ーQ1ー
佐々木)ただでさえ日本は、働きに行くにも給料が安すぎるとか、大学の研究者になるにも待遇がよくないということを言われているのです。さらにコロナ禍でますます「なかに閉じこもっている」ということは、みんな感じているのではないでしょうか。
-A1ー
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海外技能実習制度が日本全体の給与水準低下に影響か
外国人技能実習制度の現状、課題等について厚生労働省 労働局(関東地区)
https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/content/contents/000692897.pdf
https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/content/contents/000692897.pdf
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By - NEWS ONLINE 編集部 公開:2022-03-02 更新:2022-03-02
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(3月2日放送)にジャーナリストの佐々木俊尚が出演。政府による新型コロナウイルスの水際対策が緩和され、ビジネス目的などの外国人の新規入国が再開されたというニュースについて解説した。
〇新型コロナウイルスの水際対策緩和 ~観光を除く外国人の新規入国が再開
政府による新型コロナウイルスの水際対策が3月1日に緩和され、ビジネス目的などの外国人の新規入国を、およそ3ヵ月ぶりに再開した。1日あたりの入国者数の上限は、これまでの3500人から5000人に引き上げられた。
飯田)待機期間を入国後7日間としておりましたが、ワクチンの3回目接種などを条件にして免除、あるいは3日間に短縮されることになっています。
佐々木)厳しすぎるとずっと言われていたので、このタイミングで緩和する判断はよかったのではないでしょうか。新型コロナの感染者数も決して減っているわけではなく、東京では下げ止まり感があって、また増えるのではないかという話もあるのですが、ロシアのウクライナ侵攻ですべて吹き飛んでしまったという状況です。
飯田)そうですね。
佐々木)ウクライナと水際の関係で言うと、ウクライナから日本に留学する予定だった若者が、水際対策で入国できずウクライナに留まっていたところ、戦争が始まってしまい、戦場に行って亡くなったという情報がありました。
飯田)日本に留学する予定だったのが。
佐々木)また、在日ウクライナ人の人たちが、ウクライナから家族を呼んで日本に入国させようと思っても、入れないのでどうしたらいいのかわからないというツイートもありました。それぞれ個別の小さな話なのだけれど、そういう人たちにとっても、水際対策の緩和はよかったのかなと思います。
〇世論=新聞論説・TVコメンテータがウクライナに向いている間に水際対策を緩める岸田政権
佐々木)菅政権が新型コロナワクチンの接種を進めたのに感染が収まらず、批判が大きかったではないですか。少しでも感染対策を緩めるとメディア=新聞論説・TVコメンテータの猛烈な反発があり、それで支持率が落ちるという状況を目の当たりにしたので、岸田政権になってから感染対策をとても厳しくしていますよね。
飯田)完全にトラウマ状態になっています。
佐々木)感染対策はいいのだけれど、若干バランスを逸していて、経済よりも感染防止に寄りすぎているのかなと思っていました。そのため、世論=新聞論説・TVコメンテータがウクライナに向いているときに「ササッ」と緩めるのは、いいことではないかなと思います。
〇閉鎖的に見えるいまの日本 ~「オープンに生きて行く」マインドを取り戻すべき
飯田)基準が厳しい日本への入国を諦めて、他の国へ行くという、ジャパンパッシングのようなものが起こっているという話も、特に留学生などではあるということです。
佐々木)ただでさえ日本は、働きに行くにも給料が安すぎるとか、大学の研究者になるにも待遇がよくないということを言われているのです。さらにコロナ禍でますます「なかに閉じこもっている」ということは、みんな感じているのではないでしょうか。
飯田)感じますね。
佐々木)でも、鎖国や村社会などというのは江戸時代のイメージでしかなくて、「もっと積極的に行こうぜ」という民族性も昔は日本にもあったのです。それが忘れ去られて、閉塞的になっているのがここ数十年の状況です。
バブルのころは「イケイケ」だったではないですか。
飯田)「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代ですものね。
佐々木)「24時間戦えますか」ですよ。「世界のジャパニーズ・ビジネスマン」ですよ。コロナ禍で閉塞的になったのは仕方ないけれど、収束が見えて来ているなかで、もう少し昔のようにオープンに生きて行くというマインドを取り戻してもいいのではないかと思います。
〇かつての百姓は移動しながら交易にも従事していた
飯田)江戸時代も鎖国と言われますが、長崎の出島を開いたりして、外からの文化を完全にシャットアウトしていたわけではありません。人的交流もありましたし。
