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関東大震災から99年 防災と防衛との大きすぎるギャップ2022年9月1日吉富望 (日本大学危機管理学部 教授)

2022-09-01 14:44:09 | 連絡
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吉富望 (よしとみ・のぞむ)
日本大学危機管理学部 教授
1959年生まれ。63歳。
防衛大学校卒業後、陸上自衛隊に入隊。陸上幕僚監部、防衛省情報本部、内閣官房内閣情報調査室、防衛大学校教授などを経て2015年退官。
拓殖大学大学院国際協力学研究科修士課程修了、博士後期課程(安全保障専攻)単位取得退学。
主著に『防災をめぐる国際協力のあり方』(共著・ミネルヴァ書房)。
 
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防災と防衛はいずれも災いへの対応だ。
前者での災いは災害であり、後者での災いは武力攻撃である。
これらの災いは多くの人命に関わるものだが、日本人の防災と防衛への向き合い方には大きなギャップがある。
それが如実に現れる時期は、8月初旬から9月上旬にかけてだ。本稿では、9月1日の防災の日、8月6日の広島原爆の日および8月9日の長崎原爆の日における日本人の対応に焦点を当て、そのギャップについて考えてみたい。 
〇災害大国・日本の高い防災意識と対策
9月1日は、1923年9月1日に発生した関東大震災にちなんだ「防災の日」だ。関東大震災による死者・行方不明者は推定10万5000人であり、この数は明治以降の日本の地震被害としては最大である。
 「防災の日」は、政府、地方自治体を始め、広く国民が災害についての認識を深めて備えを充実・強化することにより、災害の未然防止と被害の軽減に資するために制定された。
「防災の日」の前後の1週間は「防災週間」とされている。
 例年、「防災の日」および「防災週間」には全国各地で防災訓練、災害への備えに関する普及・啓発活動などが行われ、首相以下全閣僚が参加する政府本部運営訓練も実施される。
なお、「防災の日」には東京・墨田区の東京都慰霊堂で関東大震災での犠牲者を追悼する法要が行われているが、「防災の日」および「防災週間」には今後発生する災害に備えるという性格が色濃く、追悼の意味合いは比較的薄い。
 3月11日にも、2011年3月11日に発生した東日本大震災による犠牲者を追悼する催しが被災地などで実施される。
9月1日の「防災の日」と同様に防災訓練、災害への備えに関する普及・啓発活動も各地で行われている。
 わずか11年前に発生した東日本大震災は人々の記憶に新しく、この日に行われる防災訓練などには真剣さが漂う。
このように3月11日も、追悼のみならず今後発生する災害に備えるという性格を強く持っている。
 災害大国である日本では、洪水、土砂崩れなどの災害が毎年のように発生し、貴重な人命が失われている。
こうした自然災害の発生自体を防ぐことは難しいが、災害によって生じる人的・物的被害を最小化することはできる。それが防災だ。
日本では、国、地方自治体、企業・団体、コミュニティ、個人といったさまざまなレベルで、災害による被害の記憶を風化させないよう努めつつ、災害を防災に結びつけ、将来の災害に備えるという考え方が定着している。このことは、ほとんどの日本人が学校教育の中で防災について学び、避難訓練などに参加する経験に恵まれていることが大きく作用している。
 古くからさまざまな災害に見舞われてきた日本人は、災害に対する慣れや達観によって危機管理意識が希薄になっている一面はあるものの、防災への取り組みに関しては基本的にポジティブであり、それをタブー視する傾向はみられない。
〇戦没者追悼の際には行われない対処訓練
8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日、および8月15日の終戦記念日における日本人の対応に共通するのは、戦没者への追悼の念であり、戦争を起こしてはならないという反省である。
島原爆の日と長崎原爆の日では、核廃絶に向けた誓いも語られる。
太平洋戦争での犠牲者は軍民合わせて310万人、その内、原爆での犠牲者は20万人以上であり、この膨大な数の犠牲者を追悼するのは自然な行為である。 
しかし、防災の日や防災週間とは違い、広島原爆の日や長崎原爆の日では、将来、再び核兵器が投下された場合に如何に犠牲者を少なくするかという議論は、全くと言っていいほどない。
そして、この日に核攻撃への対処訓練が行われることはなく、首相や閣僚が参加する訓練もない。 
また、広島市にも長崎市にも核シェルターが整備されている訳ではない。
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NATO加盟申請で「総点検」...フィンランドが誇る巨大「核シェルター」の充実度2022年5月14日イザベル・バン・ブリューゲン
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/371634a82d237be095744190c1079aa6


