*『現代』というのが"modern times"の訳語かと思っていたら、それでも間違いではないがこれはむしろ『近代』の方の訳語であって、『現代』は"our time"とか"this age"とかの訳語として充てられているようである。英英辞典がないから(はあ?)正確な詳しいことはわからない。wあちゃ~っ。
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*1492年・・コロンブス一行が「西インド諸島」に到達し、北米大陸そのものを発見 したのはアメリゴ・ベスプッチということになっているが、これはあくまで「西欧近代史」の歴史観であって、昔地続きだったベーリング海峡を渡って、後に「インディアン=インド人」と呼ばれることになった所謂アメリカ原住民らの存在は全く軽視されたままである。そして我々は今尚この西欧中心史観を唯一無比の真実として義務教育で学ばされている。このように明治期の我が国指導層を席捲した「欧化思想」が今も健在なのであるから『忠米亡国の売国奴=小泉ポチ』も決して突然変異によって誕生したわけではない。
*1498年・・バスコ・ダ・ガマの部下達による世界一周の完遂によって地球=大地が丸いことが「実証」された。ガマ本人はフィリッピンで殺された。地の果てが滝になってはいないことがわかったのはほんの500年程前のことだったのである。
*故向田邦子のTVドラマ『阿修羅の如く』ではトルコ軍楽隊の行進曲がテーマソングに使われていた。これは3拍子(+1休止符)でステップを踏みながら歌いつつ右左と巧みに楽隊自らの向きを変えて行進して行くという名曲で、モーツアルト・ベートーヴェンの「トルコ行進曲」にもその独特のリズムが刻まれており、往年の威光の片鱗が窺われる。彼らイスラム勢力は一時期(8C)スペインの一部にまで立国していた言わば「(先行)逆十字軍」であって、ウィーン市民らも後には彼らの進軍に肝を冷やしていたのである。
*アジア的田舎者の思想から脱却すべしという、福沢諭吉の『脱亜論』はどうか。
彼は朝鮮半島の近代化を期待したがそれは清国の妨害によって阻まれたため、以降彼は殖民思想に傾倒・純化していったということになっているが、真偽の程はどうだろうか。植民地を持つことの『功罪』などが本格議論されるまでには先の大戦の終了を待たねばならない。
維新の英雄=西郷隆盛も「台湾を取れ」と時の政府に進言したくらいで、『欧化思想』から自由であった人間が当時の日本にいたのかどうかは甚だ疑わしい。
それはそうだ。厳密な法整備が為された上、議会がある。選挙によって選出された国民の代表が公開の議論をして政治を決している。都市建設、道路、近代医学、組織された軍隊と教育、黒船、大砲と、どれをとっても我が先達たちはただただ圧倒されるばかりであった。
欧米諸国に学び、これに追いつき、これに伍せ。これが維新の元勲たちの至上命題だった。
当時欧米列強がこぞって為そうとしていたのは「植民地経営」である。植民地を持たない国は「一等国」ではない。であるならば、どこかを獲れ!・・とそう彼らが考えたとしてもそれは責められるものではなかった・・?
それで運良く日清・日露の戦争にも連勝した我が国はすっかりその気になってしまったのであるが、そんな事態を漱石あたりは深刻に憂えていた。
「『ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする』で始まった我が国近代化が結局そのまま1945年の敗戦にまで突き進んでしまったのだから、日本に罪は無い」というのがその辺の(!)「チンピラ右翼」的連中の「思想的根拠付け(?)」になっているわけであるが、歴史はそれ程単純ではない。w
*明治天皇が欧米列強に伍して一つのテーブルで仲良く『支邦』というビフテキを食している有名な戯画がある。「一等国」に仲間入り出来て良かったね、と揶揄されているのである。当時の戯画に描かれた日本人は大方出目で出っ歯(反っ歯)である。
*ひたすら「西へ」突き進んだ新勢力=アメリカの所謂『フロンティア・スピリット=開拓者魂』については以前書いた。独立戦争・南北戦争を皮切りに、アメリカ原住民を基本的には皆殺しにして北米大陸の西端まで到達した彼らは、ハワイ・フィリッピンを手に入れ、ジャップを原爆2発付で滅ぼし、朝鮮半島にも介入して中国人民軍とも闘い、台湾政府を今尚守護しつつ、ヴェトナム・アフガンからイラン・イラクへと地球をほぼ一周してしまう勢いである。最後は旧宗主国=イギリスを手中に収めるつもりだろうか。w
こんなに戦争が好きな連中は他にはジンギスカンの蒙古くらいしか思いつかない。
シュメール帝国も旧ローマ帝国も、あるいは漢民族の帝国にしても版図そのものが小さい。
いずれにしても、アメリカの歴史というのは戦争の歴史である。
*私が「近代というのはのっぴきならない椅子取りゲームなんだな」と冴えない頭で熟考していた頃、故黒澤明監督の『影武者』が封切られた。
彼があの映画で描いてみせた『桶狭間の合戦』は言わば象徴主義であってリアリズムではない。あれが『近代』というものの本質に迫っていると私は思った。騎兵隊と「インディアン」との戦闘シーンにも使えると、アメリカの誰やらも絶賛していた。
