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田部康喜 (たべ・こうき)
コラムニスト
福島県会津若松市生まれ。
幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。
朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。
社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。
2012年春に独立、シンクタンク代表。
2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。
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NHKの「調査報道 新世紀File6中国・流出文書を追う」(9月22日)は、中国のサイバーセキュリティ企業・i-SOON社から流出した、577ファイルにもおよぶ大量の文書の正体を取材班が世界をかけて追いかけた、調査報道の傑作である。
この文書は、世界の政府のセキュリティー部門ならず政策の決定の中枢まで、いまも揺さぶっている。
中国が習近平主席のもとで2013年に「情報戦に向けた準備」を呼びかけた。
その後、中国国内のサイバーセキュリティ企業は、最近まで約4000社まで増加して、警察組織の一部ともいえる治安対策を専門とする「公安」や、「軍」と共同で「認知戦」を仕かけている。
■「世界的なニュース」であったi-SOON文書
認知戦とは、対象国のなかの分断の亀裂が入っているテーマについて、
SNSなどを使って分断を大きくする活動である。
そのかたわらで、対象国の国民に中国との関係を深めるように誘導する。
「i-SOON文書」とは、中国の上海に本社を置いていたサイバーセキュリティ会社の名前をとって、そこから何者かによって流出した文書を指している。
文書を発見したのは、台湾のサイバー攻撃対策会社の「TEAM T5」(台北)である。
X(旧Twitter)のなかに謎のアカウント(github.com/I-SOON/I-SOON/)(注:アドレスではiが大文字)をみつけた。
i-SOONの概要を調べたところ、従業員数約130人規模の中小企業だったので当初は重要視しなかった。
しかし、添付されたファイルをみると、この文書が「世界的なニュース」であることがわかってくる。「何者かが情報を外部に漏らすために作成したアカウントだった」と。
サイバー攻撃に使えるツールが多数列挙されていた。
・マイクロソフトやGoogleのメールアドレスに侵入できる
・PCをハッキングしてコントロールが可能にできる
・スマートフォンを遠隔する技術
説明書によれば、ターゲットのiOS(アップルの基本ソフト)からGPS(位置情報)を定期的に獲得できる。
さらにターゲットのiOSシステムの周辺を定期的に録音、傍受できる。
ファイルのなかには、従業員同士のチャットが3年分もあった。
■どんな情報が狙われたのか
さて、この文書は本物なのか。i-SOONが情報を収集していた対象国は、アジアや欧米、アフリカなど20ヵ国を超えていた。
エジプト、フランス、カンボジア、ルワンダ、マレーシア、モンゴル、ネパール、ナイジェリア。そして、日本、台湾も。
ターゲットは政府機関や通信会社である。
文書を発見したTEAM T5は、台湾の国立政治大学がターゲットになっていたことがわかった。
同大学の副教授で、中国によるメディア対策を研究している、黄兆年氏は大学が攻撃対象となった2022年以降、大学のサーバーに対する執拗な攻撃が繰り返されたと証言する。
さらに、自らのPCのメールのログイン履歴を示して、同年から25年にかけて「ログイン不能」の記録が残っていた。
黄氏によると、「教授たちの多くは台湾当局とともに仕事をしています。
メールボックスに侵入されたひとりは、その内容がコピーされたり、ダウンロードされたりした形跡がありました。このような行為は許せません」と。
取材班は、「CZ」と表記されている文書を持って、チェコの首都プラハに飛ぶ。
国会の外交・防衛の委員会に属して、i-SOON文書を調査した国会議員のパベル・フィシェル氏は次のように語る。
「これは欧州連合(EU)理事会の準備文書です。『One-pager』とあるのは、日常的にEUの事務に当たる人の言葉です。
非公式ではありますが、これが本物だという確認を得ました」と。
それは、2年前にチェコ政府が作成した“EU内部文書”だった。
パベル氏は続ける。
「外部からの侵入者が興味を持ちそうな準備文書です。
ロシアによるウクライナ侵攻直後に、ロシアからのエネルギーに対してEUがどのような反応を示していたか理解ができるからです」。
チェコはその年の7月から議長国を務めることになっていてEU理事会における、運輸・通信・エネルギーの議論を主導する立場にあった。
■中国の公安や軍とのつながり
中国の「公安」「軍」とi-SOONをはじめとするサイバーセキュリティ企業はどのようにつながっているのか。
そして、中国外務省の公式記者会見では中国側が否定している。
海外でのハッキングなどの背景は――。
文書を発見したTEAM T5から取材班に「文書のなかから、彼ら(i-SOON)が使用したと思われるIPアドレス(インターネット上の住所)が見つかった」という連絡が入る。
しかも、そのアドレスは過去にチベットのサイバー攻撃に使われていた。
