ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

東北の冬の風物詩

2017-12-15 21:22:47 | 今昔あれこれ
今年も、旧友からりんごが届いた。

東北ではこの時季、隣近所でもりんごが届き、配達のお兄さんとも「毎年恒例だね」「車の中もりんごいっぱいすよ」などと会話したものだ。

だが、今年は関東のマンションで受け取り、こっちでは重ならぬかと、さっそく隣にも配ってきた。
一応、「迷惑でなかったら」と前置きしたが、お隣さんたちは一様に笑顔で喜んでくれて嬉しかった。
 

 
箱には、黄色りんごと赤りんごとが、紅白のごとく並んでいる。
今年は、黄色りんごの方が甘みも香りも強かった。

今夏は曇天や雨での低温、秋に台風も多かったから、農家さんは苦労したろうと思う。
それでも、昨年と変わらぬ立派なりんごを目にし、安堵したり感心したりだ。
 

旧友よ、いつもありがとう。ご馳走様。

仙台市若林区荒浜:2012年3月21日の記録

2017-12-15 15:54:38 | 東北被災地の歩み:仙台

しばらく、通行止めだった仙台市の荒浜。

1年経って、ようやく足を向けた。


かつては、家が立ち並んでいた。海岸を、木々がいっぱいに縁取っていた。(震災前2010年11月撮影)


近くに大きな公園もあったし、熱帯植物のある大温室と、バラ園などを設けた園芸施設もあった。



周辺には、よく手入れされた田畑があって、平野の続く穏やかな地域だった。


冬の田んぼにはハクチョウが来て、

(2010年12月下飯田辺り)


初夏には水と早苗の輝く田んぼにサギが来ていた。

(2009年5月撮影)


