僕の人生の今は何章目ぐらいなんだろう?

昨日に戻りたいと思うよりも、
今日を楽しみ、
明日が待ち遠しいと思える、
そんな人生を送りたい。

反社会活動

2012-07-23 08:46:54 | ヒトの気持ち
約25年前、新卒の頃、就職して直ぐ、
組合の書記をやってくれと先輩に言われた。

たしか新入社員は必ず通る道だみたいな理由だった、
よくある話だ、忘年会の幹事やるみたいなつもりで引き受けた。

一年目の最後の議題が、ある営業局長の収賄、横領に関する事になった。
この局長、相当やり手で社内に敵だらけだった。
多分、本紙、夕刊紙も含めて彼は売上Topだった。

毎日、目黒からタクシーで通勤、会社の側でモーニングを食べる、
誰よりも早く携帯電話を持っていた。

しかし、この局長これらの経費を全て下請けに払わせていた、
最終的に組合の調査でわかったのだが、
目黒のマンションの家賃も所有車も下請けが支払っていた。

その時は疑いもせず「悪い奴だ」そう思った。
組合の書記を続けながらそう思った。

結局その局長は処分を受け、主婦向けタブロイド紙の多摩支局に飛ばされた。

翌年入社二年目のボクにも辞令が出た。
「大阪支局へ移動」だった。

支局での初出社の日
ボクは元気良く挨拶をした、
「東京から来ました!よろしくお願いします!」
誰もがシラケた目をしていた。
ドラマとかでよくある光景だと思い、自分の席に着いた。

上司に呼ばれた。
応接室で話をした。
「キミは何もしなくていいんだ」
「毎日、9:30に来て、17:30に帰ってくれ」
ボクは聞き返した
「仕事しに来ているんです、何故?」
上司は言った
「キミはあの局長を失脚させた、怖い男だ、
私も、局員もみなそう思っている、何かあったら
直ぐに組合の議題にするんだろ?私らには私らの生活があるんだ、
だからキミは『静かにしてて』もらいたい」

今なら、れっきとしたパワハラだ。

誰も友達のいない大阪で幽閉だった。

言われてやった書記だったのに
ソコに署名があったからって・・・

そう言われてみたら、ボクを指名した先輩も、
あの時いた先輩も、
有楽町のガード下で飲み明かした先輩、同僚たちがみんな
『昇進』と『支局強化』言う名の移動になっていた。
理事長だった先輩に連絡した。
彼は、週末に大阪に来てくれた。

経済部の記者だった彼は、社会部に移動し
ペットフードの記事を書いていた。

彼は言った「キミには、すまなかったと思う。」
そして「僕は、GWまでに辞めるつもりだ、あの仲間も何人か辞めると言っている
キミはどうする?」

どうするじゃねぇ、そう思ったが
24歳のボクは何も言えなかった。

幽閉は3年続いた。
毎日暇だった。

だからボクはその時に誓った。

組合には属さない、上司の言うことは半分しか聞かない、
会社の言うことだけ聞こうって。
組織に属するならそうしようと。

今もそう思っている。

その後30歳の手前で唯一信じられる人に出会う、
その人は薩摩の男だった。

暖かく、熱く、力強く、

その人は、2001年までボクに仕事をくれた。
その人が飲むと必ず
「寄らば大樹の蔭ちゆう言葉知っちょいか?」

その後2006年フラフラしてたボクに
「寄るか?もういっど大樹に」と言ってくれた。

こうして拾ってくれる人がいたから
今でもやって来れたんだ。

また大きな波が来る。

焼酎飲みながら相談してみるか。
薩摩の人は何と言うのだろうか。











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