百歳に向かってもう一度世界一周

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孝経の拓本は玄宗皇帝の書

2007-04-02 19:29:05 | Weblog

 4月2日  (月) 
                      平成17年1月1日より 822日目
                                   歩いた歩数    其の距離
                       本日          14,584歩        10,209m
                       総計   11,857,095歩   8,299,967 m
       上海から連雲港・徐州・曲阜を経て北京に向かう泰安まで 46,184m       

                                 
                                              大きな拓本でしょう

  晩酌で転寝していて、午後9時半、先日曲阜で探して判らなかった「孝経の碑」が何処に建てられているのか、何が何でも探し出そうと思い立った。それは荒船の木橋の苔が偶然にも「小赤実苔」だと判ったネットサーフィンの驚くべき検索能力に魅せられたからである。

 これだけの大きな碑は中国広といえども、そうザラには無い筈、キット何処かの碑林にあると踏んだ。そこで「碑林」と入れて検索して「中国碑林大全」に跳びついた。そこには「中国翰園碑林」「黄梁夢廣済宮功徳碑林」など28の碑林が記載されていたので、虱潰しに探し求めたが、どうしても見当たらなかった。

 気がついてみると、中国四大碑林と言われる西安碑林や曲阜の孔廟碑林などが落ちているではないか。

         

  ここで西安碑林博物館を検索する。しかし写真ばかりで該当するものは出て来ない。検索された項目は多いのでかなり細かに調べたが、どうしても孝経の碑は見当たらない。そこで具体的に「孝経碑」と入力して検索した。しかしそこには、孝経に関する論文などの目録や記録のみで全く当て外れだった。

 思い余って「の」の字を入れて「孝経の碑」とした。すると西安碑林博物館の項に『石台孝経、碑は高さ5.7m唐の玄宗皇帝の天宝四年(745年)の自筆・・・の文字がめにはいった。西安金橋国際旅行社の記事である。以下記事抜粋

 西安碑林は昔の西安の孔子廟を基礎として1087年に建てられました。この博物館は石碑展示室、石刻展示室、臨時展示室の3つに分かれています。建築面積は約4000平方m、展示品は約3000点あります。博物館は南北に細長く、門をくぐると木牌坊が見えます。右に折れて正面をみると東西両側に展示室が続いています。その間の遊歩道の両側に石造りの動物模様の門柱や八角円堂の碑閣が立ち並んでいます。もっと奥に進むと碑林の展示室に着きます。まず目に入るのは碑亭の中に立っている石台孝経です。この石碑は高さ5.7m、唐の玄宗皇帝の天宝四年(745年)の自筆で、内容は孝経に関する解説で、碑額の題字は皇太子李亨(後の粛宗皇帝)の書です。碑文の中に、「身体髪膚これを父母に受く」という明言もあります。

           

碑林

西安碑林博物館は西安城南門の東にあります。碑林とは文字や図像を刻んだ多数の石碑の集合を意味します。西安碑林は昔の西安の孔子廟を基礎として1087年に建てられました。この博物館は石碑展示室、石刻展示室、臨時展示室の3つに分かれています。建築面積は約4000平方m、展示品は約3000点あります。
 博物館は南北に細長く、門をくぐると木牌坊が見えます。右に折れて正面をみると東西両側に展示室が続いています。その間の遊歩道の両側に石造りの動物模様の門柱や八角円堂の碑閣が立ち並んでいます。もっと奥に進むと碑林の展示室に着きます。
 まず目に入るのは碑亭の中に立っている石台孝経です。この石碑は高さ5.7m、唐の玄宗皇帝の天宝四年(745年)の自筆で、内容は孝経に関する解説で、碑額の題字は皇太子李亨(後の粛宗皇帝)の書です。碑文の中に、「身体髪膚これを父母に受く」という明言もあります。

  遂に辿り着きました。私が上海のデパートで手に入れた拓本は『玄宗皇帝の自筆の碑の拓本』であることが判明しました。

 このとき、私は店員が差し出す拓本の殆どすべてを店員の言い値で買い取りました。店員は喜んでデパートにあるすべての拓本を探し出して並べてくれました。暇をみて、解読したいと思います。宝の山はまだまだ出てきますよ。乞うご期待!