人々は海と山からの風をよみ、田畑を作り、漁をする暮らしがそこにあった。


今(2012年)は、建物の跡だけがある。


砕けた建物のかけらが、まるで堤のように積まれている。



再建する場所があるものの、まだ整地も終わらない場所もあるのが現状。


砕けた町を見るたびに切なくなる。




たくさんたくさん失った。

いっぱいいっぱい人々が涙を流した。


それでも私らは生きている。

動いて、食べて、笑うこともあって、明日へと繋いでいく。


生きるのは大変だ。

辛いことも多いもの。

けれども、小さな喜びも、人と分け合う嬉しさも知る。



今日より明日は良くなる、そういう気持ちになれることが大事だ。

だから、今日も明日も、輝きを探す。

一歩一歩、踏みしめながら。


去年の今頃は、町中の傷を見ながら、花の咲く春を待っていた。

今も、おんなじ。


この頃、ばっけが顔を出しているのを見つけ、嬉しくなる。



一昨日の夜遅くには、窓際で誰かがポテトチップスを食べているみたいな音がして、見れば水気の多い雪が窓に当たっていた。

それでも、春の日差しはふりそそぎ、天人唐草の小さな青い花が笑っている。


もうじき梅が咲くだろう。ひと月後には桜も。


そうしたら、花を見よう。

空を仰ごう。

鮮やかな春が、人にも勢いを分けてくれるはずだから。


震災後の仙台:2012年6月の記録

2017-12-15 13:36:22 | 東北被災地の歩み:仙台

仙台駅から南に、広瀬川にかかる宮沢橋を渡ると、丘陵地が見える。

さらに宮沢橋から伸びる通りを行くと、やがて右手に山門も見えてくる。

そこは大年寺だ。


この丘陵の上に行くと、伊達家の墓所があり、その周りは町を望める公園となっている。

また、その一角に空に向かってそびえたつ鉄塔がある。


この鉄塔は、仙台放送の送信塔だ。夜には灯りで照らされる。

震災後、しばし点灯を休んだり、時間を遅らせて点灯時間を短くしたりしていたが、ついに照明を節電用に取り替える工事を行った。


そして、2012年6月末頃、いよいよ新しくなって点灯したのだった。

これが、とても美しい。

回り燈篭のように、灯りが色を変えながら回り、目にした人々を和ませる。





震災で多くの命が失われたが、その御魂を鎮め、町の復興を願って、新たな灯りを点すことになったのだという。


「綺麗だ」と思った時、心は和み、励まされる。 

夜空に浮かぶ鉄塔の灯りは、町の人々を見守り、元気付けている。

この鉄塔は、2012年7月1日~16日に名称を公募し、その後『仙台スカイキャンドル』と名がついた。



陸前高田4:2012年6月12日の記録

2017-12-14 14:38:55 | 東北被災地の歩み:岩手

未来商店街から、再び高田松原方面へと戻る道すがら、未来商店街から然程離れていない所にも、仮設の商店がある。

「木村屋菓子店」や、酒と和雑貨の「いわ井」、蕎麦の「やぶ屋」が並んでいる。


「いわ井」さんには、風呂敷や酒器などの雑貨の他、地域の製作者の作品や、地場の酒の「酔仙」が置いてある。 

その中に、吟味した岩手産の材料で造る「酔仙・オール岩手」があったのでひとつ求めた。


岩手の米、岩手の水、南部杜氏の伝統の技で造られた酒だ。

 

米の良さ、水の良さを活かし、コクはあるがまろやかで、香りと後味が爽やかな純米酒だった。


隣の「木村屋」さんには、 昔ながらの「がんずき」や「ゆべし」の他に、岩手の小麦と小岩井農場のバターを使った焼き菓子がある。


「夢の樹バウム」と名づけられたその菓子は、かつての高田松原と、今は一つだけ残った松の姿を思い描いて作ったものだという。



部屋の空気が一変するかのように、実に芳しいバターの香りが広がる。

表面に薄くかかった、飴になった砂糖蜜が、さくっと歯切れ良い音を立てる。中はしっとりと、程よい甘さと柔らかさだ。 

「夢の樹バウム」が描いた「一本松」は、塩で根を痛めながらも、懸命に生きている。

美しかった松原の浜辺から、爽やかに海風が通る穏やかな町も懐かしい。


あの一本松は、痛みも喜びも知っているだろう。

私らもおんなじ。

時々、ひとりぼっちになったように心細くなることもあるけれど、誰かとどこかで繋がっていて、一緒になって踏ん張っているのだ。


きっと「一本松」は、そんな私らを見守ってくれている。 



陸前高田3:2012年6月12日の記録

2017-12-14 14:34:30 | 東北被災地の歩み:岩手

県立高田病院前の大通りを、北西へさらに進む。

それは、かつて大船渡線の竹駒駅があった辺りにたどり着く道だ。
竹駒駅は、気仙川を遡った津波の被害を受けた。付近は、多くの町の破片で埋まったそうだ。


竹駒駅より手前になるが、スーパーマーケットの「マイヤ滝の里店」がある。

周辺には、仮設での銀行も設置されている。

マイヤの向かいに、「未来商店街」が見えた。

近くで、オオヨシキリの声が聞こえている。

小川が流れ、手作りの看板と橋が架けられた心地よい場所だった。

 

 

被災したが、地元で店を再開したい人の、その思いを汲んで作られた仮設商店だ。


ここに「ブロック808」という飲食店がある。

震災前は駅前の町の中で、市役所からも近い場所にあった。それはあの日、津波で消えた。

それから1年と2ヶ月あまり後に、「未来商店街」で再開したという。


その「ブロック808」で昼餉にする。

 

献立を見ると、野菜を上手に活用したものだった。

地元の野菜を多く使っているらしい。

若い女性が応対してくれたが、とても笑顔が素敵で、明るく気さくに接してくれたのも嬉しい。


出てきた料理も、おかずが豊富だった。

そのどれもが、一つ一つ味付けが違い、工夫がなされていたのが素晴らしい。

ここは、訪れる人が寛げるように仕立ててあるのだなと、作り手の思いが伝わってきた。


こうやって、被災地でつながりを大切にしている人々がいる。

被災しながらも、誰もが、ほっとできるひと時を得られるようにと、励む人がいる。

被災地の風景は切ない。

けれども、訪れる人を和ませて力づけている、そんな輝きもあるのだ.。