「あまのじゃくだと塞翁の女房言ひ」という古川柳を12/19読売の編集手帳が引用していた。「人生万事塞翁が馬」のあの塞翁(←これは「田舎の爺さん」という意味だ)の古女房が「あの人は(先見の明があるだなんて世間じゃ言われてるけど)ほんとは唯の天邪鬼だよ、臍が曲がってるだけさ」と言ったというのである。今この言葉は「先見の明」云々よりも単に「人生何が幸いするかわからないもんだ」という意味で使われることが多いようだが、いずれにせよこの故事には「行き当たりばったり、出たとこ勝負」型の人間たる私には何の異存も違和感もない。編集手帳氏はこの後『偽』という今年の言葉の話題に移って行ったが、それだったら「フィクサー気取りだと部下の記者が言い」くらいは捻ってみたらどうだ。ナベツネを筆頭に、今この社会では如何にもいかがわしい魑魅魍魎どもが跋扈し始めているが、問題はこれに加えて、例えば不祥事続きの警察が自分のことは棚に上げて我々のwebに大網を被せようと悪虐非道な試みをしているように窺われることだ。「まだまだ当面は大丈夫さ」と思っている向きもあろうが、こればっかりは「網」が十二分に我々の頭上に覆い被さってしまった後からでは手遅れだ。メディアのいわゆる「放送禁止用語」もあれはいったい何だ?!自分で自分の首を絞めて、言語・文化の圧殺に走っているのではないか。今や私が幼少の頃は普通に使われていた言葉までもが駄目出しされ古典落語はみんな引っ掛かってしまう。私のblogもこんな基準で規制されたら事実上記述困難になる。私の12/17~18のこのblogには「放送禁止用語」が幾つか混じり込んでいるが、私のblogは公共放送ではないし、元々私自身が自分で不適切と思われる表現は自粛しているから誰にも「いちゃもん」(←これは放送禁止コードらしい)をつけられる筋合いではないが、楽天日記はこれを連日「禁止コード」呼ばわりして露骨に投稿を妨害して来たので当面楽天からは撤退することにした。何も検閲されてまで好んでblogを書く理由は目下私にはないが、もし今後もインターネットへの権力の介入が続くようならそんな暢気なことも言っておれない。「もの言えば唇寒し」は既に始まっている。双方向性の時代に先立って「web禁止用語」などというものが常態化しないよう監視して行きたいと思う今日この頃ですが、皆さん如何お暮らしですか。 . . . 本文を読む