本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

16Blocks/Babel/+1.

2008-02-02 16:10:00 | 
1.16ブロック。
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*この映画はどこがいいと言ってケーキ職人を目指す小悪党=エディ・バンカー役のMos Def(モス・デフ)のずるずる・ねちねち・だらだらの饒舌な台詞回しが秀逸だった。これはいったいどういう人なのかと思って検索してみたら、この人はミュージシャン(ラッパー)で2枚目のアルバムは結構ヒットしたらしいから、元々は抜群の音感というかブルックリン訛か何か知らないけれど現代音楽的センスの具わっている人だったのだ。彼のアルバムなら機会があったら買ってもいいと思ったくらい、目下私ってば惚れ込んでいるのだ。あちゃ。

 で、この映画は現オバマ米大統領候補のスローガン="Change"(変わる、変える)が人の口の端に頻繁に上る遥か以前に作られているんだけど、このエディもまた「強盗だったチャック・ベリーも変わったように、人間は変わり得るんだ。人間は変わるんだ」としばしば口にして、「自暴自棄になっている」と実の妹にまで見放されてしまった酔いどれ悪徳コップ(刑事)を励ますんだね。エディが手にして離さない「黒の手帳」即ち刑務所服役中に囚人仲間から学んだというケーキ作りのノート(レシピ集)という小道具も憎いくらいに効いていて、私はこの映画だけでも十二分に元はとったと言えるくらい堪能した。なんせ500円てか、金額云々ではない?あっそ。
 エディはまた"Good Sign"(=邦訳「吉兆」)という言葉もよく口にしていたが、今ならこの言葉から「船場吉兆」を連想する日本人も少なくないだろう。w

 で、以下はネタばれだが→アル中の悪徳刑事ジャック・モーズリー(=ブルース・ウイルス)が最後の場面に持ち出した司法取引の条件が「エディの犯罪歴の抹消」という一点だけだったというのもなかなか泣かせる設定で、結果大審院で証言したジャックは自らの自供による旧悪の露呈~確定によって2年間服役することになるわけである。いやぁ、実にいい映画だった。w

 ↓ 以下はgoo映画からのねたばれ解説です。

 夜勤明けで署に戻った刑事ジャック・モーズリーは、上司に簡単な任務を課せられた。それはわずか16ブロック先の裁判所まで囚人エディ・バンカーを護送するというもの。嫌々任務を引き受けたジャックはエディを車に乗せて護送を始めたものの、渋滞やうるさいエディに嫌気がさし、エディを車に残したまま酒を買いに行ってしまう。だがジャックが車に戻ってくると、そこにはエディに向けて銃を構える男がいて……。

脂肪で突き出た腹、どこか見苦しい口ひげ、ずるずると引きずる足……。主人公ジャック・モーズリーを演じるブルース・ウィリスには、かつて「ダイ・ハード」シリーズで見せたような精悍さやワイルドさはかけらもない。そんな彼が警察の汚職にまつわる事件に巻き込まれていく姿を描いたのがこの作品。老いたかつての敏腕刑事が1人の囚人を護る様子を、ときに激しい銃撃戦、ときに絶妙な間の会話を用いて映し出していく。その中でブルース・ウィリスは、くたびれた中年刑事から渋くて正義感の強い男へと変化。アクションヒーローとはまた違った輝きを見せてくれるようになる。新たなブルース・ウィリスの魅力を発見できるドラマだ。