また、中国政府系のハッカーの中間地点にも登場する、という。
さらに、もうひとつのIPアドレスも発見したという。
このアドレスは、TEAM T5のデータベースと照合した結果、中国のハッカー集団に属することが分かった。
アメリカを主に攻撃していた。
この結果は、米政府の報告書とも符合する。
「アメリカ当局は中国政府系のハッカーが“treadstone”という悪意あるプログラムによって攻撃したと指摘しています。
この文書からもi-SOONがこの技術を提供したことがわかります」と。
同社のトップで最高経営責任者(CEO)のX氏とNO.2でエンジニアのY氏とのチャットのやり取りからも、中国の「公安」との関係が浮かびあがった。
X 昨日の販売プロジェクトの進捗報告は基本的に全て公安に関するものです。
Y 雲南省の公安当局にミャンマー軍のQB(情報)を紹介したところ、いい値段を提示してくれました。
取材班は、i-SOON社がある上海のビルを訪れる。
会社があった部屋は、もぬけのからで机に並んだPCが部屋のガラス越しに見えるだけだ。
管理人によると、従業員たちが警察に捕まって営業ができない状態だという。
■社会の分断を引き起こす
中国が仕掛けている「認知戦」は、どのような影響を各国に与えているのか。
アメリカ・バージニア州にあるセキュリティー会社・マンディアントのチーフアナリストである、ジョン・ハルクイスト氏は、人種差別や銃規制の問題など、アメリカが抱える問題に中国がその分断工作をしている、と分析している。
「標的とする国に楔を打ち込むような問題を見つけて攻撃しています。
(中国が)目指すのは政府やメディアが伝えることを信じさせずに、むしろ陰謀論や社会が分裂していると信じさせることです。
デジタルを脱して現実を生み出そうとしているのです」と。
台湾で昨年12月に起きた、インド人労働者を移民させることに反対する運動が起きた。この裏にも、中国の「認知戦」があったと推察できる。
事件は大量の個人情報が漏洩した後に発生した。
若い女性を中心として反対の集会が各地で開催された。
集まった理由を聞くと、台湾のSNSである「OCARD」にあふれた投稿だった。
インターネット上の世論操作を分析している調査機関・ダブルシンクラボは、共同研究の結果、ひとつの投稿にたどりついた。
「インドから労働者を受けいれれば、台湾が性暴力の島になる」というものだった。
反対集会の嵐が起きた3週間前にX(旧Twitter)に大量の投稿がなされ、反対運動が起き、それをウェブメディアが伝えた。
複数のサイトで抗議集会の呼びかけが始まる。
同調査機関は、一連の流れが中国による「認知戦」だった可能性が強いとみている。
コメントの一部の用語が台湾では一般的ではなく、中国で使われているのが散見されたからだ。
例えば、「盗難」は対話では使われず、それは中国で一般的である。
台湾では「窃盗」を使う。
日本語訳すると「頭が悪い」は、中国の用語で台湾では使われない。
■処理水放出で起こした「認知戦」
日本を標的にした「認知戦」の代表的な例が、東京電力福島第1原子力発電所(1F)からの処理水の海洋放出に関する、太平洋に広がる様子の動画を使ったフェイクの投稿である。この動画はそもそも原発事故が発生したときに、放射線がどのように広がっていくかのシミュレーションのものだ。
それを処理水と偽ったのである。
調査会社・JNIによると、最初の投稿はi-SOON文書でみつかったX(旧Twitter)のアカウントで、2018年12月から不信な動きを見せていた。
2300回のリポストがなされ、表示件数は約90万回という膨大な数になった。
しかも、拡散にかかわったアカウントの半数は、ポッド・アカウントつまり人を装っているが実態はプログラムで動いているものだ。
カナダのジャーナリスト・グレアム・ウッド氏から「認知戦にかかわっている軍の幹部が分かった」という情報が、取材班に入った。
「彼は中国の軍事アカデミーに20年以上所属している高位の軍人です。3年前にカナダに移住した戦略支援部隊の元中佐です」と。
この部隊は、「認知戦」を担っている。
「現代そして未来の戦争において、情報化は人民解放軍の改革の要です。いまの西側諸国と中国との根本には、価値観やイデオロギーの隔たりがあります。そこで『認知戦』が重要になるのです。
現在を正確に理解するなら、戦争はすでに始まっていて、ただ目の前でミサイルが発射されていないだけなのです」と。
■すでにサイバー空間で戦争は始まっている
日本も連携している「NATOサイバー防衛協力センター」において、演習プログラム担当のエイドリアン・ヴェネブルス博士は次のように語る。
「現在のサイバー空間では、平時と戦争の区別がありません。
スマートフォンなどでネットにつながっているすべての人がこの脅威を自覚すべきです。
サイバーセキュリティは専門家のものではなくすべての人に求められるのです」
アメリカ大統領選挙において、中国とロシアによる「認知戦」が明らかになっている。
日本はどうか。総選挙ばかりではない。「認知戦」に対応する組織、人材は十分だろうか。人々の認識も新たな“戦争”に対応できているだろうか。
1Fの処理水をめぐって、中国がしかけたであろう、フェイクニュースをFacebookで知的レベルが低いとは思えない人が流していたのを見たことからすると、日本の分断を狙う海外の勢力は虎視眈々と列島を狙っているのは間違いない。
今回の番組の調査報道は、さまざまな課題と問題を考えさせてくれた。
1Fの報道特集のように、書籍化が待たれる。