1.鬼龍院花子の生涯
私はこの映画(五社英雄監督作品)は今回初めて見た。1982年公開当時、テレビではしきりに「舐めたらいかんぜよ!」という故・夏目雅子の啖呵がスポットで流され流行語にまでなっていたから私は「花子」というのがてっきり夏目雅子の役名だとずっと思い込んでいたがそうではなく、花子というのは「鬼政(おにまさ)」(主演・仲代達矢)が手をつけ拉致同然に組に連れ帰った女中に生ませた一人娘の名前だったのである。私は原作も読んでいないから原作との関係がわからないが、この作品は一応夏目の代表作の一つということになっているが、タイトルで最初に名が出るのは仲代なので主演は彼だろうと思う。また「鬼龍院花子の生涯」という割には彼女の人物像は一向に掘り下げられてはおらず、もっぱら鬼政の破天荒ぶりと、幼少時跡目が欲しい彼の「子買い」の際まるでついでのように連れて来られた松恵(夏目)の数奇な運命が描かれるばかりだった。(冒頭養子縁組の本命だった男の子はすぐに逃げ出してしまう。)
キャスト(役名)
仲代達矢 ナカダイタツヤ (鬼龍院政五郎)
岩下志麻 イワシタシマ (歌)
夏目雅子 ナツメマサコ (松恵)
仙道敦子 センドウノブコ (少女時代の松恵)
佳那晃子 カナアキコ (つる)
内田良平ウチダリョウヘイ (末長平蔵)
夏木マリ ナツキマリ (秋尾)
山本圭 ヤマモトケイ (田辺恭介)
丹波哲郎 タンバテツロウ (須田宇市)
他にも室田日出男、役所広司、梅宮辰夫、進藤恵美、アゴいさむ、中村晃子等多彩な出演陣だったが、その割には私は全体に何処か食い足りない映画だった。あちゃ。
鬼龍院花子の生涯(1982) - goo 映画
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2.丹下左膳(1958年)
この映画は冒頭『東映スコープ公開一周年記念作品』『総天然色』と銘打たれた懐かしの名画で(←シネマスコープとかシネラマとかのワイド画面の映画が当時のトレンドだった。「カラー映画」もまだ新しい時代だったから殊更『総天然色』を謳っている。w)私が小学生の頃大好きだった東映時代劇とは実にこういう役者さんが出演する、かかる雰囲気の映画だったのである。中村錦之介や伏見扇太郎は出ていないがほぼ「東映オールスター総出演」に近い豪華な布陣で、江戸城内や最後の大捕り物のシーンではエキストラもふんだんに使っている。
テレビの普及率はまだ低く、大衆の娯楽の主流は映画館で見る映画であり、銀幕の花形映画スターが、1ランク下のテレビに出ることなどとても考えられない時代だったのである。
この映画自体を昔私が見たことがあるかどうかは定かでないが、私にとっての丹下左膳は大友柳太朗以外ではなく、彼の丹下左膳はこの映画でヒットして以後シリーズ化されたそうである。映画史的には大河内伝次郎の「しぇいは丹下、名はしゃぜん」の名台詞が有名だが、それを同時代に見ていたのは私よりもう一回り上の世代である。他にも月形龍之介や団徳麿が丹下左膳を演じているとのことだが私の記憶にはない。月形龍之介という役者は笑うと笑窪の可愛い独特のキャラで、普段は悪役だがときに善玉になって水戸黄門をやったり今回のように大岡越前を演じたりしてそれも受けた。w
監 督:松田定次
原 作:林 不忘
脚 本:中山文夫
撮 影:川崎新太郎
音 楽:深井史郎
配 役:丹下左膳 …… 大友柳太朗
柳生源三郎…… 大川橋蔵
萩乃 …… 美空ひばり(「じき歌いよる」と言われたりする、東映時代劇には必須の多才で芸達者なキャラクターである)
徳川吉宗 …… 東千代之介
大岡越前守…… 月形龍之介(☆)
蒲生泰軒 …… 大河内伝次郎(☆)
峰丹波 …… 山形 勲(悪役)
お蓮 …… 喜多川千鶴
