A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

熊野-新宿(角筈)

2007年10月09日 | 旅の破片
中上の資料収集室で、Yさんに中上の実父の名前が鈴木留吉だと聞かされた時、「ああ、また鈴木姓だ」と思った。
そこで「熊野には鈴木という姓が多くありませんか。まあ、鈴木はどこでも多いんですが」と尋ねてみた。
すると「鈴木という姓は、もともと熊野の神官が鈴木で、熊野神社が全国に広がるにともなって、国内で非常に多くなった姓ですよ」とのお言葉。頭の中で、あっちのものとこっちのものが繋がって、火花が散り、こっちが驚いた。
「新宿の角筈十二社というのがあって、あれが熊野神社です。その創建に関係したのが、熊野の神官の流れの鈴木九郎という人物で、中野長者伝説というのがあります。東京都内や埼玉には熊野系の神社が非常に多いんです」と小生が云うと、
Yさんは「関東で一番熊野神社が多いのは、千葉県、その次が埼玉県ですね」と訂正して、「そうですね、東北、関東は多いんですが、紀州の漁業民がさかんにそういう土地に移動した結果ですね。鯨取りでも、土佐の鰹の一本釣りだって、紀州の漁民が発明して、他に伝えた技術だと云われていますからね、昔の人はわれわれの想像以上に広い地域を行き来していたわけですよ」
Yさんはさらに「東京に飛鳥山、王子神社というのがあるでしょう。あれも熊野系ですよ」と、またまた意外なことを云う。王子のタチハラへ8x10カメラを買いに行き、王子神社の狐の行列を見物したり、飛鳥山を撮影したことを思い出した。
「新宮には、四つの神社があって、神倉神社、阿須賀神社、王子神社、熊野速玉神社です。神倉神社が最も古く、速玉神社が最も新しいので、新宮という地名になったというのが定説ですね。東京の、飛鳥山、王子の場合は、熊野の阿須賀神社、王子神社が起源ですね」
Yさんの話にちょっと興奮した。初対面のふたりのオヤジが興奮しながら喋りあっているのも奇妙なことなのだが。
熊野と新宿、角筈が繋がった。中上が新宿に拘泥した理由がここにもあったわけだ。