世界標準技術開発フォローアップ市場展開

ガラパゴス化から飛躍:小電力無線IEEE802規格開発会議・・・への寄与活動拡充

ザ人物伝 宮沢賢治  生涯 幼少期・少年期 ・・・

2021-11-20 13:21:10 | 連絡
〇幼少期・少年期
1902年の小正月、 5歳の賢治(右)と3歳のトシ(左)
1896年(明治29年)8月27日、父宮澤政次郎と母イチの長男として生まれる。戸籍上の誕生日は8月1日で生前の賢治も履歴書に1日と書いているが、27日と推定されている[注釈 2]。母イチの実家、鍛冶町の宮澤善治家で出生したが、5日後の8月31日、秋田県東部を震源とする陸羽地震が発生。イチは賢治を収容したエジコ (乳幼児を入れ守る籠) を両手で抱えながら上体を覆って念仏を唱えていたという[5]。政次郎は仕事で旅行中だったため、政次郎の弟の治三郎が「賢治」と名付けた[4]。
3歳の頃、婚家から出戻っていた父の姉であるヤギが「正信偈」「白骨の御文章」を唱えるのを聞き覚え、一緒に仏前で暗唱していたという[6]。
1902年(明治35年)、赤痢で2週間入院。賢治を看病した政次郎も感染し、大腸カタルを起こして胃腸が生涯弱くなった[7][8]。1903年(明治36年)、花巻川口尋常小学校(2年後に花城尋常小学校へ改名)に入学。成績は優秀で6年間全科目甲だった。3年と4年を担任した八木英三は生徒たちに『未だ見ぬ親』(五来素川の翻案によるマロ作『家なき子』)や『海に塩のあるわけ』(民話『海の水はなぜ辛い』)などの童話を話して聞かせ、賢治に大いに影響を与えた[9]。後に賢治は八木と再会した折に「私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです」と語っている[10]。鉱物採集、昆虫の標本づくりに熱中するようになり、11歳の頃に家族から「石コ賢さん」とあだ名をつけられる[11]。父の主催する花巻仏教会の夏季講習会にも参加、招いた講師の暁烏敏の世話係もした[12]。
1914年(大正3年)3月、盛岡中学卒業。4月、盛岡市岩手病院に入院、肥厚性鼻炎の手術を受ける。術後も熱が下がらず、発疹チフスの疑いで5月末まで入院。この時看病に当たった政次郎も感染して入院。自分の看病で2度も倒れた父に賢治は後までも負い目を感じていたという。入院中に出会った岩手病院の看護婦に思いを寄せ、退院後、両親に結婚したいと申し出たが「若すぎる」という理由で反対される[17][18]。政次郎は「あれはひどく早成なところがあって、困ったんじゃ……」と困惑した[17]。実家で店番や養蚕の手伝いで鬱々とした日々を過ごす賢治を見かねた政次郎は盛岡高等農林学校への進学を認める。賢治は今までと打って変わって、受験のため猛勉強に励んだ[19]。同時期に、島地大等訳『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、その中の「如来寿量品」に体が震えるほどの感銘を受ける[20][21][注釈 3]。
〇盛岡高等農林学校、国柱会
ー略ー
〇家出上京、農学校教員へ
1921年(大正10年)1月23日夕方、東京行きの汽車に乗り家出。翌朝、上野駅に到着して鶯谷の国柱会館を訪ね「下足番でもビラ張りでもする」と頼みこむが、応対した高知尾智耀になだめられ、父の知人の小林六太郎家に身を寄せる[44]。本郷菊坂町に下宿し、東大赤門前の謄写版印刷所「文信社」に勤める[注釈 4]。高知尾の勧めで「法華文学」の創作に取り組む[注釈 5]。1か月に三千枚もの原稿を書いたという。食事はじゃがいもと豆腐と油揚げで、夜は国柱会館の講話を聞き、昼間の街頭布教にも参加した[46]。保阪嘉内には入信を勧める手紙を度々送った。心配した父の政次郎が小切手を送ったが送り返した[45]。4月、政次郎と伊勢、比叡山、奈良を旅する。政次郎は法華経と国柱会への固執を見直させようとしたが、賢治の心は変わらなかった[47]。7月、保阪と決裂、以後は疎遠になる。
8月中旬、「トシビョウキスグカエレ」の電報を受け取り、原稿をトランクに詰めて花巻に戻る[48]。家族には原稿を「童子わらしこさえるかわりに書いたのだもや」と語ったという[49]。

12月3日、稗貫郡立稗貫農学校(翌年に岩手県立花巻農学校へ改称)の教諭となる。地元では「桑っこ大学」と呼ばれた小さな学校だった[50]。雑誌『愛国婦人』12月号と翌年1922年(大正11年)1月号に「雪渡り」掲載。この時受け取った原稿料5円が生前唯一の原稿料という[51]。農学校の給料80円はレコード、書籍の購入、飲食などにあてた。
下宿代として家に20円入れていたが、それも何かと理屈をつけてまきあげる。それでも3日ももてばいいほうで、本屋でツケで買った上、現金を借りることもあった。同僚の奥寺五郎(1924年死去)が結核になると毎月30円送っている[52]。また花巻高等女学校の音楽教師・藤原嘉藤治と親交を結び、レコード鑑賞や飲食を楽しんだ[53]
〇詩集と童話出版
以下略





最新の画像もっと見る

コメントを投稿