*1965年『言葉と物』(M・フーコー)は既に『デジタルとアナログ』の問題を取り上げている。そういった問題も関連して来ると思うが今日はここまでです。w
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*1492年・・コロンブス一行が「西インド諸島」に到達し、北米大陸そのものを発見 したのはアメリゴ・ベスプッチということになっているが、これはあくまで「西欧近代史」の歴史観であって、昔地続きだったベーリング海峡を渡って、後に「インディアン=インド人」と呼ばれることになった所謂アメリカ原住民らの存在は全く軽視されたままである。そして我々は今尚この西欧中心史観を唯一無比の真実として義務教育で学ばされている。このように明治期の我が国指導層を席捲した「欧化思想」が今も健在なのであるから『忠米亡国の売国奴=小泉ポチ』も決して突然変異によって誕生したわけではない。
*1498年・・バスコ・ダ・ガマの部下達による世界一周の完遂によって地球=大地が丸いことが「実証」された。ガマ本人はフィリッピンで殺された。地の果てが滝になってはいないことがわかったのはほんの500年程前のことだったのである。
*故向田邦子のTVドラマ『阿修羅の如く』ではトルコ軍楽隊の行進曲がテーマソングに使われていた。これは3拍子(+1休止符)でステップを踏みながら歌いつつ右左と巧みに楽隊自らの向きを変えて行進して行くという名曲で、モーツアルト・ベートーヴェンの「トルコ行進曲」にもその独特のリズムが刻まれており、往年の威光の片鱗が窺われる。彼らイスラム勢力は一時期(8C)スペインの一部にまで立国していた言わば「(先行)逆十字軍」であって、ウィーン市民らも後には彼らの進軍に肝を冷やしていたのである。
*アジア的田舎者の思想から脱却すべしという、福沢諭吉の『脱亜論』はどうか。
彼は朝鮮半島の近代化を期待したがそれは清国の妨害によって阻まれたため、以降彼は殖民思想に傾倒・純化していったということになっているが、真偽の程はどうだろうか。植民地を持つことの『功罪』などが本格議論されるまでには先の大戦の終了を待たねばならない。
維新の英雄=西郷隆盛も「台湾を取れ」と時の政府に進言したくらいで、『欧化思想』から自由であった人間が当時の日本にいたのかどうかは甚だ疑わしい。
それはそうだ。厳密な法整備が為された上、議会がある。選挙によって選出された国民の代表が公開の議論をして政治を決している。都市建設、道路、近代医学、組織された軍隊と教育、黒船、大砲と、どれをとっても我が先達たちはただただ圧倒されるばかりであった。
欧米諸国に学び、これに追いつき、これに伍せ。これが維新の元勲たちの至上命題だった。
当時欧米列強がこぞって為そうとしていたのは「植民地経営」である。植民地を持たない国は「一等国」ではない。であるならば、どこかを獲れ!・・とそう彼らが考えたとしてもそれは責められるものではなかった・・?
それで運良く日清・日露の戦争にも連勝した我が国はすっかりその気になってしまったのであるが、そんな事態を漱石あたりは深刻に憂えていた。
「『ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする』で始まった我が国近代化が結局そのまま1945年の敗戦にまで突き進んでしまったのだから、日本に罪は無い」というのがその辺の(!)「チンピラ右翼」的連中の「思想的根拠付け(?)」になっているわけであるが、歴史はそれ程単純ではない。w
*明治天皇が欧米列強に伍して一つのテーブルで仲良く『支邦』というビフテキを食している有名な戯画がある。「一等国」に仲間入り出来て良かったね、と揶揄されているのである。当時の戯画に描かれた日本人は大方出目で出っ歯(反っ歯)である。
*ひたすら「西へ」突き進んだ新勢力=アメリカの所謂『フロンティア・スピリット=開拓者魂』については以前書いた。独立戦争・南北戦争を皮切りに、アメリカ原住民を基本的には皆殺しにして北米大陸の西端まで到達した彼らは、ハワイ・フィリッピンを手に入れ、ジャップを原爆2発付で滅ぼし、朝鮮半島にも介入して中国人民軍とも闘い、台湾政府を今尚守護しつつ、ヴェトナム・アフガンからイラン・イラクへと地球をほぼ一周してしまう勢いである。最後は旧宗主国=イギリスを手中に収めるつもりだろうか。w
こんなに戦争が好きな連中は他にはジンギスカンの蒙古くらいしか思いつかない。
シュメール帝国も旧ローマ帝国も、あるいは漢民族の帝国にしても版図そのものが小さい。
いずれにしても、アメリカの歴史というのは戦争の歴史である。
*私が「近代というのはのっぴきならない椅子取りゲームなんだな」と冴えない頭で熟考していた頃、故黒澤明監督の『影武者』が封切られた。
彼があの映画で描いてみせた『桶狭間の合戦』は言わば象徴主義であってリアリズムではない。あれが『近代』というものの本質に迫っていると私は思った。騎兵隊と「インディアン」との戦闘シーンにも使えると、アメリカの誰やらも絶賛していた。
*1965年『言葉と物』(M・フーコー)は既に『デジタルとアナログ』の問題を取り上げている。そういった問題も関連して来ると思うが今日はここまでです。w