なんか最近・・・クドい気がする・・・(笑)<自分
ぐだぐだかんそうぶん。始まり始まり(苦笑)
◆ライフ・オブ・パイ (LIFE OF PI):2D字幕にて@06/02/2013
流れませんでした。<Coldplayさん
映画の途中から「もう絶対に流れないな」と予想はできたけどまたしても予告編のみの使用だったのですな。
掴みきれぬまま終わってしまった映画第?弾になってしまいました(苦笑)
ファンタジックで綺麗な場面(映像)は確かに多かった。しかし、綺麗な映像のおかげで「船酔い」をしてしまった(笑)3Dで観ていたらもっと船酔いしたかもしれない(笑)
映画館を出たあとも少し揺れているような気分だった。
◇ストーリー
カナダ人作家がパイ(家は動物園を経営)という人物の「体験談」を聞きに行く。
パイとその家族はインドからカナダに移住する為に動物園の動物達を連れ船旅に出る。しかし、その旅の途中で船が難破。大海原に放り出されシマウマ・オランウータン・ハイエナ・トラと共に漂流することになってしまう。
そして、彼(と、トラ)だけが生き残った。という「体験談」。
原作があるそうですが、本でも作家とパイの対談形式で書かれているのかは分からない。映画ではところどころに対話が加わりながら物語が進んで行くという形だった。
◇ファンタジーはファンタジー。SFはSF。フィクションはフィクション。と「映画ですから!」と結構割り切れる方なんだけども今回は変なところで割り切れなかった。
それがストーリーに関係のないどうでも良いようなところ(最後になって「あ。そういう例え(または事実)だからそうしたの?」と思うこともあるのはあったけど)だったので、「そんなことはこの映画の中ではどうでも良いことなんだから気にしなくて良いのよ!!」と頭の中で自分に言い聞かせながら見ていた(笑)←雑念だらけ
↓どうでもいいのに気になってしまったところ
ハイエナさんは腐肉も食べるからシマウマさんをそんな風に残したりはしないと思うんだけどなー・・・とか(笑)
ミーアキャットさんは乾燥した草原で生活しているからそういう場所にはいないハズなんだけどなー・・・とか(笑)
「アニマルプラネット」とか「ナショジオ」見過ぎです(笑)
というような雑念は置いておいて・・・
◇宗教観が基本にあるように感じた映画なので、私=無神論者にはなかなか世界観が理解出来なかったのかもしれない。。
主人公:パイは「ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教」それぞれの宗教に興味を持ち、それぞれの神に思いを馳せ、それぞれを信じている。
どれが正しいということではなく、彼自身の中で彼の生き方に必要なこと、彼の生活観に合った部分をそれぞれの宗教から上手くチョイスをしながら。
そういう部分は日本の八百万の神々、神仏習合の発想と通じる部分があるのかな。と思ったものの、無神論者なので世界観を理解するのはなかなか難しい(笑)
宗教的な話が多かった為、ついついそういう観念をベースに映画全体を見てしまいがちになったのが果たして良かったのか悪かったのか・・・
◇漂流の途中で流れついた島
それは海に浮かぶ「浮島」(マングローブ?の島)
その島でパイはミーアキャットの群れと出会う。
島には水もあり、パイはそこで水と休息を得る。
木の上で眠っていたパイが夜に目を覚ますと、昼間、自分が水を飲み、泳いでいた池に魚などの死体や骨が浮かんだり沈んだりしているのを見つける。
その魚たちの屍骸は、パイとリチャード・パーカー(トラの名前)が生きる為に食べた魚たちの屍骸なんだと私は思っていた。
「君達の為に犠牲になった生物たちだよ。でも、彼らは彼らの運命を全うしてここにこうして漂っているんだよ」
と、神的なものが言っているのだと。
島の全景が夜の海に浮かぶと、その島はパイがインドに住んでいた頃に出会った「キリスト」の像(涅槃像的に横たわっているきリスト像。横向きではなく仰向けだった)と同じ形だったので、尚更そう思ったのかもしれない。
この島が現実にしろ幻にしろここにある何かが「生と死」と向き合う場所(または意識の中)なのだと思った。(「シシ神様の森@もののけ姫」???(笑))
