斉に拍手してくれ、代表の女生徒二人が感謝の言葉と、感想文の一部を読んで

 くれて、綺麗にリボンで飾られた感想文をとじたものを手渡してくれ、全員で校歌と横浜

 市歌を唱ってくれ、みんなで記念写真を撮りました。本当に幸せなときをいただきました。
 
 昨年もある坊ちゃんが、私が背が低いので、私の手が届かない上の方に貼ってあったものを

、はずしたり、いろいろと手伝ってくれましたし、給食をご馳走になった時にも、後のものを

 かたづけに来てくれたりして感激しました。

 本当にお母さん方や先生だけでなく子どもさん方もみなさんとっても優しくて、

 あるクラスの先生が、荒武さんを昇降口までお送りしますから、二列に並んでねと仰ったら、

 わたしの隣りにいたある女のお子さんが急に“レッド カーペット!”と叫んだのです。

 するとその隣にいた男の子さんが、

“はい。はい。”と言って、大きなカーペットを敷く動作をして見せたのです。

 他のお子さんは周りに大勢いた1,2年生の交通整理をしてくれました。

 感激して、私も其れに乗り、“とても歩きよかったよ”と、言ってしまいましたっけ。
 
 校長先生や副校長先生も変わられ、この日のために一年間健康に留意し、準備し続けてきた

 私にとっては淋しい年になりそうです。

焼き大根他

2015-12-01 18:06:19 | 最近の出来事
ふれあいの丘の帰り道、農家の方の出しているお店に立ち寄ったら、

ごま油をかけてつゆの元をかけるといいという声が聞こえてきた。

“え! 何の話?”と、思わず、声を掛けてしまった。

“大根の食べかたよ”というので、教えてもらったのが、以下のもの。

大根を厚さ1センチぐらいの輪切りにし、フライパンで焼く。

油はなくてもいい。蓋をして、蒸し焼きにするが、表裏両面を焼き、

焼き色がつき、くしが刺さるていどでいいとか。

出来上がりにごま油をかけ、火からおろして、

お皿に盛、つゆの元をかけるとおいしいというので、あつ、あつを

いただくのがおいしい。

私はつゆの元を切らしていたので、ごま油とポン酢をかけてみたが、

おいしくいただいた。ごま油は多い目にかけた方がいいかなあという

感じ。

一緒に教えてもらったのが、とまとを湯剥きして、丸のまま、お皿に

持って、寿司酢をかけて、ラップして、電子レンジで3,4分。

甘いのがお好きな方はトップにお砂糖を掛けるといいとか。 

どちらも簡単なものだから、すぐにやってみたが、たまにはこういう

ものも変わっていていいなあと言う感想。

残りの大根で、翌日の朝ごはんにも作りたくなった我、

豚肉を焼いた後のフライパンを洗わずに、大根を焼いたら、おいしかった。

そうそう、私は紫大根でやってみました。

お試しください。