ベトナム・ホーチミン市で生きる。ふも・ふもまろの足音 buoc chan cua Fumomaro.

ふもまろのひび
Moi ngay cua Fumomaro.
ベトナム・ホーチミンシティの下町から

Nihon de shinuka, Vietnam de shinunoka....

2022年06月26日 14時06分27秒 | 人生
先週、ベトナムの5番目の親戚のおじさんが亡くなりました。

ベトナムにきて何回目のお葬式に参加したのか。

ご挨拶だけは、何回も出向いていますが、

始めから終わりまでは、三人目かな。

おじさんは、67歳でした。

バスの運転手さんで、

自分がベトナムで運転免許を取得して、

初めてベトナムで車を運転した時にも、

一緒に乗って、ベトナムでの運転の仕方を教えてくれた人。

正直、旅行行った時とか、安心して車で寝られたのは、

5番目のおじさんだけ。

おじさんの安全運転指導のおかげで、

私が車を運転するときも、

家族は全員爆睡w


それで思ったことは、

今まではね、死ぬなら、日本で死ぬのがいいのかなと思ってました。

でもね、おじさんのお葬式に参加させて頂いて、

自分は外国人だから、つきっきりじゃなかったけど、

おじさんの知り合いとか、親戚とか、友達とか、

多くの人がお線香をあげにきてくれて、

ベトナムのお葬式だからかもしれなけれど、

もちろん悲しい時間もあるんですよ。

最期の告別式は、本当に哀しい。

でも、それ以外のお通夜は、

会場で笑い声が出たり。

いっつも笑顔だった、おじさん。

人の人生って、お葬式まで表れるのか。。。


それで思ったのは、自分が死ぬときは、

別に日本だろうが、ベトナムだろうが、

拘る必要はないなあって思いました。

誰か送ってくれる人がいるなら、

その場でいいなって思いました。

だから、今まで、悩んでいたことが、

スッキリ消えた気がした機会でした。


ちょうど昨日ぐらいかな、

日本のテレビで、あるNPO法人の人が、

身寄りのない人のケアをする仕事をされていて、

あー、日本もまだ大丈夫だなって思いましたし、

孤独死だからって、騒ぎ立てるのもどうかと思いますし、

だって、その人にとっては、おうちで生きたいんですよ。

たとえ一人であっても。

それは孤独死じゃないだろうってことも感じました。

なんかね、人に迷惑をかけないなら、

自分が思うように生きた方がいいなって思いました。

だって、家族は繋がっているし、

いつかはまた繋がるだろうし。


生きることに、怯える必要ないなって感じた日でした。
ふもまろ






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