チョビ安 …… 松島トモ子(これは可愛い♪)
鼓の与吉 …… 多々良純
愚楽老人 …… 薄田研二
柳生対馬守…… 三島雅夫(この人もしばしば悪役を演じたが今回は違って金欠で節約家の小大名のお殿様である)
櫛巻お藤 …… 長谷川裕見子(左膳とは夫婦同然の三味線の師匠)
??? ・・・・・ 団徳麿(☆)
註:(☆)印は元丹下左膳を演じた役者である。
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3.母べえ(2008年公開)
始めに珍しくまともで「水準にはある」と思われるgoo映画の「解説」を引用しておくと: ↓ ↓
日中戦争が泥沼化しつつある頃。野上家では、ドイツ文学者の夫・滋と妻・佳代、そしてしっかり者の長女・初子と天真爛漫な次女・照美の4人が貧しくも明るく暮らしていた。お互いを「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と呼び合う仲睦まじい家族だったが、昭和15年2月、滋が治安維持法違反で検挙されてから苦難の日々が始まった。そんな折、滋の教え子・山崎徹が訪ねてくる。それ以降、徹は一家の手助けをするのだった…。
「時代劇三部作」に続く名匠・山田洋次監督の新作は、長年にわたり黒澤明監督のスクリプターとして活躍してきた野上照代さんが執筆した自叙伝「父へのレクイエム」の映画化。これまで山田監督が常々描いてきた「家族」というテーマの集大成といえる作品に仕上がっている。日本が戦争に向かって突き進んでいた暗い時代を背景に、どんな困難を目の前にしても、常に娘たちに精一杯の愛情を注ぐ母であり、獄中の夫を尊敬し信じ続ける妻を吉永小百合が演じ、新境地を拓いている。細部にまで行き届いた時代考証の緻密さ、昭和初期の街並みを完璧に再現したオープンセットなど、見どころは豊富だ。
↑ ↑ とある。
*この物語が始まる時期=1940年(日本では昭和15年)当時の時代背景としてドイツ軍の「パリ入城」が市井の町内会の話題に上っている。これはヨーロッパ戦線に於いてナチス・ドイツのいわゆる「電撃作戦」が功を奏して一気にフランスを降伏させた戦いで、ウィキペディア「ナチス・ドイツのフランス侵攻」によれば: ↓ ↓
(フランス降伏)
・・ダンケルク包囲戦が終わりドイツ軍が進撃を再開すると、フランス政府は6月10日にパリを無防備都市と宣言して放棄、政府をボルドーに移した。同日、イタリアが英仏に対し宣戦を布告。6月14日にはドイツ軍がパリに無血入城した。
6月21日に、フィリップ・ペタンを首班とするフランス政府はドイツに休戦を申し込み、フランスは降伏した(独仏休戦協定)。
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*帝国陸軍の止め処も無い大陸侵攻を受けて、東京の町会では一介の小市民らが「当面は日独の同盟関係を保持して東は日本が統一し西はドイツが統一する。最後は日独間で《最終戦争》だ」などと浮かれた世間話をしているという、そういう云わば「乾いたニヒリズム」の時代として描かれている。ここに「最終飛行機」とか「最終戦争」とかは言うまでもなく東条英機と覇を争って敗れた石原莞爾の概念である。
*官憲に転向上申書の提出を求められた父べえはそれを書いて提出はするのだがその「作文」の不首尾をかつての自分の教え子(今は取り調べの検事)に指摘される。曰く「例えば《支那事変》のことをあなたは《戦争》と書いたがこれは普通《聖戦》と書くべきところだ」云々。彼はこの教え子検事のことを「君づけ」で呼んで激しく叱責され最後は「国賊」呼ばわりされる。(母べえは夫に差入れするドイツ語書籍を彼の恩師のところへ借りに行くがそこでも思想犯として投獄された夫を詰られる。)
