今回は最近知ったこの言葉を紹介してみよう。
これはニューメキシコ州に住むタオス・プエブロ・インディアンの古老の言葉を
アメリカのナンシー・ウッドという作家が聞き書きしたものだ。
そのあとにはこう続く
「生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている
すべての声が、わたしの中で合唱している
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやってきた
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去って行った
今日は死ぬのにもってこいの日だ
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子供たちは、うちに帰ってきた
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ」
ナンシー・ウッドの書いたこの本は1974年にアメリカで出版され以来、
多くの人に読み継がれ、結婚式や追悼式、成人式などで朗読されてきたという。
日本では1995年にメルクマール社からそのまま「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
という題名で出版された。僅か2か月で6刷も出されているので結構売れたのだろうが、
わたしはつい最近まで知らなかった。なおこの本は現在でもアマゾン等で求めることができる。
死は本来忌むべきものではない、輪廻の流れの中でのささやかな祝祭のようなものだ。
死は厭うべきものではなくてある意味生の完成であり、新たな生の誕生でもある。
わたしたちの体を作っている物質が、かつては他の生き物の体であったように、
我々は死によって他の生き物の体の一部となって生まれ変わっていくのだ。
こういったところが本を読んでの私の感想だ。
<以下は付けたし>
奥多摩の御前山に登ってきた。ここはカタクリの山として知られているが、
カタクリの終わった5月下旬は静かな登山を楽しむことができる。
ヤマツツジが緑一色の世界に鮮やかに映えている。
足元には珍しいハンショウヅルの花
コゴメウツギもきれいに咲きだした
白い花穂をつけたフタリシズカ
葉っぱの裏にナナフシの仲間を見つけた
山道をふさぐ倒木
標高が上がってくるとヤマツツジはまだ蕾のままだ
これはカマツカの花。枝が強靭なことから牛殺しともいわれる。
日当たりのよいところで見つけたフデリンドウ
チゴユリ
時折、オオルリが近づいてきて誘いかけるように鳴く
頂上が近くなり、ユキザサの花が目立つようになってきた
大きな葉っぱに一本だけ花茎を延ばし、その先に数輪の星形の白い花を咲かす。
辺りにエゾハルゼミの声が重なり合うように聞こえている。これはその抜け殻だろうか
いつの間に頂上に立っていた。
静かな山行だった。
この辺で。