ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

震災とあの日のまちかど 仙台市2011/4/2 

2020-04-08 19:38:56 | ゆるゆる歩き:自然

9年前の4月2日、長町から愛宕橋付近を回り、仙台駅へと歩く。

震災の影響で、長町3丁目付近の道路もでこぼこに傷んでいた。

 

 

大年寺山にある無尽灯廟(伊達家墓所)は、石灯籠がことごとく倒れている。

 

 

海への遠望も、震災前に見た風景とは違う。

 

 

(2011年2月の景色:海辺に濃い緑の帯。)

 

かつて、沿岸には松がびっしりだった。

濃い緑の手前に白っぽく連なる家々が見えていたが、震災後は失われた。

 

 

仙台駅は、修繕のためにシートで覆われていた。

思えば、震災当日からこの頃も、余震が絶えない日々であった。

乗り物の上で暮らしているようだったと、思い出す。

 


9年経った

2020-03-11 18:37:18 | 東北被災地の歩み:仙台

思い出して、何とも言えない気持ちになる日。

東北人は、負けでねよ。

泣いたり笑ったりして、踏ん張ってっちゃ。


  

震災の翌年は、壊れた建物が残っていた荒浜の道。

 

(左に荒浜小学校、手前右にガソリンスタンド。2012年3月21日撮影)

 

今は解体が済み、道路も新しくなって、景色が変わった。

 

(道路が高くなり、荒浜小学校が上だけ見える。ガソリンスタンドは無くなった。)

 

 

荒浜小学校は、震災遺構として当時の様子を展示し伝承。

 


小学校付近の海側にも、住宅の跡が残されている。

これも、保存し公開している震災遺構。

 

 

 

傍に慰霊碑が設けられた。


令和元年の仙台七夕

2019-08-08 18:45:30 | ゆるゆる歩き:町や通り

暑けくに汗かきなげ、吹き流しくぐりて甲夜見歩く。 

 

 

           きよ    かぜやわら     きょうぜん  こ  ひら 

「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き、

   はいご  こう  かお 

蘭は珮後の香を薫らす。」

 

令和元年らしく、年号出典の梅花の歌序文に因んだ飾りあり。

 

 

縁起良く松竹梅の紋様。

 

 

 

始りは清涼殿での乞巧奠の宴。

今では庶民の楽しみであり、華麗な飾りで町を賑わす七夕祭りとなって受け継がれる。

 

(続日本紀や雲図抄に記録がある。参考:戸田市立図書館『古事類苑の引き方』/有識文化研究所『伝統の年中行事』)

 

 
 

被災地いっぱいの笑顔

2019-08-02 22:53:56 | ゆるゆる歩き:町や通り

山元町新浜(しんはま)地区にて、農地いっぱいにひまわりが咲く。

 


ひまわりの後方は、一段高く工事しているのが見える。

奥の建物は清掃センター。

 

今年で2回目のひまわり祭り。

今回は咲くのが遅れて、開催期間を8月4日まで延期。

 

晴れて真夏日となった7月28日に、見頃かもしれないと寄ってみた。

 

坂元駅から、所々にある案内板の矢印に従って進む。

本当にここでいいかと心細くなるが、案内通りに進むと行き当たった。

 

思っていた以上に広い。

ずっと奥までひまわりの笑顔がいっぱいだ。

 

(2019年7月28日撮影:山元町ひまわり祭り)

 

ミツバチもせっせと動き回る。

穏やかで明るい。

 

失った町の息吹が、ふと蘇った気がした。




あの日のまちかど第28景 栗原市

2019-07-29 21:19:03 | ゆるゆる歩き:自然

丁度十年前、この町を訪れた。

 (2009年7月29日撮影:細倉鉱山社宅 旧佐野住宅)

 

震災前まで残っていた昭和の町。

細倉鉱山の長い歴史を語る近代化産業遺産だった。


 

映画の撮影にも使われた。

 

震災後に保存維持が難しくなり、消えてしまった。

実に惜しい。

  

今は、写真をよすがに思い出し懐かしむ。

  

だから、せめて写真に残したいと思うのだ。

今ある身近な風景も、消えて惜しいと思い知る事があるから。