しかし、パイの話しによると「昼間は普通の島で池の水は真水だが、夜になると化学反応を起こし生物を殺して食べてしまう島」ということだった。
ふむ。。化学反応か。。ファンタジーっぽくないなぁ・・(笑)
◇もっとファンタジーっぽくない話し
映画の終盤に、パイがトラと漂流していたことを船舶の持ち主であった日本の調査員に話をしている場面が出てくる。
日本の調査員達は到底信じることが出来ず、何が起こったのか事実を話して欲しいと頼む。
するとパイは少し間を置いて話し始める。もう1つの話しを。
本当は、一緒に漂流していたのは動物達ではなく全員人間だったと。
ハイエナ:コック
オランウータン:パイの母親
シマウマ:仏教徒の日本船員
リチャード・パーカー:パイ自身
コックは怪我をした船員を殺して食べ、パイの母親とも争いになりパイの母親を殺してしまう。
そして、コックはパイに殺され食べられる。
どちらの話を信じるのかパイは日本の調査員に問いかける。
一緒に漂流していたのはトラなのか人間なのか。
そしてそれは、もちろん映画を観ている側への問いかけでもある。
◇リチャード・パーカー(トラの名前)
一応、観る前にザっと映画の下調べてはしていた。(この映画を観るべきかどうするべきか、かなり悩んでいたから(笑))
「リチャード・パーカー」は、19世紀に起きた実際の事件に関わった人の名前。
同じように船旅の途中で船が難破し、救命艇で脱出した4人のうちの1人だった。
衰弱をし(多分)一番若かったこともあり多勢に無勢だったのか他3人が生きる残る為に殺害され食べられたしまった人である。
そういう事件があったことはドラマとか他の映画とか(笑)子供の頃に学校でも倫理かなんかの授業で取り上げられていたような気がするので何となく知ってはいた。
でも、食べられてしまった方のお名前までは覚えていないので、調べて行かなければサラっと流していたことでしょう。(その方が単純に観られて良かったかもしれないけど(笑))
(※ついでに、この19世紀の事件が起こる前にエドガー・アラン・ポーが書いた小説に同じようなシチュエーションで、他の船員に食べられてしまう船員の話があり、食べられたしまった船員の名前が「リチャード・パーカー」だったそうである)
この映画では、その殺されてしまった「リチャード・パーカー」が他のものたち(シマウマやオランウータン)を食し最後まで生き延びる。
それが、「輪廻転生」的な宗教観と結びついたりするのかどうなのか。他のものの命を繋いだ彼が、今度は他のものの命に助けられる。
「生と死」はそうして何らかの「死(食べられるもの)」と「生(食べるもの)」が結びついているものということなのか。。
それとも・・・トラとなり生まれ変わったリチャード・パーカーを生かし、森に還したパイは実は・・・「GOD」の象徴なのか???(笑)
だからどんな神を信じようと宗教は自由であり、どの神を信じようと「神」であることは変わらず、ただ神は「想像主」で「生と死」を司る。そういうことが言いたかったのか???
まさかそこに「だから宗教が違うからといって争うのは虚しいことなんだ。生きるというのは、ただ、ひたむきに生きるということに純粋であるべきなのだ」みたいな反戦的なメッセージもあったりするのか?←方向が違うのでは
ううむ。。分からん!!!!!(笑)
◇パイの涙
やっと普通の陸地に辿り着いたパイ。
助けられたパイが何故、涙を流したのか。
助かった喜びではなく、リチャード・パーカーが別れを告げずに森に消えていったことだと彼は言った。
「人生で悲しいことは別れを言えないこと」だと。
それは、とても納得致しました。はい。
◇結果。。。。
どうしよう・・・・・
分からない・・・(笑)
エンドロールを見ながらしょーもないことを考える。
そもそも本当に動物と一緒に船旅に出ていたのか?
とか
あの島で出てきたミーアキャットは何の例えだったんだろう??
宗教的な役割とか神話的な役割があったのか?
例えがないのであれば、何故ミーアキャットにしたんだろう?
可愛いいから??(笑)←そんなに単純で良いのか?
