近頃はインフルエンザとかノロとかやたらに流行する、それも次々と変異を繰り返しワクチンが追いつかない。僕は一度もワクチンを打ったことがない。手洗いも消毒剤なしで雑なものである。床にこぼれたパンくずなども拾って食べる。床は滅多に掃除しない。飲料水は水道ではなく、畑の野菜程度の細菌のいる井戸水である。それで病気になったこともない。滅菌状態で育てられた現代の子供は弱い。精神もまた。現代夫婦は出生前診断で障害児の生まれる危険を避けるそうだ。人間社会に障害児が存在するのは大切な自然の摂理だろうと僕は思う。その経験は精神を発達させる。そして、逃げるものにはさらなる不幸が襲いかかるだろう。
小学校の同級会が3年に1度くらいの割合である。奇妙なことだが中学の同級会には出ないが小学校のには出るという人もいる。おそらくいい思い出がないのだろう。小学校時代は成績優秀でも、中学ではあまりふるわなかったということもあるのだろう。いじめ大将株だったらしいやつはどちらにも出ない。僕は彼らに対する記憶もほとんどない。
Yくんの両親は教師でキリスト教徒だったらしい。彼にいわせると僕は彼が貸してくれた聖書を一生懸命読んだようだ。神社やお寺にも興味があって、近くに住んでいた祢宜さんを訪問して祝詞のことを聞いたような記憶もある。漫画本も好きだった。あらゆるジャンルの本を読みまくっていたようだ。図書室にもよく通った。美人の先輩が受付にいたりして、羞恥心の塊のような僕は地に足がつかない思いだった。
好奇心、知識欲は旺盛だったのだ。しかし記憶するということが嫌いだった。数学の公式を覚えるのが苦手で、テストでは論理だけで正解を導いた。教師の採点には公式を使ってくださいとあった。僕には1+1=2という公式が理解できなかった。計算ができないわけではなかった。公式の成り立ちが不思議だったのである。おそらく世の中に対する不信感、懐疑心が裏にあったのかもしれない。
中学校の卒業アルバムで見ると明るい顔をしていた。明るい顔をしていたのは見せかけや人に好かれたいからではなかったように思う。そのときそのときを楽しんでいたように思う。どんないやなこともさっさと忘れて前に進むのが僕の生き方だった。忘れることが僕の特技と言ってもいいだろう。
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