百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

神戸と唐山

2006-01-17 18:56:37 | 随想

1月17日    

    平成17年1月1日より382日目     
         歩いた歩数   其の距離  
     本日    13,847歩    9,693m  
     総計  5,236,569 歩 3,665,598 m  
  只今高雄を経て香港に向かって東支那海を歩いています。

  11年前の今早暁、阪神・淡路地方に地震があり、家屋の倒壊と火災が発生し6,500人近い尊い人命が失われた。その災害をテレビで見た惨状は今でも忘れられない。

  私はその年、中国河北省人民政府の招請を受けて唐山市を訪問した。唐山に地震のあったことはグラビアで見たことがあったので、関心をもって出かけた。

  北京空港に着いたのは夕方だったが、豪雨の中で道に迷い車が唐山に着いたのは12時を回っていた。翌朝目を覚ますと、大きなロータリーから6本の直線の大通りが放射状に走っているのを見て、その復興の素晴らしさに唖然とした。

  朝の会議で、唐山市の大地震からの復興を賞賛し、阪神淡路大震災の惨状を披瀝した。死者6,500人というと、唐山市は20年前に起きた地震で20万人が死んだと答えた。桁違いな被害を私に知らせたいと、科学技術委員会が地震の惨状を保存している大学に案内してくれた。

  大学側は見世物ではないと拒絶したが、委員会の面子にも掛かるので再三交渉してやっと入場することが出来た。そこは大学の講堂の後で、講義が行われていないので人命に関係がないことが確認されたとして、一切手が加えられずに保存されていた。これにも驚かされた。

  途中市内に陶器の店が多いので尋ねると、此処は陶器の産地であると答えた。壊れ物の陶器が主産業であるから立ち直りにはかなりの紆余曲折があったようであるが、すっかり近代化したその都市には地震の被害の余波は全く感じられなかった。社会主義国家ならばの復興だったのだろうかと当時は感じた。

  今、神戸の繁栄の中、11年前の惨状を見ることは出来ない。素早い復興こそやはり資本主義世界の為せる成果であろう。

     
       飯山雪風景  大聖寺境内
      
    飯山雪風景 0家の入り口

   

 

 

 


お年玉付き年賀状

2006-01-17 12:16:21 | Weblog

1月16日     

     平成17年1月1日より381日目     
          歩いた歩数   其の距離  
      本日   16,982歩   11,887m  
      総計 5,222,722 歩 3,655,905 m
      仮想到着地点    高雄(1.11) 

  新聞に今年の年賀状の当選番号が出ていた。籤運が悪いというか上位等級には当たった例がない。今年も切手が7枚だ。でも100番のうち2本なのだから率としては高率といえないことは無い。

 当たらないことは運が良いと考えられないことも無い。多くの中から特に選ばれるといっても、交通事故に会う、雷に打たれる、火事に会う、雪下ろしをしていて屋根から転落して死亡するなどの事故にあうのは割が悪い。となると常にはずれになるのは良い事だ、有難いことだと考えている。

 もう一つ良いことがある。私は「当たる」運が無いと決まっているから「宝くじ」を買ったことが無い。この方の出費がないし、関心も無い。これも有難いことだ。

 毎年、中国の友人と年賀状を交換しているが、こちらから送った年賀状が当たっているか照会したことは無い。不親切かもしれない。

 中国の年賀状にも「お年玉」付きの年賀状がある。初めは日本と同じようにはがきだったが、封書のお年玉付き年賀状が来て驚いた。日本と違って中々豪華である。中国からも当選番号は来ないし、賞品も何だか知らない。でも「政冷経熱」といわれる今日、心の通い合う朋友が居ることは頼もしい限りである。 

    

    ====================

            道陸神(3)

 昨日野沢温泉村で道祖神祭りが盛大に行われたことは記したが、今朝ウォーキングで秋津に足を伸ばしたところ、健在な道陸神を見て驚いた。14日が雨降りで中止したのは理解できるが、本命の15日も取りやめたのはどういう考えなのだろうか?何時やるのだろうか?何時でも良いとでも思っているのだろうか?