日本の核シェルターの現状 人口1.2億人に対し収容できるのは2.4万人2022/5/25(水) 女性セブン2022年6月2日号
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/41f829cc6be6683f65b37e235dc0bbe7

核保有とシェルター確保を急げ ウクライナ侵攻で地政学リスク顕在 核シェルター普及率は 日本は0・02%2022/5/16大原浩
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/f72b7f14c7b5da2e4226ebc7a2e979e1
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もし、大規模な水害や津波で多くの犠牲者を出した自治体の首長が、堤防や防潮堤や避難所の整備を全く行なわず追悼のみに終始していれば、尊い犠牲を無駄にしていると非難され、次の選挙では落選するだろう。
 もちろん、世界から核兵器が廃絶され、二度と核攻撃が行われないという保証があれば、備えをしないことにも頷ける。
しかし、誰がそのような保証をできるだろう。
 核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は最終文書を採択できずに閉幕し、核軍縮の見通しは暗い。
日本周辺には中国、ロシア、北朝鮮という核保有国が存在する。
それらの国々は専制的・攻撃的で日本と基本的な価値を共有せず、日本への核攻撃に踏み切る可能性は否定できない。
 つまり、核攻撃という災いが再び降りかかる可能性があるのに、広島市も長崎市も対策を講じていないのだ。
甚大な被害を受けた被爆地として不思議な対応である。
東日本大震災の巨大津波で甚大な被害を受けた自治体は、同様の巨大津波が再度襲来する時期が不明であっても、大規模な防波堤の建設や住宅の高台移転などの対策を進めている。
これは広島市と長崎市に限った話ではない。
1945年3月10日の東京大空襲では約10万人もの市民が犠牲となったが、戦後、東京都が再度の大規模な空襲(ミサイル攻撃)に備えているとは思えない。
 ロシアがウクライナの首都キーウにミサイルを撃ち込んでいるように、某国が日本を侵略する際には政経中枢たる東京にミサイルを撃ち込む可能性を否定できない。
しかし、東京都が多くの都民を巻き込んだ本格的な防空演習を行ったことはない。
〇他国からの武力攻撃は防ぎ切れない
多くの日本人は、災害という災いは自然現象であり、人間が災害の発生を防ぐことはできず、いずれは発生することを前提にして対策を講じている。
その一方、武力攻撃という災いは自分たちで防ぐことができると考える人々も多いかもしれない。
なぜなら、原爆投下も東京大空襲も日本が戦争を始めた結果としての災いであり、日本が戦争を始めなければ防ぐことができたとの思いは、多くの日本人の心の中に根強く漂っているからだ。
 したがって、広島原爆の日、長崎原爆の日、そして終戦記念日には、犠牲者への追悼と共に二度と戦争を始めないという反省が語られる。
そして、日本が戦争を始めなければ武力攻撃には晒されないと思い込みが強まれば、これらの日は専ら追悼と反省に費やすべき日となり、武力攻撃に備えた訓練を行うという発想は生まれない。
また、将来を担う子供たちに戦争は悪だと教える一方、防衛について教えようとはしなくなる。
もちろん、防災にも思い込みは存在した。日本の原発は事故を起こさないとする原発安全神話がその代表だ。
 今やその神話は捨て去られたが、神話を信じた代償は大きい。
日本が戦争を起こさなくても、日本を侵略する意志と能力のある国は日本を攻撃する。
 ロシア・ウクライナ戦争は、ウクライナが始めたのではない。
ロシアが不当にもウクライナを侵略しウクライナ国民に甚大な犠牲を強いているのだ。
 日本人は、日本が戦争を始めなければ武力攻撃に晒されることはないとの神話から脱却し、起こり得る不当な武力攻撃への備えに取り組むべきだ。
再び甚大な犠牲を被ってから神話を信じたことを悔やんでも、遅すぎるのだ。




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