本格的な夏がやってきた。暑さが一週間も続き、最近は
すっかりだれてしまい遠出をしなくなった。
今日は趣向を変えて生きることについての詩を4編+おまけ1篇ほど紹介しよう。
ムラサキウマゴヤシの花言葉は 「人生」
先ずは吉野弘の詩集「消息」のなかの「 I was born 」 からの抜粋
「 父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。
― 蜉蝣という虫はね、生まれてから二,三日で死ぬんだそうだが
それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと、そんな事がひどく
気になった頃があってねー 僕は父を見た。父は続けた。
― 友人にその話をしたら、或る日これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると
口は全く退化して食物をとるのに適さない、胃の腑を開いても入っているのは
空気ばかり。見るとその通りなんだ。ところが卵だけは腹の中にぎっしり充満していて
ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが
咽喉元までこみあげているように見えるのだ。冷たい、光の粒だったね。
私が友人の方を振り向いて、<卵>というと彼も肯いて答えた。<せつなげだね>
そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。
お母さんがお前を生み落してすぐに死なれたのは―
コノテガシワの花言葉は「生涯変らぬ愛」
金子みすずの「こころ」の詩は著作権が失効し、全文を紹介できるのが嬉しい。
「お母様は 大人で大きいけれど
お母様の おこころは小さい
だって、お母さまはいいました。
ちいさい私でいっぱいだって。
私は子供で ちいさいけれど
ちいさい私のこころは大きい。
だって大きいお母様で
まだいっぱいにならないで
いろんな事をおもうから。 」
マツモトセンノウ 花言葉は「二人の秘密」
草野心平の詩集「第百階級」のなかの 「秋の夜の会話」から抜粋
「さむいね ああさむいね
虫がないてるね ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね 土の中はいやだね
……
どこがこんなに切ないんだろうね
腹だろうかね 腹とったら死ぬだろうね
死にたくはないね …… 」
ノカンゾウ(野萱草)には花言葉がたくさんあるが、その中に
「いつも一緒」というのがあった。
吉田一穂(いっすい) の「母」というタイトルの詩
「 ああ麗しい距離(ディスタンス)
常に遠のいていく風景……
悲しみの彼方、母への
捜(さぐ)リ打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ) 」
この詩が収められた『 海の聖母 』という詩集は大正15年に刊行された。
マムシグサの実。因みにマムシグサの花言葉は「壮大な美」なんだとか
おまけは金子光晴の「洗面器」からの抜粋
「 洗面器の中の さびしい音よ
くれてゆく岬(タンジョン)の 雨の碇泊(とまり)
ゆれて 傾いて
疲れたこころに いつまでもはなれぬひびきよ 」
マレー半島を旅をしていた作者が、洗面器をカレー鍋の代わりに使うジャワ人たちや
同じ洗面器にまたがって「しゃぼりしゃぼり」と用を足す広東人の売春婦を見て作ったとあった。
この辺で。