「平和記念公園」
平和記念公園には、初日にも少し行ってみていた。
原爆ドームは、ホテルの窓からも見えた。
建物は、思ったよりも小さい印象があった。
しかし、その印象以上に、迫るものもあった。
頭の中では、映像で観ていたものよりも、淡白に感じていたのだが、鼻先に、燻った匂いがしてくる様な頭の部分とは違うところで何かを感じた。
圧倒。と言うのとは違う。
ただ、今、こうして自分が眺めている足元にも眠る人たちがいる。と、強く感じた。
木々が埋められ、緑豊かな平和記念公園。
しかし、ここが、まさに惨状となっていた。
今でも、掘り起こせば遺骨が発見されることも多いらしい。
そういった人たちの犠牲の上に、今の生活があることを、広島の人たちは日々感じながら生きているのだろう。
無意識のうちに。
だから、そういう意識が薄れてしまっている私などより、戦争について。平和について考えている人が多いのかもしれない。
平和記念館に展示されていた被害者の方々が書かれた絵を見て、泣いている人がたくさんいた。
どこの国の方だか分からないが、外国から来た方も、涙を流し、時々、小さく首を横に振りながら、展示物を見ていた。
広島に何故原爆が落とされたのか。
その経緯が簡単に書かれているコーナーがあった。
ドキュメンタリーやら、ノンフィクションドラマなどを見ていた話が出ていたりして、自分の頭の中で、再び納得することや、繋がったことも多かった。
ドイツに何故、原爆を落とさなかったのか。
色々な理由がある。
天候、人種的な問題。
色々なことが絡みあい、結果として広島が被害を受けることになった。
原子爆弾。と言う、兵器の恐ろしさを伝えるのは、日本として大事なことだ。と、改めて思った。
どこの国でも、こういう事は起こらない方がいい。と、個人的には思う。
しかし、たくさんあるパネルの中で、ほんの数枚。
日本自身にも問いかけるパネルがあった。
この辺のことで、色々思うことはある。が、こういうところで書くのは、はばかれる。
自分に自信が持てて、公共性を考えて書けるなら別だけど。
最後まで原爆ドームを写真で撮る気持ちにはなれなかった。
覚悟がないと撮ってはいけない気がした。
伝えたいこと。感じ取りたいこと。
それらがしっかりと自分の中にないままでは撮ってはいけない気がした。
とても、観光気分で、写真に収める気にはなれなかった。
だから、写真は撮らずに還ってきた。
あの重さは、写真に撮らずとも、頭にある。
燻った匂いの正体は、近くで焚かれていた線香の匂いだった。と後になって分かったが、まるで、まだ、その匂いが残っている様に感じた重さ。
圧迫されるような重さ。
次に、行く機会があったら、もう少し正面から見れるようになるのだろうか・・・
戦争。
犠牲者であり加害者
加害者であり犠牲者・・・・・。
平和記念公園には、初日にも少し行ってみていた。
原爆ドームは、ホテルの窓からも見えた。
建物は、思ったよりも小さい印象があった。
しかし、その印象以上に、迫るものもあった。
頭の中では、映像で観ていたものよりも、淡白に感じていたのだが、鼻先に、燻った匂いがしてくる様な頭の部分とは違うところで何かを感じた。
圧倒。と言うのとは違う。
ただ、今、こうして自分が眺めている足元にも眠る人たちがいる。と、強く感じた。
木々が埋められ、緑豊かな平和記念公園。
しかし、ここが、まさに惨状となっていた。
今でも、掘り起こせば遺骨が発見されることも多いらしい。
そういった人たちの犠牲の上に、今の生活があることを、広島の人たちは日々感じながら生きているのだろう。
無意識のうちに。
だから、そういう意識が薄れてしまっている私などより、戦争について。平和について考えている人が多いのかもしれない。
平和記念館に展示されていた被害者の方々が書かれた絵を見て、泣いている人がたくさんいた。
どこの国の方だか分からないが、外国から来た方も、涙を流し、時々、小さく首を横に振りながら、展示物を見ていた。
広島に何故原爆が落とされたのか。
その経緯が簡単に書かれているコーナーがあった。
ドキュメンタリーやら、ノンフィクションドラマなどを見ていた話が出ていたりして、自分の頭の中で、再び納得することや、繋がったことも多かった。
ドイツに何故、原爆を落とさなかったのか。
色々な理由がある。
天候、人種的な問題。
色々なことが絡みあい、結果として広島が被害を受けることになった。
原子爆弾。と言う、兵器の恐ろしさを伝えるのは、日本として大事なことだ。と、改めて思った。
どこの国でも、こういう事は起こらない方がいい。と、個人的には思う。
しかし、たくさんあるパネルの中で、ほんの数枚。
日本自身にも問いかけるパネルがあった。
この辺のことで、色々思うことはある。が、こういうところで書くのは、はばかれる。
自分に自信が持てて、公共性を考えて書けるなら別だけど。
最後まで原爆ドームを写真で撮る気持ちにはなれなかった。
覚悟がないと撮ってはいけない気がした。
伝えたいこと。感じ取りたいこと。
それらがしっかりと自分の中にないままでは撮ってはいけない気がした。
とても、観光気分で、写真に収める気にはなれなかった。
だから、写真は撮らずに還ってきた。
あの重さは、写真に撮らずとも、頭にある。
燻った匂いの正体は、近くで焚かれていた線香の匂いだった。と後になって分かったが、まるで、まだ、その匂いが残っている様に感じた重さ。
圧迫されるような重さ。
次に、行く機会があったら、もう少し正面から見れるようになるのだろうか・・・
戦争。
犠牲者であり加害者
加害者であり犠牲者・・・・・。