tak shonai’s “Today’s Crack”(今日の一撃)では「アンチ収納論」という面白いテーマで、takさんが語っている。捨てるに捨てられない状況を作り出さないために「きっちりと整理して収納する」ことをあきらめたという話である。
いかにも捨てたくなるような雰囲気を漂わせるというtak式「非収納」術は、目からウロコであった。
しかし、しばらくして「ちょっと待てよ」と思った。
「収納」という行為には、大きく2つの目的があるのではないだろうか。一つはモノの管理、そしてもう一つは空間の管理。
もう少しわかりやすくいうと、「収納」においては、モノの収まり場所を確保することのほかに、モノを格納することによってすっきりした空間を作り出すという目的もあるのではないかということ。
私は生活感のない空間までは望んでいないものの(参考エントリ*)、散らかった状態がデフォルトというのは避けたい。
takさんからは「散らかっているわけではない」と反論されそうだが、少なくとも「捨てたくなるような雰囲気を漂わせる」ことはすっきり感とは別物だろう。
もしかしたら、雑然とした空間が魅力的に映ることもあるので、それを狙っているのかもしれないが、私の場合、原則として整然をデフォルトと考えたい。
私は新居の収納を検討しているとき、きっちりと整理するというより、片付けやすさを念頭に置いていていたような気がする。
我が家には多くの棚があるが、整理された棚ばかりではない。一時避難的に使っている部分もある。つまり、モノを整理するというよりは整然空間を作り出すための収納。
そのあたりに散らばっているものを棚にしまうことで空間はひとまずすっきりする。
こういうことを書いていると、さぞかし収納術に長けているであろうと思うかもしれない。
そういうお方に言っておこう。「人は自分のことは『棚に上げる』ものだ」と。
雑然から整然へと持っていくのが容易にしてあるということは、いとも簡単に整然から雑然へと変化するのだった。そして雑然タイムの長さは・・・・
<余談>
収納に関して↓のような書籍がある。
「近藤典子が建てた家」
立ち読みで申し訳ないのだが、「引き出しの館(やかた)」という印象。
私はとても運用する自信がない。
いかにも捨てたくなるような雰囲気を漂わせるというtak式「非収納」術は、目からウロコであった。
しかし、しばらくして「ちょっと待てよ」と思った。
「収納」という行為には、大きく2つの目的があるのではないだろうか。一つはモノの管理、そしてもう一つは空間の管理。
もう少しわかりやすくいうと、「収納」においては、モノの収まり場所を確保することのほかに、モノを格納することによってすっきりした空間を作り出すという目的もあるのではないかということ。
私は生活感のない空間までは望んでいないものの(参考エントリ*)、散らかった状態がデフォルトというのは避けたい。
takさんからは「散らかっているわけではない」と反論されそうだが、少なくとも「捨てたくなるような雰囲気を漂わせる」ことはすっきり感とは別物だろう。
もしかしたら、雑然とした空間が魅力的に映ることもあるので、それを狙っているのかもしれないが、私の場合、原則として整然をデフォルトと考えたい。
私は新居の収納を検討しているとき、きっちりと整理するというより、片付けやすさを念頭に置いていていたような気がする。
我が家には多くの棚があるが、整理された棚ばかりではない。一時避難的に使っている部分もある。つまり、モノを整理するというよりは整然空間を作り出すための収納。
そのあたりに散らばっているものを棚にしまうことで空間はひとまずすっきりする。
こういうことを書いていると、さぞかし収納術に長けているであろうと思うかもしれない。
そういうお方に言っておこう。「人は自分のことは『棚に上げる』ものだ」と。
雑然から整然へと持っていくのが容易にしてあるということは、いとも簡単に整然から雑然へと変化するのだった。そして雑然タイムの長さは・・・・
<余談>
収納に関して↓のような書籍がある。
「近藤典子が建てた家」
立ち読みで申し訳ないのだが、「引き出しの館(やかた)」という印象。
私はとても運用する自信がない。