ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

閖上名産、新たな姿に(被災地の物づくりと商い):2012年9月2日の記録

2017-10-07 17:04:34 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

素晴らしい。何と見事に再現していることか。

「美味そう」というより、味わいがあって面白い。

「めんこい」と言ってもいい。


閖上名産、「焼きがれい」



・・・の、ストラップ(根付)だ。

閖上さいかい市場内にある、「せとや」さんで販売されている。



この根付は、仮設住宅で閖上のお母さんたちが作った品である。

講座で作り方を教わった後、商品として作り始めたそうだ。


手仕事で商いをし、物づくりが日々の励みになる。


この焼きがれい、ちゃんと裏側は白いのもお見事。

「焼きがれい」というものの、つぶらな瞳で活き活きしているのだ。



最近になって、「閖上の名物を」ということで「焼きがれいの根付」が生み出された。

閖上さいかい市場の限定品である。


昔から、閖上ではカレイがよく獲れたので、上手に加工することを考え、焼きがれいにして行商して歩いたそうだ。


やっぱり、その地域の特色を活かした品はいい。


「焼きがれい」の根付は、ふるさとの味や文化も、津波からの踏ん張りも、見事に伝えてくれるだろう。


岩沼:2012年5月2日の記録

2017-10-07 16:56:24 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

仙台空港の東南辺りに、岩沼市の相の釜という地区がある。

荒浜に近いため、津波の被害が大きかった。


貞山堀を渡る「相の釜橋」の袂に、「相の釜水防倉庫」がある。

水害の時に積む土嚢や、スコップなどの道具が収納されていたが、空っぽの倉庫が橋と共にその地を見守るみたいに静かに建っている。


相の釜橋を渡ると、海沿いに南へと向かい亘理大橋を渡って亘理荒浜に出る道があるのだが、今は震災の片付けのため通行止めになっている。


そのため、相の釜橋から少し西の、いくつかの工場の間を通る岩沼市空港南地区の道から、亘理へと向かう。


道の東側に「いぐね」の跡が見える。

「いぐね」は、民家を樹木で囲んだ屋敷林だが、あの津波にも残ったとは驚きであった。

「いぐね」が残っていることから、この屋敷林が災害による被害を軽減すると考えられる。


周囲は、今の時期に早苗が光っているはずの田んぼであったが、津波の後で作付けの無いままだ。


この辺りは、岩沼市の復興会議で、計画的に丘陵を造成することや、住宅や施設移転のための整備と、集落全体を囲む新たな「コミュニティいぐね」を作るなどの計画が出された。


農地の活用も、被災状況に応じて、場所によっては水田からトマトなどの耐塩性植物の栽培に切り替えるという構想もある。


計画に添うと、地区によっては町割りや農地の区割りが新しくなるので、作付けの無い農地があるのだろう。



あの時、空港南地区の東面に沿って亘理方面に続く道路も、濁流が襲った。

その道では今も、歩道脇の柵が変形したままだ。

相の釜橋や仙台空港から近い、空港南地区には「フジパン」の工場もある。


昨年3月の下旬に、竣工式をするはずだった東北フジパンの工場も津波に遭った。


工場の2階まで真っ黒な水が押し寄せるのを、工場内で仕事をしていた人々が、屋上まで逃げて目の当たりにしたという。


それでも、フジパンは操業を開始してくれた。

昨年10月から工場が稼動し、地元の人々の働く場が一つ守られている。


名取~岩沼:2012年5月2日の記録 

2017-10-07 16:54:48 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

東部道路を越え、航空大学校へ続く道沿いにある川内沢川。

気がつけば、東を向くと仙台空港の滑走路だった。

 


津波の押し寄せた空港は、あの日が幻のように思うほど、今はすっかり復旧している。

だが、滑走路の向こうに、まばらになった松林が見えるのが痛々しい。

 

空港近くには、震災での建物などの破片が、分別しつつ山と積まれているのが見える。

 

 

