自分史を違法建築問題から始めたのは、私が生まれ育った、そして現在も居住する集落、なかんづく近隣との関係は私の精神形成に欠かせないと思うからです。
2項道路は昭和25年に施工されたということで、ずいぶん前からあったのだなと驚かされました。一般に周知させる努力がされなかったために多くの違反が行われ、現在多くのトラブルを抱えているようです。昔の役人は知りたければ自分で調べろという態度でした。親切になったのは最近のことでしょう。
昭和21年11月14日、私が5歳の時、医者であった父が往診途中で急死、家を出ていた腹違いの長男が家族を連れて家に入り込みました。長男相続の明治憲法による権利の主張でした。新憲法は11月3日に交付されていましたが、施行され長男相続が廃止されたのは昭和22年5月でした。たった半年の差で母子4人の運命は過酷なものになりました。
翌年我々母子は家を追い出されたのでした。母の在所で1年暮らし、私の小学校入学に合わせて家に戻ったのですが、家の中に入れてくれるわけもなく、電気も通じていない4畳半ほどの物置に住み込みました。そこから15年ほど、財産相続を巡る母の苦しい戦いが始まったのでした。長男相続の伝統に生きる集落はすべて兄の味方だったようです。
父は日露戦争の軍医でしたから愛国者でした。おそらく敗戦は相当のショックだったでしょう。死ぬ前はアルコール中毒者になっていたようです。
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