佐々木)「村社会」というイメージが我々は強すぎるのだけれど、歴史学者の網野善彦
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網野 善彦(あみの よしひこ、1928年(昭和3年)1月22日[1] - 2004年(平成16年)2月27日[1] 76歳没)は、日本の歴史学者。専攻は中世日本史。
ー略ー
1979年(昭和54年)、神奈川大学が日本常民文化研究所を招致することが決まり、名古屋大学を辞任し、1980年(昭和55年)10月に神奈川大学短期大学部教授に就任。1993年(平成5年)4月に神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科を開設し、1995年から同大学経済学部特任教授となり、1998年(平成10年)3月に定年退職。
1979年(昭和54年)、神奈川大学が日本常民文化研究所を招致することが決まり、名古屋大学を辞任し、1980年(昭和55年)10月に神奈川大学短期大学部教授に就任。1993年(平成5年)4月に神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科を開設し、1995年から同大学経済学部特任教授となり、1998年(平成10年)3月に定年退職。
2000年(平成12年)2月に宮田登の葬儀委員長を務めるが、その翌月に自身が肺癌だと分かり闘病生活に入る。
2004年(平成16年)、東京都内の病院にて死去。享年76。死去時には、ル・モンド紙にも記事が掲載された。遺骸は本人の遺志によって献体された。
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が書いていますが、百姓
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百姓(ひゃくしょう)とは、農業従事者(農家、農民)の事を指す語[1][2]。そのほか、江戸時代における本百姓のことや、あかぬけない人や情趣を解さない人に対する侮蔑語でもある[3]。
百姓(ひゃくせい)は、一般の人民[4]。庶民[4]。多くの役人または人民の事を指す漢語に由来する[1][2]。本項の#漢語としての語義と日本での変遷で説明。
日本においても当初は中国と同じ天下万民を指す語であった。
日本においても当初は中国と同じ天下万民を指す語であった。
しかし、古代末期以降、多様な生業に従事する特定の身分の呼称となり、
具体的には支配者層が在地社会において直接把握の対象とした社会階層が百姓とされた。この階層は現実には農業経営に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業などの経営者も包括していた。
だが、中世以降次第に百姓の本分を農とすべきとする、実態とは必ずしも符合しない農本主義的理念が浸透・普及し、
明治時代以降は、一般的に農民の事を指すと理解されるようになった。
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は別に農民ではないと。
移動しながら仕事をしているさまざまな職人や、交易に従事している人たちもたくさん含まれていたわけです。
飯田)いまで言うところのノマドワーカーのような感じ。
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(注1)
ノマドワーカーは、ノートパソコン、スマートフォン、タブレット端末などを使い、Wi-Fi環境のある喫茶店やコワーキングスペースなど、通常のオフィス以外のさまざまな場所で仕事をする人を指す日本語の表現[1]。また、そのような働き方を、「ノマドワーク」という。
英語で「遊牧民」を意味する「ノマド (nomad)」と、「働く人」を意味する「ワーカー (worker)」を組み合せた言葉である[2][3]。
「ノマドワーカー」も「ノマドワーク」も、2010年の時点で使われていた表現であるが[4]、「ノマドワーカーの先駆者」と評された安藤美冬の活動が知られるようになり[5]、ブログの広告収入で生活するようになった経験を綴った立花岳志の著書『ノマドワーカーという生き方』が出版された[6]2012年ころから、広く用いられるようになった。
ノマドワーカーが働く場としては、しばしば代表的な例として言及されるスターバックスなど[2][7]、通常の喫茶店の他、そうした客向けに特化した店や、公共図書館などがある[8]。また、ノマドワーカーが注目されるようになると、その受け皿として、各地で電源やWi-Fi環境などを整備したコワーキングスペースを設ける動きも出始めた[3]。
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佐々木)そうなのですよ。移動を積極的にしながら、貿易もやりたいと思っていたのが当時の日本人だったと。それが明治時代以降、「日本人は村社会だから」という、勝手な自己イメージをつくってしまった問題があるのではないか、と指摘されています。
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