作文に失敗した夫・父べえは拘置所へ移管されそこに投獄されたままで真珠湾攻撃の翌年正月に獄死するのであるが、当時の思想犯は「転向」が認められない限り保釈されることはなかった。保釈が適わない囚人は、日本の敗戦がなければ獄死するしかない運命だったのである。
特高による「転向強要」の眼目は「国体(即ち天皇制)への絶対忠誠及び国体の護持」であり、例えば埴谷雄高によれば(具体的にどういう内容の上申書を書いたかは不明ながら!)「地球も何時かは滅びるからそれまでに天皇制も滅びるが当分天皇制は続く」といった趣旨の上奏文でも通ったということである。笑。
余談ながら埴谷雄高と言えば大変な甘党で、差入れされる砂糖一斤をその都度ぺろりと舐め尽くしていたそうである。戦後、彼の好きなワインもハンガリー産のトカイワインという糖度によってランク付けされる甘口ワインだった。
*母べえの父は元警察署長だったということで、呼ばれて行くとここでも「くだらん思想にかぶれおって」と夫を詰られて「私はあの人と一緒になったことを悔やんだことは一度もありません」と口答えした結果勘当を言い渡され、父と訣別してしまう。
当時「アカにかぶれる」のは庄屋や名士・有力者の息子が帝国大学に入学してそこで感化を受けるケースが多く、一方「無学」なままの「車夫・馬丁の子」は共産主義思想などとは殆ど無縁の生涯を送ったのである。
*全体に抑制の効いたいい映画だとは思うが、イデオロギーが先行して各人物像が類型的に過ぎる等不満な点もないわけではない。
まあしかし、この映画は一度見ただけではよくわからなかったので、もう一度見ようかどうしようか最後まで迷ったが、結局視力・体力を考え「ま、いっか」と諦めて帰ったのである。ぁそ。
母べえ - goo 映画
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私はこの映画(五社英雄監督作品)は今回初めて見た。1982年公開当時、テレビではしきりに「舐めたらいかんぜよ!」という故・夏目雅子の啖呵がスポットで流され流行語にまでなっていたから私は「花子」というのがてっきり夏目雅子の役名だとずっと思い込んでいたがそうではなく、花子というのは「鬼政(おにまさ)」(主演・仲代達矢)が手をつけ拉致同然に組に連れ帰った女中に生ませた一人娘の名前だったのである。私は原作も読んでいないから原作との関係がわからないが、この作品は一応夏目の代表作の一つということになっているが、タイトルで最初に名が出るのは仲代なので主演は彼だろうと思う。また「鬼龍院花子の生涯」という割には彼女の人物像は一向に掘り下げられてはおらず、もっぱら鬼政の破天荒ぶりと、幼少時跡目が欲しい彼の「子買い」の際まるでついでのように連れて来られた松恵(夏目)の数奇な運命が描かれるばかりだった。(冒頭養子縁組の本命だった男の子はすぐに逃げ出してしまう。)
キャスト(役名)
仲代達矢 ナカダイタツヤ (鬼龍院政五郎)
岩下志麻 イワシタシマ (歌)
夏目雅子 ナツメマサコ (松恵)
仙道敦子 センドウノブコ (少女時代の松恵)
佳那晃子 カナアキコ (つる)
内田良平ウチダリョウヘイ (末長平蔵)
夏木マリ ナツキマリ (秋尾)
山本圭 ヤマモトケイ (田辺恭介)
丹波哲郎 タンバテツロウ (須田宇市)
他にも室田日出男、役所広司、梅宮辰夫、進藤恵美、アゴいさむ、中村晃子等多彩な出演陣だったが、その割には私は全体に何処か食い足りない映画だった。あちゃ。
鬼龍院花子の生涯(1982) - goo 映画
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2.丹下左膳(1958年)
