ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

生まれ変わる被災地~山元町坂元駅~:2017年3月1日の記録

2017-11-06 18:56:22 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

西側に移設し、高架化された常磐線。

 

坂元駅は、国道6号線近くに設置。

駅前は道路の舗装も新しく、駐輪場も整っている。

 

↓2017年3月1日の坂元駅前

 

高架下から、東側の光景が見える。

↓2017年3月1日駅から東方面

かつては、この方向、左側に見える橋より奥の海寄りに坂元駅があった。

海岸は堤防工事中で、坂元川も河岸工事の最中。

  

新しい坂元駅は、すっきりとした形。

↓2017年3月1日坂元駅

 

かつて、県道120号線を真っ直ぐ進むと、坂元駅があった。

 

↓2012年6月の県道120号線坂元停車場線にて

 

震災後、津波によって駅舎は消えていた。

↓2012年6月の坂元駅前

  

坂元駅のプラットホームに上ると、線路が途切れていた。

北側を見ると、がれきと化した町の破片の山。

 

↓2012年6月

 

南側を見ると、途切れた線路の奥に、被災した中浜小学校。

 

震災前は、温かみのある可愛らしい駅舎があった。

↓2007年11月の坂元駅

 

 

 

これからは、新しい場所の新たな駅舎、新たなプラットホームが、人々の往来を見守る。

↓2017年3月の坂元駅プラットホームにて


生まれ変わる被災地~山元町常磐線沿い:2017年3月の記録~

2017-11-04 16:44:57 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

仙台駅から岩沼駅を抜けると、車窓からの眺めが変わる。

線路が高架化され、高い位置から景色が見えるため、視界が広がった。

 

うっすらと、堤防工事中の海辺が見える。

かつての海岸は、びっしりと緑の松林が縁どっていたのに。

 

↓2007年3月1日

常磐線車窓から海岸方面の眺め(山下~坂元の間)

 

あの日の記録映像を目にしたことがある。


初め、沿岸部の緑の向こうに煙が見えた。

やがて、びっしり並ぶ木々が動いたかと思うと、濁流が姿を現した。濁流は、木々をなぎ倒して押し寄せる。

 

津波の第一波だった。

 

建物が動く。濁流に家々が流されていく。

猛スピードで何台もの車が走り去る・・・

 

今思えば、木々がなぎ倒されている間が、逃げる時を稼ぐ状況だった。

 

濁流はさらに集落へと、じわじわと迫る。

田園地帯は大河のようになり、やがて干潟のようになった。

 

その後、第二波が来る。

今度は、沿岸の木々も住宅も無くなって、高く上がった白波が押し寄せるのが見えた・・・

 

 

現在、常磐線は西側に移設。

山下駅も新しくなった。

 

新しい山下駅前には、スーパーマーケットと薬局ができ、新たな集落作りが進められている。

↓20017年3月1日山下駅ホームから駅前

 

駅の東隣には、建設中の大型建物が見える。

おそらくこれが、建築中の地域交流センターか。

 

↓2017年3月1日山下駅東

 


名産生かす菓子に思いを込めて:作間屋支店2012年12月の記録

2017-11-02 18:45:07 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

かつて、亘理の鳥の海近くで、阿武隈川沿いにあった店だ。

    (↓2008年9月18日撮影:震災前の作間屋支店さん)

あの日、大地震の後に海の水が川を遡り、大きな堤防をも越えて、この店の界隈も壊していった。
作間屋支店さんは残っていたが、店のあった1階は浸水し、中の商品棚も機材も駄目になった。

(↓2011年11月9日撮影)


家族は着の身着のままで逃げおおせたそうだが、生業の基盤だった店を失ったことは、本当に辛かったろう。

各被災地を巡っている中、亘理の鳥の海に行くのに、何度もこの店の前を通った。
そのたびに、店の奥のほうに電球の灯りが見え、中で片づけをしているらしい様子を目にしていた。

ご主人が、何か使えるものはないかと思いながら片づけをしていたそうだ。


店を再開したいという思いは、震災後間もなくからあったようだが、毎日片付けに行く度に、むなしい気持ちになったという。


それでも、負けなかった。

ほとんどが駄目になっていた機材の中に、2つほど修理すれば使えるものがあったという。

知人が声を掛けてくれ、商品を入れる冷蔵棚を譲り受けた。
そして9月、作間屋支店は再び開店したのである。

(↓2012年12月11日撮影)



