Blogを長いこと更新していなかった。自分自身の環境変化もその一因だが、3月11日の東日本大震災のあの津波の映像をみた後、能天気な家語りをするのに抵抗があったのもたしかだ。
あの日から半年が経過したのを機に、その間考えたことをちょっと書いておこうと思う。
大災害を前にしては、個人の家は何も抵抗できない。
津波、原発の放射能漏れ、周囲の液状化に対抗できる家なんて無いのだ。もし対抗できる家があったとしたら、それはシェルターのような家であり、平時にはまったく暮らしにくい家であろう。
その一方、かつてあった平時の家の優劣を決めるような住宅性能差の議論も、些末で些細なことのようにも思える。
「家の中の温度差が不快」なんていうのはなんと贅沢な心象か。そのことに不快感が抑えられないような人は、冷えた体育館で肩寄せあって過ごすことなんてできはしないだろう。
だから、温度差を「不快」なんて強調するのはやめたほうがいい、とあらためて思った。「温度差がない家で快適」というのは否定しないが、逆は「不快」ではない。そのことについて以前、快適でも不快でもないゾーンの大事さを指摘してある(関連エントリ→LINK)。
快適であることは喜ばしいことだけれど、だからといって快適でないことを即不快だと思うことは不幸だ。本当の不快な状況に直面した時、あまりにも弱くなる。
性能の重要度についても考えた。
躯体の頑丈さ、耐震、免震はやっぱり重要なポイントだ。津波には耐えられないとしても、津波が到達せず、家が残りさえすれば、最低でも雨風をしのぐことができる。
電気、ガス、水道などライフラインが断たれた場合の強さはどうだろう。ライフライン(生命線)というくらいだから、長引けば生命にかかわる。
何といっても水の確保が一番大事だ。雨水利用の仕組みがある家はそれを導入してない家にくらべれば多少長く耐えられるかもしれないが、大半の家は結局救援に頼らざるをえない。
水が何とかなったとして、エネルギーとしての電気・ガスが来ないのも深刻だ。
電気、ガスの最も重要な役割は熱源としての存在である。暖房や調理は熱源なしにはできない。ただし、他の熱源を自前で用意することはできなくもない。我が家の床下に多数置いてある炭袋は調湿を目的としているが、非常時の熱源としてある程度は頼りになる。この考え方は以前のエントリ(→LINK)で紹介したが、世間的にはもっと認知されていい性能だと思っている。同様に薪ストーブのある家の薪も有効だろう。プロパンガスの家は、その器具が損傷していなければしばらく安心だ。太陽光発電を導入している家は熱源としてはこころもとないものの、何もないよりはるかに心強い。
電気が断たれているときは、24時間換気の問題が出てくる。高性能な高気密高断熱住宅は換気が命。換気機能がなくなったら、窓を開けるしかない。私自身そんなことは些細な問題にすぎないとは思うが、高気密高断熱でない家の環境をまるで劣悪な環境のような表現をしている人々は大丈夫かしら、なんて思う。何段階も厳しい環境の避難所に避難したとたん、すぐにストレスでまいってしまいそうだ。もし大丈夫であるなら、平時に大げさに言わないでほしいものだ。
作家の曽野綾子が言う。
「基本的、原始的不幸――今日のような衣食住が確保されていない不幸――を体験したことないすべての人は、我々をも含めて、基本的、原始的幸福を発見する技術をもまた見失っているのである」
このたび、残念ながら東北の多くの人が原始的不幸を体験してしまった。逆に言えば、その他の人は家があるという原始的幸福がある。そのことを認識したうえで、被災地の方々に何か手助けになることをしたい。
小さなことに幸せを感じることのできる「幸福力」(→LINK)が重要な意味を持つ時代になってきたとあらためて思う。
確かにあの日以降は家に対する感覚というものが変わってしまった気がします。
家族や自分のために震災への備えもしなくては、といろいろ考えを巡らせたりすることも多いです。
太陽光発電はわが家でも次に備えるべき設備の選択肢の一つになりましたが、細かな備品ではキャンプ
道具を活用することになりそうです。
昨日、わが家で法事があり住職が東北地方へボランティアへ行った時の話をされて、子供たちにも是非
被災地を見てくるといい、というような話をされていました。
私自信も、広島の原爆資料館は一度は見ておかなければと思っていましたが、東北もいつかは訪れるべき
土地になりました。
名前覧を間違えました。
すみません。
たしかにあの震災で、家ってなんだろう、とあらためて考えるきっかけになりました。
当地方では、おそらく自分が生きている間に大地震がくるのではないかと感じています。
最悪、家が無くなることもありうるという覚悟のようなものも必要かもしれないと思いました。
サバイバルな生活への適応力はあるほうだと自分では思っていますが、備えは必要ですね。道具もそうですが心構えも。