ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

「ひとつぶ堂」(岩出山) :2009年04月19日の食べ歩記

2013-11-24 19:50:17 | 食べ歩記
嬉しい出会いがあった。この町の人々は、隔てがなく気軽に話してくれて親切であった。
仙台から北へ向かい、古川を通り過ぎて、岩出山へと出かけた時のことである。

かつて、家康公が整え、政宗公が入った城や有備館(学問所)がある所だ。
少し古い、懐かしさを感じる建物が多く、こじんまりした町の中に麹屋さんが何軒もあるのに気が付く。
そんな町を眺めつつ、通りを進むと、とても気になるお店を見つけた。

「何屋さんだろう?」 
少し古い建物の、味わいのある建具や窓から少し見える店の中も、こざっぱりとしている。
磨かれた古道具があり、木を活かした温かみのある様子で、とても洒落ているではないか。
       
「喫茶店みたいだけど、違うね。」
店の看板には、「ひとつぶ堂」とある。

その名前から、コーヒー豆を売っているのかと想像したが、それもちょっと違うようだ。
なにしろ、食べ物に目ざとい私の目は、棚の中に、まあるい焼き菓子が可愛らしく鎮座しているのをとらえていたから。

入ってみると、若くてしっかりした明るい女性が、笑顔で奥から出てきた。話しかけると、彼女は仙台で働いた後、故郷に帰ってきてこのお店を開いたと教えてくれた。美術を学び、一方で体に良い食べ物にも興味があって、パン屋を始めたのだそう。 
(HPあり→ http://hitotsubu-do.petit.cc)

そう、「ひとつぶ堂」は、パン屋さんなのだった。
店の端にすえられた、長椅子として使われている木は、彼女が彫って作った物で、もとは大きなアフリカ調の夫婦像が座っていたのだという。

さて、趣のある棚の中には、まるっこくて美味しそうなパンが並んでいる。
丁寧な手作りなので、数に限りがあるため、売切れてしまった物も多かったが、もっとも基本的な味のパンがあった。

ふっくらと可愛らしく、寛いでいるように見える。   

パンの隣には、今回一番に目を引いたマフィンがあり、下にはスコーンもあった。豆乳のマフィンと、全粒粉のスコーンだという。

どちらも卵とバター不使用だとのことだが、食べてみたら、しっとりとして食感が良く、柔らかな甘味でコクもあった。
スコーンはさらに芳ばしく、ほぐれるように、さくさくと音を立てて小気味良い歯ごたえなのも素晴らしい。

パンも、何もつけずにそのまま味わったが、ほんのり甘く、適度な歯応えがあり、酵母の豊かな香りが漂う心地よいパンであった。 

まるっこくて、見ていてもほほえましい姿の「ひとつぶ堂」の品々は、食べていっそう心が穏やかになる素敵なパンと焼き菓子である。

良い物に出会い、良い人に出会い、この日は、またひとつ宮城の魅力を実感した一日であった。 

※追記:震災時、県北は揺れが激しかったので心配しましたが、震災後間もなくに連絡を取った所、無事だとの返信がありました。今も、穏やかな雰囲気の中、丁寧に美味しいパンが作られています。

おもちのきもちの「黒ずんだ」(仙台市若林区) :2009年05月23日の食べ歩記

2013-11-17 19:59:34 | 食べ歩記
広瀬橋から、東方面へ向かうと沖野という地区があり、沖野の南隣には上飯田という地区があって、六郷堀の流れが見える。

六郷堀は、江戸時代に、愛宕堰から東方面の田畑に水を引くために作られた用水路の一部で、上飯田には六郷堀だけでなく二郷堀という分水路も通っている。

広瀬橋の河原町側から、旅立ち稲荷の脇を通って東へ伸びる道路は、上飯田で六郷堀沿いを通る。「井土長町線」とも呼ばれている道だ。

さて、この「井土長町線」を行くと、上飯田3丁目のバス停の手前で、電信柱に気になる広告が付いているのを見つけた。

「黒ずんだ餅」と書かれている。
「黒ずんだって、何だろう。」
「店の名前、おもちのきもち、というのも気になるね。行ってみよう。」
電信柱の広告によると、そこから1キロ先までいくというので、まっすぐ道なりに進んだ。

そのうち、「黒ずんだもち 右」という看板を発見し、道を曲がるとすぐ左手に、あったあった。黒い暖簾と紫の幕を飾った、洒落た店先。  

実はこのお店、昔は米ヶ袋にあった「竹村餅店」が閉じた後、息子さんが昨年新たに起こしたお店なのだそう。
米ヶ袋の「竹村餅店」で、当時作っていたのが「ゆず餅」であり、この味は今でも受け継がれていた。

「ゆず餅」は、柚子餅と書く「ゆべし」のことだが、仙台では柚子よりも手に入りやすかった胡桃が主流で、胡桃のものが「ゆべし」、柚子のものは「ゆず餅」と言ったらしい。

そして、目当ての「黒ずんだ餅」はというと、これこれ、見事な黒だ。  
黒豆が枝豆のずんだに混ぜてある。

さらに竹炭や、餅にも黒米が入っていた。
黒豆によって、豆の匂いが穏やかになり、まろやかでコクのある豆の味はしっかりと味わえた。

もうひとつ、きな粉をまぶした涼しい味わいの「わらび餅」もあり、心地よい食感と黒糖の柔らかな甘味で、大変美味しかった。

「黒ずんだ餅」という奇抜な菓子も素晴らしいが、この店の魅力は、「ゆず餅」のように、ちゃんと昔ながらの味も受け継いでいる事だろう。

この「餅処おもちのきもち」というお店は、伝統の味に新たな発想を加え、調和の取れた新しい菓子を作っている、素敵なお店であった。

※追記:今も洒落た店構えは変わらず、同じ場所で営業しています。時々、百貨店や大型食料品店などでも見かけます。道の駅や高速道SAなどでも販売され、通販も行っています。