この映画は冒頭『東映スコープ公開一周年記念作品』『総天然色』と銘打たれた懐かしの名画で(←シネマスコープとかシネラマとかのワイド画面の映画が当時のトレンドだった。「カラー映画」もまだ新しい時代だったから殊更『総天然色』を謳っている。w)私が小学生の頃大好きだった東映時代劇とは実にこういう役者さんが出演する、かかる雰囲気の映画だったのである。中村錦之介や伏見扇太郎は出ていないがほぼ「東映オールスター総出演」に近い豪華な布陣で、江戸城内や最後の大捕り物のシーンではエキストラもふんだんに使っている。
テレビの普及率はまだ低く、大衆の娯楽の主流は映画館で見る映画であり、銀幕の花形映画スターが、1ランク下のテレビに出ることなどとても考えられない時代だったのである。
この映画自体を昔私が見たことがあるかどうかは定かでないが、私にとっての丹下左膳は大友柳太朗以外ではなく、彼の丹下左膳はこの映画でヒットして以後シリーズ化されたそうである。映画史的には大河内伝次郎の「しぇいは丹下、名はしゃぜん」の名台詞が有名だが、それを同時代に見ていたのは私よりもう一回り上の世代である。他にも月形龍之介や団徳麿が丹下左膳を演じているとのことだが私の記憶にはない。月形龍之介という役者は笑うと笑窪の可愛い独特のキャラで、普段は悪役だがときに善玉になって水戸黄門をやったり今回のように大岡越前を演じたりしてそれも受けた。w
監 督:松田定次
原 作:林 不忘
脚 本:中山文夫
撮 影:川崎新太郎
音 楽:深井史郎
配 役:丹下左膳 …… 大友柳太朗
柳生源三郎…… 大川橋蔵
萩乃 …… 美空ひばり(「じき歌いよる」と言われたりする、東映時代劇には必須の多才で芸達者なキャラクターである)
徳川吉宗 …… 東千代之介
大岡越前守…… 月形龍之介(☆)
蒲生泰軒 …… 大河内伝次郎(☆)
峰丹波 …… 山形 勲(悪役)
お蓮 …… 喜多川千鶴
チョビ安 …… 松島トモ子(これは可愛い♪)
鼓の与吉 …… 多々良純
愚楽老人 …… 薄田研二
柳生対馬守…… 三島雅夫(この人もしばしば悪役を演じたが今回は違って金欠で節約家の小大名のお殿様である)
櫛巻お藤 …… 長谷川裕見子(左膳とは夫婦同然の三味線の師匠)
??? ・・・・・ 団徳麿(☆)
註:(☆)印は元丹下左膳を演じた役者である。
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3.母べえ(2008年公開)
始めに珍しくまともで「水準にはある」と思われるgoo映画の「解説」を引用しておくと: ↓ ↓
日中戦争が泥沼化しつつある頃。野上家では、ドイツ文学者の夫・滋と妻・佳代、そしてしっかり者の長女・初子と天真爛漫な次女・照美の4人が貧しくも明るく暮らしていた。お互いを「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と呼び合う仲睦まじい家族だったが、昭和15年2月、滋が治安維持法違反で検挙されてから苦難の日々が始まった。そんな折、滋の教え子・山崎徹が訪ねてくる。それ以降、徹は一家の手助けをするのだった…。
「時代劇三部作」に続く名匠・山田洋次監督の新作は、長年にわたり黒澤明監督のスクリプターとして活躍してきた野上照代さんが執筆した自叙伝「父へのレクイエム」の映画化。これまで山田監督が常々描いてきた「家族」というテーマの集大成といえる作品に仕上がっている。日本が戦争に向かって突き進んでいた暗い時代を背景に、どんな困難を目の前にしても、常に娘たちに精一杯の愛情を注ぐ母であり、獄中の夫を尊敬し信じ続ける妻を吉永小百合が演じ、新境地を拓いている。細部にまで行き届いた時代考証の緻密さ、昭和初期の街並みを完璧に再現したオープンセットなど、見どころは豊富だ。
↑ ↑ とある。
