日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

冬がはじまるよ

2009-12-16 22:30:00 | その他
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連日の雪で、やっと本格的な冬になってきました。

何もかも覆い尽くす雪が大好きです。

やはり雪がないと気分的にシャキッとしません。多からず少なからず、適度にあってくれたほうがいいですね。

ひょんなことから、スノーボードを入手しまして、今年から始めようかと思っています。

基本的に滑るのが好きなので、スキー、クルマ、大学と何でも滑ってきましたが、ついにスノボdebutです。

意外と器用なほうなので、上達も早いかもね・・・なんて思っていると怪我するので慎重に。


写真は一昨年の八甲田。霧氷がキレイ。む~ひょォ~ む~ひょォ~ 橋幸夫はいませんでした。

アイちゃんことEast i-D

2009-12-15 20:20:24 | 鉄道
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昨夜遅くに、アイちゃんことキヤE193系 East i-Dが走った、のかな?。

キヤE193系 East i-Dは、電気・軌道総合試験車。Dが示す通り、非電化区間の検測を受け持つ。

秋田車両センターに配置されているけど、なかなか会う機会が少ないので、写真は無理でもご対面に・・・と思ったけど、風雪が厳しいので諦めました。

色白のお肌に、愛くるしいお顔で好きな電車。でも事業車なので乗れないんだなぁ。

昨日は男鹿に行ってから東能代、五能線を回って青森へ。

明日の朝に帰ってくるらしいけど、東能代は5時53分着・・・。うーん明日も厳しいなぁ。


写真は10月27日、大久保~羽後飯塚間でのアイちゃん。内側のフォグランプみたいなので線路を測定している。

大相撲カレンダー

2009-12-14 22:40:47 | 大相撲
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今年も来ました、大相撲カレンダー。

表紙に毎年風情のあるいい写真を使っているので、楽しみなのであります。
十干十二支が書かれているのも和物フェチにはいいポイントです。中身は・・・、毎年ほぼ一緒です。

今年は櫓と幟。

幟の大きさに決まりは無いようで、大体長さ5.4メートル、幅90センチ。縁起を担いで1場所ごとに新調します。一竿欲しいものです。

国技館にある櫓は16メートル。現在は鉄製ですが、昔はヒノキの丸太を縄で組んでいたそう。
昇り降りはエレベーターです。
櫓太鼓は4種類。寄せ太鼓、一番太鼓、二番太鼓、跳ね太鼓。

寄せ太鼓は昔、相撲会所(協会の前身)でなにか相談事があったとき、親方衆や関取衆を呼び寄せるために打たれました。現在は「清めの太鼓」として土俵祭りで打たれているそうです。

一番太鼓は真夜中の2時か3時頃に打たれていましたが、現在は騒音防止条例で8時ごろに打たれます。
小林一茶の「うす暗き 角力太鼓や 隅田川」はこの情景を詠んだものです。

二番太鼓は一番太鼓が繰り下がった関係で今は打たれていないと聞きます。

跳ね太鼓は相撲が終わると同時に打たれます。相撲が終わり力士やお客さんが場外に散っていく情景を、テンデンバラバラテンデンバラバラと太鼓の音で表現しています。ちなみに千秋楽は打たれません。

現在新年会に向け、鋭意練習中。和太鼓がないので、仕方なくドラムのタムタムでやってます・・・(笑)。

四ツ車大八

2009-12-13 22:35:43 | 大相撲
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毎週日曜日の4時半ごろから、TBSの「JIN-仁-」というドラマが放送されています。
幕末にタイムスリップした脳外科医が器具も技術もない時代に悪戦苦闘するといった内容(初回から見ていないので、推測ですが・・・)で、これがまた面白いのです。

今日の放送は、「を組の辰五郎」が出てくるお話。時代も違うけど「め組の辰五郎」と違うの?と思い調べてみると、幕末の町火消し「新門辰五郎」という実在の人物なんですね。勉強になりました。

そこから本日の連想スタート。め組というと、め組の喧嘩。歌舞伎の「神明恵和合取組」の元になった事件。
文化2年(1805)の春場所、芝神明境内で起こった事件で相撲を見に来た、め組の辰五郎と長次郎、富士松が無銭見物を木戸で咎められ、九竜山が追い返す。同じ境内でやっていた芝居を九竜山が見に行くと先の三人に罵倒され、揉みあいの末、喧嘩に発展。それを聞いた四ツ車が飛び出し、梯子を振り回し大立回りして‐という内容。

この事件の興味深いところが、相撲方の管轄は寺社奉行、火消し方は町奉行に訴え出ると、それに勘定奉行が加わり、三手捌き(三手掛り)になった件。民間の事件に三手捌きはめったにないことであったという。ちなみにこの三奉行に目付、大目付が加わると最高の五手捌きになる。

これにより、富士松と長松は傷が元で獄死、辰五郎と半鐘を鳴らし人足を呼び集めた長吉が江戸追放。九竜山が江戸払い、四ツ車は無罪と相撲側に甘い判決になった。

この事件の主役、四ツ車大八は五城目町出身の力士で、彦兵衛商店(現在の福禄寿酒造)で四ツ車の母親が働いていたという。前は大八という焼酎(かな?)があった気がしますが・・・。
幕内在位9場所、最高位は前頭3枚目と名を留めるほどではないのだが、この事件によって相撲史にその名を刻んでいる。

刎頚の交わり

2009-12-12 14:54:05 | その他
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その友のためなら、たとえ首を切られても悔いないくらいの親しい交際。 ~大辞泉より~

これは私の愛読書「史記」の廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)列伝出典の故事成語。

史記とは、司馬遷が編纂した歴史書。その中の「列伝」は一代で名を馳せた人物をドラマチックに描いたオムニバス集といってもいいかもしれない。

中でもこの廉頗・藺相如列伝が一番の感銘を受けた。

食客だった藺相如は、秦から国の危機を救った功で趙の大臣になり、功績のある大将軍の廉頗より上の地位になった。
その人事に不満の廉頗は「自分は総大将として数々の大功をたてたが、相如は口先だけの働きで俺の上に立った。そんな男の下におかれるのは我慢できない。今度会ったら辱めてやる。」と周囲にいいふれた。

これを聞いた相如は病気と称して廉頗と会わないようにした。
あるとき久しぶりに外出したところ、馬車に乗った廉頗がむこうに見えたので、横道にそれて隠れた。そんな振る舞いを見かねて、家臣一同は暇を乞う。と、相如は「その方たちは、廉頗将軍と秦王のどちらが手ごわいと思う。」「秦王です。」
「その秦王と私は堂々と渡り合った、どうして廉頗将軍を恐れることがあろうか。秦が趙を攻めないのは、廉頗将軍と私がいるからだ。今、二人が争えば秦の思う壺。私が廉頗将軍を避けるのは、私事の争いより国家のほうが大切だからだ。」
これを伝え聞いた廉頗は自分の愚かさに恥じ入り、肌脱ぎになり、いばらの鞭を背負い、心ゆくまでこの鞭で打ちすえてほしいと相如に謝罪した。
こうして二人は心から打ち解けあい、お互いのためにこういったは頸を刎ねられても構わないと思うほどの深い友情を交わした。

というお話。こういった話を読むと止められないんだなぁ。またネタ不足になったらご紹介します。

ロッキード事件の証人喚問で、国際興業社主の小佐野賢治が田中角栄との関係を聞かれた時「刎頚の友」と答えたのも有名な話。ちなみに秋北バスは国際興業のグループ。車体のカラーリングも同じ。