あー。難しい映画は苦手だー!!(笑)
ここまで分からないと「もう1回観た方がいいのかな?」と思うこともあったりするけど・・・無さそうである。
もう1回観ても分からなそうだから(笑)ちゃんと見ていられる自信もないし。。(苦笑)
本が読めたら本を読んでからもう1度行ってみたら良いのかもしれないんだけどねー。
なので分かりやすいところへ!!(笑)
◇レイフ・スポールさん
ここでもお会いしました。
パイの話しを聞くカナダ人作家の役でございました。
最近お見かけした役どころと全然違って「普通」でした。
左:ライフ・オブ・パイ 右:The Shadow Line
個人的にはThe Shadow Lineのイっちゃってる感じが全身から放出されているような雰囲気が結構好きです(笑)
味のある役者さんだな~♪と思ったので次にどんなところで、どんな役で拝見できるのか楽しみになっております☆
<鑑賞日>
06/02/2013
ぐだぐだかんそうぶん。始まり始まり(苦笑)
◆ライフ・オブ・パイ (LIFE OF PI):2D字幕にて@06/02/2013
流れませんでした。<Coldplayさん
映画の途中から「もう絶対に流れないな」と予想はできたけどまたしても予告編のみの使用だったのですな。
掴みきれぬまま終わってしまった映画第?弾になってしまいました(苦笑)
ファンタジックで綺麗な場面(映像)は確かに多かった。しかし、綺麗な映像のおかげで「船酔い」をしてしまった(笑)3Dで観ていたらもっと船酔いしたかもしれない(笑)
映画館を出たあとも少し揺れているような気分だった。
◇ストーリー
カナダ人作家がパイ(家は動物園を経営)という人物の「体験談」を聞きに行く。
パイとその家族はインドからカナダに移住する為に動物園の動物達を連れ船旅に出る。しかし、その旅の途中で船が難破。大海原に放り出されシマウマ・オランウータン・ハイエナ・トラと共に漂流することになってしまう。
そして、彼(と、トラ)だけが生き残った。という「体験談」。
原作があるそうですが、本でも作家とパイの対談形式で書かれているのかは分からない。映画ではところどころに対話が加わりながら物語が進んで行くという形だった。
◇ファンタジーはファンタジー。SFはSF。フィクションはフィクション。と「映画ですから!」と結構割り切れる方なんだけども今回は変なところで割り切れなかった。
それがストーリーに関係のないどうでも良いようなところ(最後になって「あ。そういう例え(または事実)だからそうしたの?」と思うこともあるのはあったけど)だったので、「そんなことはこの映画の中ではどうでも良いことなんだから気にしなくて良いのよ!!」と頭の中で自分に言い聞かせながら見ていた(笑)←雑念だらけ
↓どうでもいいのに気になってしまったところ
ハイエナさんは腐肉も食べるからシマウマさんをそんな風に残したりはしないと思うんだけどなー・・・とか(笑)
ミーアキャットさんは乾燥した草原で生活しているからそういう場所にはいないハズなんだけどなー・・・とか(笑)
「アニマルプラネット」とか「ナショジオ」見過ぎです(笑)
というような雑念は置いておいて・・・
◇宗教観が基本にあるように感じた映画なので、私=無神論者にはなかなか世界観が理解出来なかったのかもしれない。。
主人公:パイは「ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教」それぞれの宗教に興味を持ち、それぞれの神に思いを馳せ、それぞれを信じている。
どれが正しいということではなく、彼自身の中で彼の生き方に必要なこと、彼の生活観に合った部分をそれぞれの宗教から上手くチョイスをしながら。
そういう部分は日本の八百万の神々、神仏習合の発想と通じる部分があるのかな。と思ったものの、無神論者なので世界観を理解するのはなかなか難しい(笑)
宗教的な話が多かった為、ついついそういう観念をベースに映画全体を見てしまいがちになったのが果たして良かったのか悪かったのか・・・
◇漂流の途中で流れついた島
それは海に浮かぶ「浮島」(マングローブ?の島)
その島でパイはミーアキャットの群れと出会う。
島には水もあり、パイはそこで水と休息を得る。
木の上で眠っていたパイが夜に目を覚ますと、昼間、自分が水を飲み、泳いでいた池に魚などの死体や骨が浮かんだり沈んだりしているのを見つける。
その魚たちの屍骸は、パイとリチャード・パーカー(トラの名前)が生きる為に食べた魚たちの屍骸なんだと私は思っていた。
「君達の為に犠牲になった生物たちだよ。でも、彼らは彼らの運命を全うしてここにこうして漂っているんだよ」
と、神的なものが言っているのだと。
島の全景が夜の海に浮かぶと、その島はパイがインドに住んでいた頃に出会った「キリスト」の像(涅槃像的に横たわっているきリスト像。横向きではなく仰向けだった)と同じ形だったので、尚更そう思ったのかもしれない。
この島が現実にしろ幻にしろここにある何かが「生と死」と向き合う場所(または意識の中)なのだと思った。(「シシ神様の森@もののけ姫」???(笑))
