ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

震災の年の仙台市:4月14日諏訪神社

2018-02-16 18:40:16 | 東北被災地の歩み:仙台

長町駅の東側に、郡山という地区がある。

郡山遺跡と呼ばれる、古代の大和朝廷による官衙(かんが:役所)が置かれていた場所だ。

多賀城造営前は、ここが陸奥国の拠点だったという。


この南方に諏訪神社がある。

年の初めには初詣、正月と小正月の狭間にはどんと祭にとお参りした。

震災から1か月ちょっと、境内の桜が咲いているかもしれぬと訪ねてみた。


参道を前にして、あっと思った。

鳥居がない。


なんと、階段の脇に、折れた石の柱と笠木や貫が置かれていた。

震災で壊れてしまったのだ。

 

 

参道の階段を上った境内には、社殿の手前左に大きなカエルの石像、右側には桜の木々。

桜は、美しい微笑みをたたえていた。


町のあちこちに見える震災の傷。

その中で咲き始めた桜。

厳しい冬を越して咲いた桜が、人々を和やかにし、楽しませてくれる。

 


震災の年の仙台市:4月7日南小泉~薬師堂~榴岡

2018-02-13 13:03:31 | 東北被災地の歩み:仙台

長町から南小泉に出てからは、道端で営業中の八百屋さんの前を東へ進む。

そこは、少林神社(わかばやしじんじゃ)前の通りで、そのまま進むと宮城の萩大通りに出る。

大通りで北に進み、大和町2丁目交差点を左に曲がって、陸奥国分寺薬師堂に続く通りを進む。


通りかかった趣味用品の店の前に、ゴジラが伝言板を持って佇んでいた。


陸奥国分寺薬師堂に着くと、参道でも境内でも、大きな石灯籠が崩れ落ちていた。


地震の傷跡もあるが、境内には、蕾が紅色になった桜でいっぱい。

ソメイヨシノより少し早咲きの桜なので、エドヒガンだろうか。

もうじき咲きそうな桜の枝を見て、心が弾む。


桜は蕾だが、木々の間に咲く紅色の花を見かける。

紅梅が美しく咲いていた。


国分寺から北へ向かうと、やがて球場が見えてくる。

外野側から表へ回って、宮城野大通りに出る。


街路で、一際明るい植栽が目を引く。

黄色いヒュウガミズキが、いっぱい咲いていた。


通りを進むと、白い鳥が集まっているみたいな街路樹もある。

モクレンの蕾も、もうじき咲きそう。


そこここに漂う春の息吹に、元気が出る。


震災の年の仙台市:4月7日長町~文化町~南小泉

2018-02-10 16:58:23 | 東北被災地の歩み:仙台

卯月に入って1週間もすると、そろそろ桜が咲かないかと待ち遠しくなる仙台。

弥生の末には東京で桜が咲き始めたが、仙台はどうかと思いながら町を歩く。

広瀬橋に出ると、橋には地震の傷跡があった。

橋のたもとにある大きな桜は、まだ青いが大分膨らんできた。

 

広瀬橋を渡って、河原町から八軒小路や南染師町辺りを通り、七郷堀沿いを行く。

文化町の東橋に差し掛かると、堀には水が無い。

田植えの頃から稲刈り前には通水するが、まだ水無しの時季。

堀内は綺麗で、清掃がなされている様子。


文化町を堀に沿って横切り、南小泉に出た。

道端で八百屋さんが店開き。

どうやら、店の中が使えず店の前で営業している様子。

 


震災の年の仙台市:4月3日と8日長町

2018-02-08 19:16:17 | 東北被災地の歩み:仙台

4月3日 震災から23日目

仙台市内は、電気・水道・ガスの復旧が進み、必要なものも買える様になったし、ゴミの回収もあり、だいぶん落ち着いてきた。

だが、水道は流れればそれで終わりではないし、ゴミも集積所に出せば終わりではない。
下水処理場の復旧まで、いつも以上に節水し、処理の負担を考えて普段よりもゴミを減量するなど、市民みんなの協力が必要。

特別なことではなく、誰もが出来る当たり前のことをしっかりやるのも、再生への努力であり支援の一つと思う。


仮設住宅の建設も始まっているが、受け入れ側の地域も「共に生活を立て直す仲間」として交流するよう、町内会などで準備しておきたいものだ。

他県から、外国からも、様々な支援がなされている。
その「外からの支援」と、我々が暮らしを立て直すという「内からの力」とで、再生が成されていく。

 

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4月8日 もうじき、大地震から1ヶ月


町の中を歩いて歩いて、底が減り、所々が切れかかった靴と別れ、新しい靴を買う。


このところ出歩けば、明るい兆しの一つと思い、復旧の様子や春の勢いを実感する様子を見つけて写真を撮っている。

町には沈丁花の香りが漂っているが、長町駅の東口の植栽でも、白い沈丁花が微笑んでいた。 

道端の草地には、つくしも顔を出している。


      
買い物に行くついでに、町を少し綺麗にと思い、道端のゴミを拾いに出る。

だが、「買い物ついで」というのは甘かった。一度、いっぱいになった袋を持って帰宅し、出直す。   

一番多かったのはタバコの吸殻。
  


汗だくになり、腰も痛くてため息をついたが、一瞬にして目の前が明るくなる出来事もあった。

ゴミを拾っている最中、通りがかりの長身の青年が
「お疲れ様です」と、声を掛けてくれた。

その一言で、心温まる。


こんな、ちょっとした思いやりと、その積み重ねが大切なのだと実感。

一人一人の、小さな行いが積み重なって、町を再生する力になるのだと思う。


今を生きる我々に必要なのは、「道の先に、明るさを見つけて進めるようにすること」ではないか。

支援、政策、そうしたものも全て、道の先に明るさを見出してこそ活きるものと考える。


夜11:50過ぎ、大きな地震。

仙台駅から北側が停電した。こちらは停電なし。


震災の年の仙台市:4月2日大年寺~仙台駅

2018-02-05 17:33:56 | 東北被災地の歩み:仙台

越路から門前へ出て、山門をくぐって長い階段を上り大年寺へ。

頂上は、花木と鳥が集まる穏やかな場所で、奥に伊達家墓所もある。

墓所は、あの日の地震によって、整然と並んでいた石灯籠が、みな崩れ落ちていた。


悲しみや不安と、安堵や奮闘の入り混じる町の空気。


眼下に町を望む丘陵で、温かい眼差しを向けるかのように梅が咲いていた。

 

再び門前へ下りれば、街路樹のハナノキが枝を赤く彩っている。

赤い小花が、枝の先に寄り集まって咲く姿は、大勢が精一杯に励ましの拍手をしているみたいだった。


門前から愛宕橋を渡って五橋方面へ出る。

荒町小学校の敷地には工事車両や自衛隊車両が待機していた。


NTTビル前では、ビルの下が囲われて通行止めになっている。


仙台駅は、すっぽりとシートで覆われ、修復工事の最中。


駅前のクリスロード商店街には、頭上に「私たちは負けない」という言葉が掲げられていた。