町の再生構想が出だされる傍ら、まだ解体を待つ建物も残っているのが今の被災地だ。

片付けと平行しながら、新たな部分が作り出されている。


仙台空港:2012年3月21日の記録

2017-10-07 16:47:13 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

あらためて、海に近かったのだなと思う。


海沿いの林がまばらとなり、建物が壊れている景色。
1階は浸水、水が重くのしかかって壊していく怖さを、まだ残されている建物を見て思う。




空港は、物資の輸送にも、町の復旧作業のためにも、いち早く再開させる必要があった。
たくさんの漂流物を片付けるのは、本当に大変な作業だったはず。

けれども、方々からの支援で懸命な作業がなされ、震災から1ヶ月で一部の運行再開、半年たって完全復旧となった。

空港付近は、普段はとても穏やかな場所である。

空港施設も、平成9年に新しくなって開設したもので、設備も建物も綺麗だ。




(道路標示は、撮影の仕方でなく、実際に曲がってしまっている。)


それが一時、土砂を含む海水が押し寄せ、1階はほぼ浸水した。およそ3m浸水。


今は、何と綺麗に戻っていることか。
明るく、美しい空港に戻っていて、ほっとする。

柱に、津波がここまで来たことを記してあった。

1階の広場には、復旧までの歩みや、

 



あちこちからの励ましの寄せ書きなどが展示されていた。

 




寄り添う人々がいると、やっぱり嬉しい。



空港内の店も、1階に新しい店が入ったが、以前のように豊富な品物がそろっている。
通路に出店が置かれるが、そこで久しぶりに嬉しい品と再開した。

相馬の、「香の蔵」さんの味噌漬けである。


震災前は、時々、松川浦を通ってその店に行くことがあった。

店内でたくさん味見ができ、好みの物を選べる、いい店だ。



ここの味噌漬けは、味付けが絶妙だ。しょっぱくならず、素材の味わいに深みを増して旨い。

相馬といえば、松川浦も津波の被害で大変だったが、1年経って海辺もだいぶん片付き、観光を再開する動きがあるそうだ。
あの穏やかで、美しかった松川浦が、一時は酷く悲しい姿になったけれど、傷跡を残しながらも、輝きを取り戻しつつあるらしい。


仙台空港へ行っても、高いところが苦手な自分は、飛行機にはちっとも乗らない。

なのに、ちょいちょい仙台空港へ行く。
飛行機が飛び立つ様は、見ていて爽快だし、並ぶ品々も、郷土の個性を活かそうと工夫されていて面白みがある。

傷跡もあるけれど、仙台空港は明るさを取り戻し、今もなお、復興応援に訪れる人々を迎え、送り出している。


閖上さいかい市場:2012年2月28日の記録

2017-10-06 17:04:02 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

「閖上さいかい市場」では、久しぶりに活気のある売り声を聞いた。

店の人々は、みんな明るく温かく接してくれた。


生きる辛さは、心温まるひと時や、交流の中にある喜びによって癒されることがある。

それを知る人々の、力強い一歩を見た。


閖上から西へ行くと、美田園という所に出るが、その辺りに仮設住宅がある。

近くに、閖上の仮設商店街「閖上さいかい市場」が作られた。

(前年12月に完成し、翌年2月4日に正式に開店。)


閖上の赤貝を目当てに、「マルタ水産」さんに寄る。

聞けば、今は一艘だけ赤貝漁をする船が出ているそうだ。


マルタ水産さんは、閖上の良さや特産物を活かそうと「カレイの閖上干」や「赤貝の塩漬」を作ってきたが、工場は津波で消えた。

しかし、岩沼に仮工場を得て、それらを再び売り出している。


「赤貝の塩漬」も、閖上干と同じく良い塩加減だった。

赤貝の程よく締まった身は、歯切れ良くて、コリコリと音がしそうな歯応えがいい。

旨い東北の酒と良くあう。


その後、「まるしげ」さんで凄いものを見つけた。

「あんきも」だった。 


「買いやすいように、1つ300円でそろえたよ。日本のフォアグラだからね。」とお父さんが話す。

喜んで買ってきた。ポン酢に付けると、滑らかさとコクが引き立ち、いっそう旨くなる。


そして、肉屋の「アイザワ」さんで、メンチカツを買う。

  

大きく、肉の旨味がたっぷりで芳ばしい。


この日の夕餉は、閖上さいかい市場のおかげで豪華であった。


商いを再開して、張り切っている人々の表情には輝きがあった。その背には、震災での色んな事を背負っているのは分っている。だが、踏み出す時の人々は、やはり輝いているのである。


ふるさとの良きものを、再び取り戻して引き継いでいくことは、自信となり喜びももたらす。

それが輝きになるのだろう。


閖上さいかい市場のご馳走で、心もお腹も満ちた。

ありがとう、ごちそうさま。