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習近平側近集団で大権力闘争の予兆~早くも李強首相はしご外し、代わりに台頭の蔡奇ら福建組が金融危機対策の指揮権握った#2024.01.25#石 平

2024-02-10 16:22:41 | 連絡
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石 平
 
 
 
 
1962年、中華人民共和国四川省成都市生まれ。
北京大学哲学科卒業、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。
日本留学中に起きた天安門事件で、中国に失望、日本に残り、研究、評論活動を行う。
2007年、日本国籍取得。
『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』で第23回山本七平賞受賞。ほか著書多数。
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〇李強首相だけがいない
1月16日、中国共産党中央党校の「省・部級主要幹部の金融発展推進学習班始業式」が北京にて開催され、習近平主席は自ら出席、「重要講話」を行った。 
翌日の人民日報の発表によると、始業式には習近平主席以下、6名の中央政治局常務委員と政治局委員、全人代副委員長、国務委員、政治協商会議副主席、最高裁判所裁判長、最高検察院院長、中央軍事委員会委員らが揃って出席したという。




このような会議は、いわば「金融問題」の範囲をはるかに超えて、まさに政権挙げての「最高国務会議」の様相を呈している。
しかしながら、この最高レベルの重要会議に、本来なら一番出席すべき人物がやはり欠席している。
政治局常務委員・国務院総理(首相)の李強氏である。金融をテーマとする「最高国務会議」には、首相が出席しないのは普段ではありえないことである。
李強氏の日程を調べてみると、彼は1月14日から公式訪問と国際会議参加のためにスイスを訪れ、16日当日は確かにスイスにいた。
 それが彼による重要会議欠席の表向きの理由にはなるが、よく考えてみれば、前述の始業式は、全く緊急性のない会合であるがために、本来、李氏がスイス訪問の前に開くこともできれば、彼の帰国後で開くのも別に遅くはない。
結局のところ、首相の出席すべき会議が李首相の留守中に開催されたことはむしろ、最初から李首相を外しておきたい前提で開催されたのてばないかと思われる。
 もちろん、わざと李首相の留守中のタイミングを選んで重要会議開催日程を決めたのは習近平主席であるはず。
つまり習主席は、自らの腹心の李首相を政権挙げての最高会議から意図的に外した訳である。
〇昨年10月にも
実は、習主席が李首相を金融関係の重要行動から外したことは以前にもある。昨年10月24日、習主席は何立峰政治局員・副首相の随行で中国人民銀行(中央銀行)と外貨管理局を訪問したが、その時も、李強首相はその場にいなかった。
中国では、人民銀行と外貨管理局の両方ともは中央政府である国務院下の所属機関、両方のトップの上司は国務院総理、すなわち首相である。
従って普段、人民銀行や外貨管理局を訪問して視察したり現場指導を行ったりするのは当然首相の権限内の仕事である。
さすがの共産党政権下でも、主席が首相管轄下の部門に直接にタッチしないのは、これまでの暗黙なルールであり、一般的な慣例である。
したがって習主席による前述の人民銀行・外貨管理局訪問は、これまでのルールを破った異例な行動である。
首相の李強氏が主席の訪問に随行しなかったことはさらに異様。
李首相が人民銀行・外貨管理局の管轄責任者であるから、主席の両部門訪問・視察に立ち会うのが普通である。
李首相は習主席の側近中の側近であれば尚更である。 
その時の李首相の活動日程を調べると、彼が10月24日の午後に外国訪問のために北京から出発したと報じられているが、逆に言えば習主席はわざと、李首相が北京を離れた日を選んで、李首相の「縄張り」であるはずの人民銀行・外貨管理局を訪問し、露骨な「李首相外し」を行なった。
 結局、習主席は、昨年10月の中央銀行訪問に続いて、前述の今年1月16日の金融関連重要会議からも李首相を外した。
しかも両方ともは李首相の外遊を狙っての外しであって、手口は全く同じである。
もちろん、その意味するところはすなわち、中国経済の心臓部門である金融の管理に関して習主席は側近の李首相をもはや信頼しなくなっていることであって、李首相を外した形で、来るべき金融危機などへ対応に自ら乗り出したわけである。
 〇習近平の一の腹心・蔡奇
1月16日の「金融学習班」始業式でもう一つ注目すべきポイントとして、式典の司会を務めて「総括講話」を行ったのが習主席一番腹心の政治局常務委員・蔡奇氏であることがあげられる。
本来、政権内における蔡氏の仕事の担当は党務・イデオロギーであって、金融管理を含めた経済運営は全く彼の管轄範囲外であるが、外された李首相の代わりに、蔡氏が上述の学習班始業式の司会を引き受けながら「総括講話」までを行なったのはやはり尋常ではない。
そして1月19日、上述の学習班の「終業式」には、今度は蔡氏が中心人物として出席し、再び「総括講話」を行った。
その日、首相の李氏はすでに外遊から帰国・帰京したにもかかわらず、やはりその場には呼ばれていなかった。
こ れでは李首相は、本来の重要職務の一つである金融管理から完全に外されている格好になる。その代わりに、蔡氏は党中央宣伝部長や公安局長などを従えて前述の「終業式」に臨み「総括講話」を行い、それが翌日の人民日報一面にも大きく掲載された。
名目上は党内序列No.5の蔡氏は今、No.2の李首相を圧倒して経済の運営にも触手を伸ばしてきて、まさに習政権の一番の権臣となっているという様相である。
〇建省勤務時代の習近平の腹心たちが
昨年10月の習主席人民銀行訪問に随行したのが何立峰政治局員・副首相であることは前述の通りだが、昨年11月、何氏は「中央金融工作委員会」の書記に任命されて、政権における金融管理のキーマンとなっている。 
実はこの何氏は蔡氏とは同様、習主席が福建省で勤務した時代の古株部下、習氏によって中央に抜擢されて大出世した側近の一人である。
その一方、首相の李氏は習主席が福建省から浙江省に転任してからの部下であって、習主席の腹心となった時期は蔡氏たちよりは遅い。 
こうしてみると、蔡氏と何氏が中心となる習近平側近集団の中の「福建組」は今、首相の李氏を筆頭とする「浙江・上海組」を凌駕していることが分かる。蔡氏は今、党務を牛耳る一方、同じ「福建組」の何氏を使って経済運営の要である金融管理の権限も手に入れている。

このままでは、経済運営に関する李強首相の実権は蔡奇・何立峰によって奪われて、李氏は失脚しなくとも徹底的に干されることとなろう
結局のところ、一番権臣の蔡氏は同じ習近平側近集団の中の浙江・上海組を追い出して、自分たち「福建組」で権力の中枢を固めようとする魂胆であろう。
しかし、そこからは激しい権力闘争が習近平側近集団の中で起きてしまい、それが習政権の内部分裂を招きかねないのである。



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