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日本国憲法で定められた「政教分離」とは?2021.07.18弁護士  高橋 麻理 (第二東京弁護士会)

2023-06-26 15:10:39 | 連絡
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Authense法律事務所
弁護士 高橋 麻理
(第二東京弁護士会)

慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。
検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。
現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、上場会社の社外役員を務める。
令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。
メディア取材にも積極的に対応している。
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〇政教分離訴訟 違憲
最近、「政教分離訴訟 最高裁で違憲判決」と報じられました。
那覇市が、その管理する公園の敷地に設置された儒教の祖である孔子を祭る孔子廟の土地使用料を免除して一般社団法人から徴収していなかったことが「政教分離の原則」に違反するかどうかが争われていた裁判で、最高裁判所が判断をしたというのです。
裁判所の出した結論は、那覇市が土地使用料を免除したことは憲法が禁じた宗教的活動に該当するとして、憲法に反する、つまり違憲と判断したとのこと。 
検察官をしていたときはもちろん、弁護士になってからも、私は、一度も業務として「政教分離」の問題と直面する機会はありませんでしたが、司法試験の勉強をしていたときには試験に出題されることも多い論点でしたので、昔、政教分離訴訟にかかわる判決文はかなり読み込んだ記憶があります。
みなさんも、「政教分離」という言葉、報道で見聞きすることありますよね。
多くのかたは、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝報道を思い出されるのではないでしょうか。
政教分離というのは、政治と宗教を分離させることを意味する、ここまでは、読んで字のごとくですよね。
でも、なぜこんなルールがあるのかと考えたことはありますか?
この政教分離は、日本国憲法で定められたルールです。
 憲法20条は、1項で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と、
3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と定めています。
そして、憲法89条は、公金その他の公の財産は、宗教上の組織等のために支出してはいけないと定めています。

どうして、国やその機関は、宗教的活動をしてはいけないのか?
それは、国民ひとりひとりの信教の自由を保障するためなのです。

なぜ政教分離が国民ひとりひとりの信教の自由につながるか?
それは、日本ではいろいろな種類の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきていると考えられていますが、そのような宗教事情のもとで、
国がある特定の宗教と結びつくと、国がその特定の宗教を(誤解をおそれずに申し上げると)推しているような状況になるため、国民が、国の推す宗教以外を信仰することが難しくなると考えられると考えられているからです。
逆に言えば、一人一人の信教の自由を確実に保障するには、国と特定の宗教との関係を断ち切る必要があるということ、これが政教分離の趣旨です。
  
だから、市が管理する公園の敷地を特定の宗教に無償で使わせることが、市と特定の宗教と結びついていることとなり、政教分離の原則に反するのではないかという裁判になったわけです。
そう考えてくると、憲法で禁止されているんだから、裁判で問題とするまでもなく、政教分離の原則に反する、で終わりじゃないかと思いませんか?
実は、政教分離原則に違反するかどうかという点には解釈の余地があるのです。
政教分離原則の趣旨は国民一人一人の信教の自由を保障すること。
つまり、逆に言えば、その趣旨に反しないのであれば、国と宗教とが一切の関係を持つことが許されないわけではないと考えられています。
ですから、ある国や市の行為が、信教の自由を確保しようとした政教分離原則の趣旨に反するといえるかどうか、というところで評価がわかれる余地があるのです。
冒頭に紹介した判決文の中でも、
一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても、同時に歴史的、文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり、観光資源、国際親善、地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく、それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して」(使用料の)免除がされる場合もあり得るとしています。
そして、免除するということが、信教の自由の保障を確保するという目的との間で問題となるかということは、問題となっている施設の性格、使用料を免除することとした経緯、無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきであるとしています。
 このように、政教分離原則に違反するかどうかを判断する基準は存在するのですが、その基準は、「社会通念に照らして総合考慮」というもの。
結局、何が社会通念か、どんな要素をどのように総合考慮するかというところでいろいろな考え方があり得ます。
だから、人により、さらには裁判所によって考え方は違ってきて当然なのです。
今回の判決では、市による免除は憲法の定める政教分離原則に違反していると判断しました。
でも、最高裁判所の判決を見ると、裁判所全体としての1個の判断とは別に、個々の裁判官の意見というものもわかるようになっているのですが、今回の判決で、一人の裁判官が、裁判所として出した結論に自分は反対ですよ、という意見を明らかにしています。
つまり、市が使用料を免除した行為が政教分離原則に違反し無効だとすることに自分は賛成できませんよ、ということ。
どうして賛成できないか、という理由も書いてあります。
問題となっている施設は、宗教性がないか、希薄化していると考えられるのに、この点の検討が不十分なままに外観だけで宗教性を肯定し、これを前提に政教分離原則違反とすることはいわば「牛刀をもって鶏を割く」の類ではないかなどと説明されているのです。 
この裁判で問題となった政教分離は、普段私が行っている弁護士の仕事をする中では、直面する機会がなく、あまり考える機会がありません。
でも、弁護士として法律にかかわる仕事をしている以上、普段の自分の仕事に必要な範囲でだけ裁判例をチェックしておけばいいというのも少し違うのかなと思うのです。
憲法が定める権利にはどんな意味があって、それがどのような場面で侵害される危険があって、裁判官はこれについてどんな判断をするのか、そのようなことをたまにはちゃんと時間をかけてリサーチし、自分の頭でも考える。
そんな訓練は、普段どんな分野の仕事をするにあたっても、やはり弁護士として大事なことじゃないかなと思っています。

裁判所で言い渡された判決は、裁判所のホームページで公開されているものもあります。
長くて難しい言葉が使われていると感じることもありますが、新聞報道だけではわからない裁判官の考えなどがわかって興味深く感じられることもあるかもしれません。



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