気仙沼の「ほやボーヤ」 :2009年12月17日の食べ歩記

2013-11-09 17:49:06 | 食べ歩記
「日が暮れたら、そこで引き返そう」と、連れ合いと海沿いの道を行く。
目指すは気仙沼。松島も石巻も通り過ぎ、歌津も日暮れ前に通過できた。
だが、本吉を過ぎて大谷海岸あたりで日が沈みそう。

大谷海岸から気仙沼までは、もう間近だ。
こうなったら、暮れ六つを期限にして気仙沼に入り、町を少しだけ廻って帰ろうということになった。

夏なら、まだ明るい時間だ。今度は日の長い時季に来ようと言いながら、いよいよ気仙沼に到着。
すっかり黄昏時となり、駅から近い通りで、灯りのついた菓子店が目に付いた。
店先には、「ホヤぼーや」の描かれたのぼりが見える。

さっそく店に入り、ホヤぼーやを連れ帰ることになった。
といっても、大きなホヤぼーやそのものではなく、連れ帰ったのは小さな分身だ。それは、甘くて美味しい。

実は、気仙沼菓子組合が共同開発したお菓子、「ホヤぼーやサブレー」である。
気仙沼市内の加盟店11店で販売している。
今回、寄ったお店は、駅近くの「ガトーしらいし」さん。

「ホヤぼーやサブレー」は、クリームをはさんだもので、クリームには何かが入っている。
だが、クリームに入っているのは、ホヤではない。
甘い香りのパイナップルが入っている。

そう、ホヤが「海のパイナップル」と呼ばれることから、それを洒落てパイナップル入りのクリームをはさんだ、芳ばしいクッキーが作られたのだ。

お店の方が明るく親切に話してくれ、「冷蔵庫で冷やして食べると、歯ごたえがいいよ」と教わった。
マーガリンを使ったサブレーの香りも良く、コクがあって実に美味しい。

サブレの表面にも「ホヤぼーや」が刻印され、にっこり笑いかけていた。
この甘いホヤぼーや君、また連れて帰りたいものだと大変気に入っている。   

※追記
震災で色々大変でしたが、気仙沼駅周辺は津波を免れました。ガトーしらいしさんは、同じ場所で営業しています。
津波被害を受けた所でも、仮設などで営業を再開している店があり、気仙沼の様々な菓子店で、今も「ホヤぼーやサブレ」が作られています。

ガトータカハシ(仙台市五橋):2007年12月07日の食べ歩記

2013-11-04 14:07:54 | 食べ歩記
荒町商店街から五橋へ抜け、東北学院大学の方へ歩くと、十字路の角に古い洋菓子店がある。
ケーキや焼き菓子と、惣菜パンが棚に並んでいて、豪華ではないけれど、素朴な形や色が魅力的だ。

陳列棚の直ぐ後ろが作業場で、いつも おじさんがそこで作り、出来て間もない菓子やパンが並べられる、そういうのが見えるお店である。
我がお気に入りは、シュークリーム。

見た目以上に、重みがある。卵いっぱいのカスタードクリームが、たっぷり入っているのだ。
シューの薄さも厚みも程よくさっくりとし、コクがあって、後味の良い甘さのクリームが実に美味しい。

ケーキやパイも、香り・甘味・コク・食感が程よく調和して、どれも確かな腕で温かみのこもった美味しさだった。

豪華な飾りでなく、楽しんで作っている心も感じられ、その菓子の基本の美味しさが、すうっと口の中に広がって溶けていく。

それは忘れられない味わいで、この素朴な洋菓子も、地域の魅力ある自慢の品だと、私は思っている。 

※追記:おじさんは傘寿に近しというお年のようですが、元気で今も確かな腕で美味しい品々を作り続けております。

長町の「蛸屋」(仙台市) :2008年07月18日の食べ歩記

2013-11-02 15:15:27 | 食べ歩記
昔の長町駅は、戦争当時に兵隊さんを見送った場所でもあった。
祖母も、ここから手を振って夫を見送ったと、ぽつりと話してくれたことがある。
今は、駅舎も変わり場所も少し移動した。

そこは広い交差点になっていて、その交差点の角に、趣ある和菓子屋さんがある。
「蛸屋」さんだ。
夏、涼やかで喉越しの良い菓子が並んでいたので買って来た。
葛まんじゅうである。      

葛であんを包んであり、みずみずしく滑らかで、美味しい。
お店の方と、ちらっと話をし、この店は昔、長町3丁目にあった「蛸屋」から暖簾わけした店だと聞いている。

太白区街づくり推進協議会の冊子を見ると、何と、もとの「蛸屋」さんは、元禄時代創業の老舗であったと記載されている。

名物は、「東餡餅(あずまあんもち)」だったそうだが、日露戦争の時に出生軍の前途が良好であるようにと、「全勝餅」と改名したそうで、今もその名で作られている。

個人的に気に入っているのは、きんつばだ。長方形で羊羹を思わせる姿と、しっとりとした味わい。

※追記:震災の2週間くらい後には再開していました。震災で内壁に亀裂の入った建物は多く、この店も同様だったものの、主要な部分は問題なかったようです。
再開当初は、大福が並んでいたように記憶しています。(記憶違いでなければ)
震災から間もない頃、商店の再開はもちろん、甘くてお腹も満たされる菓子を町で見かけた時、ほっとしたのを思い出します。