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2.バベル(2006年)←公式HP。

*この映画に関しては、まず最初に以下の優れた『解題』 ↓脳科学で読み解くバベルを読んで戴くことから始めましょうか。

人類の不幸の多くは、コミュニケーションがうまく行かないことから起こる。日常のちょっとした行き違いから、地球全体を悲劇へと引きずり込んでしまうような戦争まで。意志の疎通さえうまく行っていれば避けられたはずの齟齬が、私たち人類の魂を根底から揺り動かし、時にその存在さえ脅かす。
 コミュニケーション不全からもたらされる悲劇を確実に避ける方法が、実は一つだけある。他人との一切の交渉を絶つことである。そもそも他者とかかわらなければ、傷つくこともないし、動揺することもない。一人でいることは気楽なものである。実際、現代社会にはそのような選択を志向する若者がいることを私たちは知っている。
 しかし、人生というものが他人との付き合いを絶つことでは済まないこともまた事実である。一人では生きてはいけないからこそ、私たちは時には傷つけ合ってでも、人と向き合わなければならないのだ。
 『バベル』は、つながりが密になり、ますます小さくなっていく世界の中で、人と人とが向き合うことの難しさと、心がかろうじて通じ合った時の喜びを描いた映画である。
 他人と向き合うというと、私たちはついつい家族や友人、同じ学校や会社の人々といった、身近な存在を思い浮かべる。近しい人とさえ、心を通わせることは難しい。『バベル』でも、菊地凛子が演じるチエコと、役所広司が演じるヤスジローは、親子であるにもかかわらずなかなか分かり合えない。
 『バベル』は、慣れ親しんだ身近な範囲を超えて広がる、容易に想像できないような因果の連鎖を通して、人々がいかに(時には暴力的なかたちで)結びつけられるかをリアリティを持って描く。隣人が父親に銃を売りさえしなければ、兄弟はそれを手にすることはなかったろう。その銃は、もともとはヤスジローが狩猟に訪れた時の置きみやげだった。ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットが演じるアメリカ人夫妻が巻き込まれる悲劇。アメリカとメキシコとの国境の砂漠地帯で命の危険にさらされる子どもたち。巻き込まれる者たちの人生を揺るがせるさまざまな出来事が、些細な事件が当事者の意図を越えて結びついていった結果として起こる。
 人間の脳は、他人の心を推し測る素晴らしい働きを持つ。前頭葉には、他人の行動を、あたかも「鏡」に映った自分の行動であるかのように受け入れる「ミラーニューロン」と呼ばれる神経細胞があり、決して完全にはわからない他人の心を、何とか読み取ろうとする。そうすることが、生きる上で大切な意味を担うからこそ、進化の過程で「鏡」のように他人の行動や心を映し出す神経細胞が生まれてきたのである。
 世界中のどの人からどの人へも、6人程度の友人を経由すればたどり着ける「スモール・ワールド・ネットワーク」が出現していると言われる現在の地球社会。目の前にいる人だけでなく、目に見えないつながりによって結ばれている人々にも、「ミラーニューロン」の想像の翼をのばす必要性が、かつてなく高まっている。
 『バベル』に描かれた、思いがけない結びつきがもたらす時としてあまりに暴力的な連関は、最後に、和解へのかすかな希望をいだかせる。小さくなった世界の中での人々の結びつきは、恐怖と不安の種となるのか、それとも希望の糧とすることができるのか。その結末は、私たちの想像力一つにかかっている。

以上↑ by茂木健一郎(もぎ けんいちろう)
1962年10月20日東京生まれ。脳科学者。
ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。
「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。
主な著書に『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『脳と仮想』(新潮社)などがある。
さらに、PSPゲームソフト「脳に快感 アハ体験!」の監修や、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』キャスターも務める。
提供: ギャガ・コミュニケーションズ 配給: ギャガ・コミュニケーションズ powered by ヒューマックスシネマ Copyright ©2006 by Babel Productions, Inc. All Rights Reserved.