しかし、パイの話しによると「昼間は普通の島で池の水は真水だが、夜になると化学反応を起こし生物を殺して食べてしまう島」ということだった。
ふむ。。化学反応か。。ファンタジーっぽくないなぁ・・(笑)
◇もっとファンタジーっぽくない話し
映画の終盤に、パイがトラと漂流していたことを船舶の持ち主であった日本の調査員に話をしている場面が出てくる。
日本の調査員達は到底信じることが出来ず、何が起こったのか事実を話して欲しいと頼む。
するとパイは少し間を置いて話し始める。もう1つの話しを。
本当は、一緒に漂流していたのは動物達ではなく全員人間だったと。
ハイエナ:コック
オランウータン:パイの母親
シマウマ:仏教徒の日本船員
リチャード・パーカー:パイ自身
コックは怪我をした船員を殺して食べ、パイの母親とも争いになりパイの母親を殺してしまう。
そして、コックはパイに殺され食べられる。
どちらの話を信じるのかパイは日本の調査員に問いかける。
一緒に漂流していたのはトラなのか人間なのか。
そしてそれは、もちろん映画を観ている側への問いかけでもある。
◇リチャード・パーカー(トラの名前)
一応、観る前にザっと映画の下調べてはしていた。(この映画を観るべきかどうするべきか、かなり悩んでいたから(笑))
「リチャード・パーカー」は、19世紀に起きた実際の事件に関わった人の名前。
同じように船旅の途中で船が難破し、救命艇で脱出した4人のうちの1人だった。
衰弱をし(多分)一番若かったこともあり多勢に無勢だったのか他3人が生きる残る為に殺害され食べられたしまった人である。
そういう事件があったことはドラマとか他の映画とか(笑)子供の頃に学校でも倫理かなんかの授業で取り上げられていたような気がするので何となく知ってはいた。
でも、食べられてしまった方のお名前までは覚えていないので、調べて行かなければサラっと流していたことでしょう。(その方が単純に観られて良かったかもしれないけど(笑))
(※ついでに、この19世紀の事件が起こる前にエドガー・アラン・ポーが書いた小説に同じようなシチュエーションで、他の船員に食べられてしまう船員の話があり、食べられたしまった船員の名前が「リチャード・パーカー」だったそうである)
この映画では、その殺されてしまった「リチャード・パーカー」が他のものたち(シマウマやオランウータン)を食し最後まで生き延びる。
それが、「輪廻転生」的な宗教観と結びついたりするのかどうなのか。他のものの命を繋いだ彼が、今度は他のものの命に助けられる。
「生と死」はそうして何らかの「死(食べられるもの)」と「生(食べるもの)」が結びついているものということなのか。。
それとも・・・トラとなり生まれ変わったリチャード・パーカーを生かし、森に還したパイは実は・・・「GOD」の象徴なのか???(笑)
だからどんな神を信じようと宗教は自由であり、どの神を信じようと「神」であることは変わらず、ただ神は「想像主」で「生と死」を司る。そういうことが言いたかったのか???
まさかそこに「だから宗教が違うからといって争うのは虚しいことなんだ。生きるというのは、ただ、ひたむきに生きるということに純粋であるべきなのだ」みたいな反戦的なメッセージもあったりするのか?←方向が違うのでは
ううむ。。分からん!!!!!(笑)
◇パイの涙
やっと普通の陸地に辿り着いたパイ。
助けられたパイが何故、涙を流したのか。
助かった喜びではなく、リチャード・パーカーが別れを告げずに森に消えていったことだと彼は言った。
「人生で悲しいことは別れを言えないこと」だと。
それは、とても納得致しました。はい。
◇結果。。。。
どうしよう・・・・・
分からない・・・(笑)
エンドロールを見ながらしょーもないことを考える。
そもそも本当に動物と一緒に船旅に出ていたのか?
とか
あの島で出てきたミーアキャットは何の例えだったんだろう??
宗教的な役割とか神話的な役割があったのか?
例えがないのであれば、何故ミーアキャットにしたんだろう?
可愛いいから??(笑)←そんなに単純で良いのか?
あー。難しい映画は苦手だー!!(笑)
ここまで分からないと「もう1回観た方がいいのかな?」と思うこともあったりするけど・・・無さそうである。
もう1回観ても分からなそうだから(笑)ちゃんと見ていられる自信もないし。。(苦笑)
本が読めたら本を読んでからもう1度行ってみたら良いのかもしれないんだけどねー。
なので分かりやすいところへ!!(笑)
◇レイフ・スポールさん
ここでもお会いしました。
パイの話しを聞くカナダ人作家の役でございました。
最近お見かけした役どころと全然違って「普通」でした。
左:ライフ・オブ・パイ 右:The Shadow Line
個人的にはThe Shadow Lineのイっちゃってる感じが全身から放出されているような雰囲気が結構好きです(笑)
味のある役者さんだな~♪と思ったので次にどんなところで、どんな役で拝見できるのか楽しみになっております☆
<鑑賞日>
06/02/2013