*この物語が始まる時期=1940年(日本では昭和15年)当時の時代背景としてドイツ軍の「パリ入城」が市井の町内会の話題に上っている。これはヨーロッパ戦線に於いてナチス・ドイツのいわゆる「電撃作戦」が功を奏して一気にフランスを降伏させた戦いで、ウィキペディア「ナチス・ドイツのフランス侵攻」によれば: ↓ ↓
(フランス降伏)
・・ダンケルク包囲戦が終わりドイツ軍が進撃を再開すると、フランス政府は6月10日にパリを無防備都市と宣言して放棄、政府をボルドーに移した。同日、イタリアが英仏に対し宣戦を布告。6月14日にはドイツ軍がパリに無血入城した。
6月21日に、フィリップ・ペタンを首班とするフランス政府はドイツに休戦を申し込み、フランスは降伏した(独仏休戦協定)。
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*帝国陸軍の止め処も無い大陸侵攻を受けて、東京の町会では一介の小市民らが「当面は日独の同盟関係を保持して東は日本が統一し西はドイツが統一する。最後は日独間で《最終戦争》だ」などと浮かれた世間話をしているという、そういう云わば「乾いたニヒリズム」の時代として描かれている。ここに「最終飛行機」とか「最終戦争」とかは言うまでもなく東条英機と覇を争って敗れた石原莞爾の概念である。
*官憲に転向上申書の提出を求められた父べえはそれを書いて提出はするのだがその「作文」の不首尾をかつての自分の教え子(今は取り調べの検事)に指摘される。曰く「例えば《支那事変》のことをあなたは《戦争》と書いたがこれは普通《聖戦》と書くべきところだ」云々。彼はこの教え子検事のことを「君づけ」で呼んで激しく叱責され最後は「国賊」呼ばわりされる。(母べえは夫に差入れするドイツ語書籍を彼の恩師のところへ借りに行くがそこでも思想犯として投獄された夫を詰られる。)
作文に失敗した夫・父べえは拘置所へ移管されそこに投獄されたままで真珠湾攻撃の翌年正月に獄死するのであるが、当時の思想犯は「転向」が認められない限り保釈されることはなかった。保釈が適わない囚人は、日本の敗戦がなければ獄死するしかない運命だったのである。
特高による「転向強要」の眼目は「国体(即ち天皇制)への絶対忠誠及び国体の護持」であり、例えば埴谷雄高によれば(具体的にどういう内容の上申書を書いたかは不明ながら!)「地球も何時かは滅びるからそれまでに天皇制も滅びるが当分天皇制は続く」といった趣旨の上奏文でも通ったということである。笑。
余談ながら埴谷雄高と言えば大変な甘党で、差入れされる砂糖一斤をその都度ぺろりと舐め尽くしていたそうである。戦後、彼の好きなワインもハンガリー産のトカイワインという糖度によってランク付けされる甘口ワインだった。
*母べえの父は元警察署長だったということで、呼ばれて行くとここでも「くだらん思想にかぶれおって」と夫を詰られて「私はあの人と一緒になったことを悔やんだことは一度もありません」と口答えした結果勘当を言い渡され、父と訣別してしまう。
当時「アカにかぶれる」のは庄屋や名士・有力者の息子が帝国大学に入学してそこで感化を受けるケースが多く、一方「無学」なままの「車夫・馬丁の子」は共産主義思想などとは殆ど無縁の生涯を送ったのである。
*全体に抑制の効いたいい映画だとは思うが、イデオロギーが先行して各人物像が類型的に過ぎる等不満な点もないわけではない。
まあしかし、この映画は一度見ただけではよくわからなかったので、もう一度見ようかどうしようか最後まで迷ったが、結局視力・体力を考え「ま、いっか」と諦めて帰ったのである。ぁそ。
母べえ - goo 映画
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