昼の番組で元NHKの杉山某は「名古屋場所開催中止は暴力団の圧力に屈したことになる(だからどんな醜態になろうとも開催して、むしろ恥を晒すべきだ)」とわけのわからない「持論」をまだ繰返していた。ここまで来ると単なる「老いの一徹」で公共の電波には不要だ。これに反論したのがコメンテーターのなかにし礼で、この人の辛口批評は私も最近注目しているのである。局側解説者のコメントも杉山説には概ね否定的だった。で、なかにし説だが、「そんなこと言ったって、理事長まで在京のまま謹慎処分にして代行を立てようかという目下の情勢の中で、もし強行して万一三賞受賞者の中から新たに《疑惑の力士》が出たりしたら収拾がつかなくなるじゃないか」・・というようなことを言っていた。なかにし氏も大の相撲ファンだそうで今回の「不幸な事態」を嘆いていた。私は少年期の「栃若」時代にはファンだったが、歳を経た今となっては相撲なんて別に好きでも嫌いでもない「アラ6」即ち「団塊の世代」の一人であるが、お年寄りが相撲が大好きなのはよくわかるから「彼らの楽しみを奪わないためには万難を排して開催すべきだ」というのならまだしも、「中止したら反社会団体の圧力に屈したことになる」なんていう理屈はいったいどこから出て来るのか、私は頭が悪いからちっともわからない。これも「解説」してくれっていうか、そしたらなかにしさんも私も、凡そ「中止論者」はみな「怖い人たちの圧力に屈した」ことになるのかよ!?笑。馬鹿も休み休み言え。*「一年を十日で暮らすいい男♪」という古川柳がある。十日はオーバーとしても、昔はそんなに年がら年中相撲興行が打たれていたわけではないのだ。今は年6回も「本場所」があって、その合間には「地方巡業」に駆り出されるのだから、力士たちはまるで公営競馬の馬たちのように(!)練習だか本番だかわからない状態に一年中置かれているのである。息抜きに(?)博打の一つも打ってみたくなろうってもんだ。ぁそ。そして一方では「公益法人=相撲協会丸儲け」の構図が頑としてある。竜虎に至っては「中止したら出世の機会が失われる」とまで言っている。たかが二ヶ月のことじゃねえか!どこまでアホなんだ!?はっきり言って、一回や二回本場所開催を中止したからと言って、この社会が一変して浄化・健全化されることなどまずあり得ないし、そういう「健全さ」などは実は却って危ういのだ。 . . . 本文を読む