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*『エコノ研究所』という人の映画評はこの映画が描出した問題点とこの映画自身への疑問点をかなり正確かつ広汎に逐一(かどうか)網羅しているように思われる。

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*"Babel"は山田洋次監督も絶賛したというつい最近の話題作で私も期待したが、期待が大き過ぎたせいか、「別にどうということもない映画じゃないか」(!)というのが私が最初に抱いた正直な感想である。(ついでに言えば、私の興味は今はトビタシネマで近日上映予定の『ホテル・ルアンダ』の方に移ってしまっている。あっちゃ。)
 面白いのでついつい全文引用してしまった↑上記解説にあるように《世界中のどの人からどの人へも、6人程度の友人を経由すればたどり着ける「スモール・ワールド・ネットワーク」が出現している》というのがこの映画の主要コンセプトのようである。
 つまりは今も流行っているのかどうか『なんとか繋がり』で辿って行けば、世界中60億人の人々が、せいぜい六人の友人を順番に介して行くだけで全部繋がってしまうということを『実証』している(?)映画らしいのである。
 そんなことだけだったら(!)何もこんな仰々しい映画を作って貰わなくても、5分も説明してくれればわかると言いたい気もするが、これが映画の魔力というか威力というか神通力の一つというもので、公式HPにもこの映画のリアルな描写を見て気分が悪くなった人が続出したと紹介されていたけれど(*)、要はこの映画は『感動巨編』を銘打ったような作り方を予め拒否した地点から、ドキュメンタリータッチでぶつ切り細切れ的に作られているかなり理屈っぽくて能書きの多そうな映画であって、なぜブラピなのか(笑)と言えばこれはプロデューサーが優秀だったからとしか言いようがない。これをもし役所もブラピも使わずにその辺の(?)役者さんで撮っていたとしたら観客があんなに呼べたかどうかは甚だ疑問だ。だって、これって見ているだけで楽しさと面白さでもってぐいぐい引き込まれしまう映画だとは到底言えないもんね。ぁそ。

(*)後註:気分が悪くなったのはディスコのシーンでの、強烈な光の点滅によるものだったらしい。

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*菊池凛子ちゃんが(ポッ)ああいう役どころとは知らなかった。笑。あちゃ。
 なんと言ってもタイトルがタイトルだから言葉の問題から更には聾唖者の問題を扱うのに何の疑問も不思議も不自然さもない。個人的にはチエコこと凛子ちゃんの友達の鼻ピアスの子があっけらかんとしていて「タイプよ♪」という感じで良かった。ポッ。あと新宿の大ガード周辺(?)のロケとかも個人的には懐かしくて良かった。あっそ。
 性体験がないことを周囲のともだちからからかわれてなんとかしたいとあせるセレブな聾唖の高校生チエコ(菊池凛子)だが、最後の詰めの段になると日和って身を引いてしまうのでアル。彼女は「母親の自殺」という家庭問題も抱えていて(←そう、「家庭の崩壊」という古くて新しいテーマもこの映画には埋め込まれている)、この「日本セクション」だけでも充分1本の作品を撮ることが可能だった筈だがこれも全体が一つのエピソード然とした扱いで、父親役の役所公司にしてもあくまで「ちょい役」的出演に過ぎず、掘り下げた性格描写が為されたわけではなかった。

 モロッコの砂漠の一家の話からは私は旧約聖書を連想した。あのあたりの人々は(イスラム圏ではあるだろうが)いまだに聖書物語の世界に暮らしているような印象を受けたのである。で、アベルとカミュではないけれど、あの利発な弟はほんとに悪い奴で(笑)私は劇中何度も「お前だよ、お前!」と言ってやりたい程だったがそういう観客が出現することを予め想定しているのか、この弟には「全部僕がやったんだ!」と警察に向かって号泣しながら懺悔させ、そういう場面を作ることによって、この事件を浄化するよう努めている。

cf.Tower of Babel.
cf.Babel←で、こっちはパラマウントの公式サイト。

cf.さくらの映画スケッチ。←ここは実に詳しい。

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3.ローグーアサシンは駄作とは言わないまでも、前二作と比較すると私の評価は断然下がる。ちゃいっ。尤もこれがGYAOとかで見られるとなれば喜んで見ただろうけどね。
 あと、アサシンと言えばFFシリーズのアサシンダガー(朝死んだがぁ?)を思い出す私です。
 そう言えば月が替わってようやくGYAOのラインアップも変わるから楽しみだ。 いやぁ、映画ってほんとにいいですね。ぁそ。


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