仙台から阿武隈橋を渡る大きな通りが国道6号線だ。

阿武隈橋からこの通りを南へ進むと、やがて産直販売の「おおくまふれあいセンター」が見えてくる。

この「おおくまふれあいセンター」の向かいに、新たな作間屋支店があった。 

地元の食材を活かした「えんころ餅」は、機材がそろわないためにまだ作られないが、出来ることから一つずつ心を込めて作り出される菓子は、いずれも美味い。

棚に並ぶのは、手土産に適した焼き菓子だった。

実は、「仙台いちご」の銘柄で知られる、宮城県のイチゴ栽培の始まりは、亘理町だという。

宮城県南の亘理町、山元町は温暖な気候でイチゴの栽培が盛んであり、震災前は両町合わせたイチゴが東北一の生産量であった。

亘理と山元はリンゴの栽培も盛んで、収穫される果物を生かした加工品の開発にも力を入れている。


参考:農林水産省「仙台いちごの復活」/宮城県「いちごの生産振興」)

 



再び歩み始めた「作間屋支店」さんは、地元の食材で郷土を表した品を出したいと、まずは亘理の産物であるイチゴとリンゴを使った、「いちごの悠里」「りんごの悠里」という菓子を作っている。


磯恩賜郷倉(山元町):2012年6月27日の記録  

2017-10-30 12:41:00 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

山元町の「水神沼」のほとりには、かつて木造の小屋もあった。

それは「磯恩賜郷倉(いそおんしごうそう」という建物だった。


津波が水神沼にも押し寄せ、郷倉のあった場所は今、土台だけになっている。



「磯恩賜郷倉」は、昭和9年の大冷害の際、昭和天皇からの御下賜金と政府からの補助金で建てられたものらしい。

非常用の米等を貯蔵し、冷害の時にはここから米を出して農家の方々に配分をし、稲作を奨励したという。


津波が来る前は、水神沼に冬の渡り鳥が来て、野鳥が見られる場所だった。

小屋の中は、写真や様々な案内が掲示され、木のぬくもりに包まれた憩いの場所になっていた。

※かつての郷倉①↓(2007年11月22日撮影)

②建物内部↓(2007年11月22日撮影)



③窓の外に見えた水神沼と水鳥(2007年11月22日撮影)


無くなって残念だ。

そこは、自然と共生する山元町の魅力が、じんわりと染みる場所だから。

ぜひ、町の再生の際には、同様の物が再建されることを願っている。


この日、水神沼は静かで穏やかに水面を揺らし、輝かせていた。

沼の傍に出来た大きな水溜りで、イトトンボが飛び回る。

自然は時に恐ろしく厳しいが、命の輝きに満ちて、私らを包み込み力づけてくれる。


磯崎山と水神沼(山元町):2012年6月27日の記録

2017-10-29 13:31:09 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

山元町の海辺には、福島との県境近くに「磯崎山公園」という小高い場所がある。

磯崎山は眺望が良く、海が見渡せる。

藩政時代に、外国船を監視するための「唐船番所」が置かれていたことで知られている。


磯崎山公園へ行くと、海側の丘陵の上に見える東屋が唐船番所跡であった。

今は、上り口の階段辺りは荒れていて、東屋の前にある柵も壊れている。

津波が丘陵を上り、頂上の目の前まで濁流が迫ったそうだ。


磯崎山の脇を、小川が流れている。「赤川」という名だ。

赤川を辿って西へ進むと、沼に突き当たる。これが「水神沼」といい、隣に「水神社」があった。 


津波はここへも押し寄せたらしい。

水神社は、周囲の木々が緩衝になったのか、外観は残っている。ご神体などの中身は運び出されたものか、今は空っぽだ。



沼は静かで、穏やかに水面を揺らし、輝かせている。

「水神沼」は、古くから農業用水として利用され、幾度か起きた干ばつの時にも、枯渇する事がなかったという。


昔話では、大蛇がこの沼の主だったそうだ。


ある時、家族総出で農作業をするため、赤子をエジコに入れて田んぼの端で待たせていたところ、それに大蛇が巻きついたので、驚いて大蛇を退治した。

ところが、大蛇は赤子を守っていただけだったと、後で知る。

そこで、大蛇のために松の木を植え、祠を建てて祀ったという話があった。


その「蛇塚と松」は、水神沼からずっと西の離れた場所にある。


樹齢300年は越えると言われているが、これを植えて蛇塚を作ったのが大條家臣の川名氏だという話だから納得だ。



大條氏が坂元城主となったのが1616年、江戸前期の頃。

坂元城の南側に中山地区があるが、そこに城外武士の住居が、11軒あったらしい。

「蛇塚と松」は、中山の近くで瀧ノ沢と山室の脇、現在の宮城野ゴルフクラブの辺りにある。



察するに、おそらくは大蛇の散った地は水神沼付近で、後になって蛇塚を作ったのは、移り住んだ屋敷近くだったのではあるまいか。


今、磯浜周辺は集落が消え、緑と水の輝きが、震災の傷を和らげるようにそこにある。


水神沼は、その沼底に昔の津波の跡を沈めていたという。

水神社は、磯浜の人々が神輿を担いで、春や夏に祭りをしてきた所だ。

楽しみだった祭り、神輿担ぎの伝統がまた繋げられるよう願っている。