ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

あの日のまちかど第23景 仙台市河原町

2019-05-10 23:07:49 | ゆるゆる歩き:町や通り

震災から約2か月後、8年前の今日は城下南の入り口辺りを通る。

丁切根(仙台で「ちょうぎんね」と呼ぶ)から入り、河原町を古城方面へと進む。

道すがら、めんこいわんこが目に入った。


いるのは、大判焼きやたこ焼きを売っている店先。

昔ながらの店のようだが、店名がない。


「もう焼けた?」と、店の中をうかがっているかのようなわんこ。

おとなしく待っていて、本当にめんこい。


さらに進むと、やがて古城神社が見えてくる。



広瀬川からほど近いこの辺りは、昔、洪水や流域が定まらず難儀していたという。

人々を救おうと、行者が自ら進んで人柱になると願い出た。


生き埋めになった行者は、満願して最期を迎える。

以降、広瀬川は今の流れのように定まり、難儀していた村は肥沃な地となった。


その恩を末永く忘れぬために塚を築き、神々を合わせて祀ったのが、この神社という。

(参考:宮城県神社庁)


わんこの待っていた店は、今は閉めてしまったようだ。

神社は少し修繕したらしいが、今もそこにある。


震災の年、人々を元気づけるかのように多くの商店が踏ん張った。

震災から8年の今は、閉じてしまう店もある。

だが、思い出はこうして、残っている。

 


あの日のまちかど第21景 気仙沼漁港

2019-04-26 20:06:33 | ゆるゆる歩き:町や通り

6年前の今日は、桜雨の気仙沼で、咲き誇る桜を見た。

震災から2年過ぎた、気仙沼の南町付近と漁港を通る。

 

(2013年4月26日撮影:気仙沼漁港 南町付近)

 

漁港対岸の陣山に、桜が明るく浮き出る。

港では、津波で浮桟橋が流され、連絡橋の部分が半分水没したままだった。

 

(2013年4月26日撮影:気仙沼陣山の桜)

 

南町商店街の方へ回ると、解体や片付けで、空き地が増えている。

駐車場所となっている所も、以前は建物があった。

 

商店街の脇は高台の浜見山で、その斜面に見事な桜を見た。

 

(2013年4月26日撮影:気仙沼南町)

 

現在、この辺りは大きく変わろうとしている。

大型施設の形で再開発される計画。

 

従来、ここで暮らしていた商店主が再建できてこそ、本当の再生。

町づくりは、そうした人々の生きる力を引き出すものであってほしい。


あの日のまちかど第18景 気仙沼と唐桑

2019-04-13 19:16:02 | ゆるゆる歩き:町や通り

震災の前年だ。

9年前の今日、金紋両國の看板を掲げた酒店の前を通る。


(2010年4月13日撮影:気仙沼魚町 角星)


唐桑を回って、気仙沼へと出かけた。

この日、唐桑は雨上がりの霧に包まれて幻想的だった。



(2010年4月13日撮影:唐桑 御先神社傍の遊歩道にある八曳)



気仙沼の町には趣のある店が並ぶ。


震災後、津波に流されてしまった。

金紋両國の酒店も、二階だけになって流されていた。

 

(↓2011年12月29日撮影:流され残った角星の二階)


この酒店の屋号は角星。

両國は、陸中(一関)で作り、陸前(気仙沼)で売った酒。

(角星が酒造りを始めた明治の頃、岩手と宮城は陸中と陸前という国だった。よって両国に渡る酒として名付けた。

参考:株式会社角星

 


なんとこの店、震災から5年を経て、復元された。

今また、気仙沼の魚町で往時の面影を残し、輝いている。

 

 


桜巡り帳4頁目:麹町 番町 市ヶ谷

2019-04-05 20:20:08 | ゆるゆる歩き:町や通り

この辺りも、坂道の多い町だ。

千鳥ヶ淵の西側、五味坂から行人坂や東郷坂を通って市ヶ谷駅へ。


五味坂の上に、滝廉太郎の居住地跡の碑があった。

 

 

この時季、武島羽衣の詩と共に美しき調べが思い浮かぶ。

まさに今相応しい歌、『花』(組曲『四季』の第一曲)は、滝廉太郎の作曲だ。



そこから南側に見える下り坂は、袖摺坂。

昔は、行き交う人の袖が触れるほど狭い道だったという。



ここは、桜の木はないが、歌の情景を思い浮かべる桜巡りの一つに数えた。


さらに、途中で番町文人通りに少し入ってから、行人坂へ出る。


行人坂は法眼坂の一部で、昔、斎藤法眼または宅間法眼の屋敷があったことが名の由来だという。


行人は行者や学僧のことで、法眼は僧の階位だが、仏師の宅間法眼が関係するのだろうか。

しかし、ここは旗本屋敷町で宅間上杉氏もおり、様々に混同した説が出ている気がする。



参考:千代田区「千代田区内の坂」/麹町わがまち情報館「連合町会町域案内」・番町文人通り案内/

大石学『坂の町江戸東京を歩く』/やさしいデジタル地図江戸古地図



 

行人坂を下ると、すぐに次の上り坂になる。

これが東郷坂。

 

東郷坂の脇に、東郷元帥記念公園がある。

その名の通り、東郷平八郎邸があった所。


公園内では子供の遊ぶ傍らに、大きく枝を広げた桜が咲いている。


公園を横目に進むと、靖国通りに出る。

市ヶ谷駅近くのこの通りも、沿道に桜がいっぱいだ。





桜巡り帳1頁目:六本木 けやき坂から龍土町美術館通り

2019-03-28 21:53:54 | ゆるゆる歩き:町や通り

桜の花が街を彩り始め、好天で汗ばむ陽気となった三月末の水曜日、桜巡りを楽しむ。


けやき坂通りの突き当りに、中高層建築に囲まれてひっそり鎮座する小さな神社がある。

その名を桜田神社という。



路地のような参道を入ると、段の上の真正面からそれた所に社殿が見える。



段を上がると、奥には小さな庭があって、見上げる程の桜が周囲の建物を覆い隠すように枝を広げていた。

その枝は、淡く紅をさす白っぽい花をたくさんつけている。


始まりは、治承四年に源頼朝の命により祀られたとされる。

当時は、霞山櫻田明神と称して桜田門外に鎮座していたが、江戸初期に当地に遷座したとのこと。


名の由来は、頼朝が奥州平定の御礼として田地を寄進し、その御神田を囲むように桜を植えたことによるという。


今はささやかな佇まいだが、創建の頃は霞山(霞が関)にてさぞ見事な桜田であったろう。


参考:東京都寺社案内「港区西麻布の神社」/東京都神社庁「港区の神社」/港区『麻布地区の旧町名由来一覧』



そこから北の方へと歩を進める。

六本木通りの道すがら、これまた高層建築の隙間に、美しい枝垂桜と山門が見えた。

 

 

光専寺である。

この寺は、二代将軍秀忠公の御台所、お江の葬儀と法事に従事した。

当地は、お江の火葬地であるという。


参考:麻布地区総合支所 麻布を語る会「麻布未来写真館」/東京都寺社案内「港区の寺院」


さらに、六本木交差点を乃木坂方面へと折れる。

東京ミッドタウン前で、龍土町美術館通りに入った。

通りの中央が桜並木になっている。

 

通りの先は国立新美術館と政策研究院。

 

龍土町美術館通りを戻ると、突き当りが東京ミッドタウン。

 

建築物も見事だが、どこもかしこも桜がきれいであった。