ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

震災とあの日のまちかど 仙台市2011/4/2 

2020-04-08 19:38:56 | ゆるゆる歩き:自然

9年前の4月2日、長町から愛宕橋付近を回り、仙台駅へと歩く。

震災の影響で、長町3丁目付近の道路もでこぼこに傷んでいた。

 

 

大年寺山にある無尽灯廟(伊達家墓所)は、石灯籠がことごとく倒れている。

 

 

海への遠望も、震災前に見た風景とは違う。

 

 

(2011年2月の景色:海辺に濃い緑の帯。)

 

かつて、沿岸には松がびっしりだった。

濃い緑の手前に白っぽく連なる家々が見えていたが、震災後は失われた。

 

 

仙台駅は、修繕のためにシートで覆われていた。

思えば、震災当日からこの頃も、余震が絶えない日々であった。

乗り物の上で暮らしているようだったと、思い出す。

 


あの日のまちかど第28景 栗原市

2019-07-29 21:19:03 | ゆるゆる歩き:自然

丁度十年前、この町を訪れた。

 (2009年7月29日撮影:細倉鉱山社宅 旧佐野住宅)

 

震災前まで残っていた昭和の町。

細倉鉱山の長い歴史を語る近代化産業遺産だった。


 

映画の撮影にも使われた。

 

震災後に保存維持が難しくなり、消えてしまった。

実に惜しい。

  

今は、写真をよすがに思い出し懐かしむ。

  

だから、せめて写真に残したいと思うのだ。

今ある身近な風景も、消えて惜しいと思い知る事があるから。

 

 


8年前の空

2019-06-08 15:34:42 | ゆるゆる歩き:自然

 

8年前の今日、震災から約3か月、仙台の空は晴れ。

長町から萩野町辺りまでゆるゆる歩く。 


余震が度々あるも、4月中にライフラインが復旧した仙台は、動揺も静まりつつあった。

一方で、津波犠牲者の葬儀等は日々続き、切なさが入り混じる。

 


萩野町でふと空を見上げると、面白い雲を見つけた。

巻雲が、見事に999の文字。

 

(2011年6月8日15:47撮影   仙台市宮城野区萩野町JR貨物ターミナル付近)

 

まるで空からの伝言のようだ。

 

今は満ちる一歩手前、元気出して努力せよ。

さすれば九頭馬のごとく、万事うまく行くからと。

 


あの日のまちかど第22景 加美町

2019-04-30 20:15:31 | ゆるゆる歩き:自然

今日は節目、平成が終わる卯月の晦日。

その十年前、広々とした農地を通り抜け、薬莱山の麓にいた。

 

 

(2009年4月30日撮影:加美町小野田下北浦)

 

薬莱山へと行く道すがら、小さな水車が見える。

小野田の町を抜けると、視界が開ける農地になり、菜の花が咲く中にそれはあった。

春爛漫。

 

薬莱の土産売り場で産物を買うと、荒沢湿原のちらしを見かける。

薬莱山と船形山の間辺りだ。

水芭蕉が咲いているとのことで寄ってみた。

 

(2009年4月30日撮影 薬莱の荒沢湿原 荒沢自然館周辺)

 

 

そこから、また薬莱山の方へ戻る。

道すがら、ちょっと大滝川の方へ曲がってみると、紅い橋と鳥居があった。


(2009年4月30日撮影 薬莱 大滝神社)


橋のたもとに大滝神社、橋からのぞき込むと、美しい流れが見える。


(2009年4月30日撮影 荒沢の滝)


加美町は、古代遺跡と自然に満ちた場所。

行くたびに、伸びやかになる。


明日から令和。

昭和、平成を経て、三つの時代を生きることになる。

良い日々を積み重ねたい。