本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

『赤ちゃん教育』ってか。

2006-08-20 01:15:07 | 
スクリューボール・コメディの傑作の一つというのがこの『赤ちゃん教育』であるが、この邦題は良くない。『赤ちゃん』ではなく『Baby』という名のペットの豹がブラジルから送られて来るという話がライトモチーフになっているのであるし、別に豹を教育するという話でもない。

*原題は『Bringing up Baby』(1938)だから『Babyを抱き上げて(連れて)』くらいの意味である。

 スクリューボールと言えば本来は左ピッチャーが投げる沈むシュートのことだが、『スクリューボール・コメディ』と言えば米映倫の審査が厳しかった時代(1930-40's)に作られたドタバタ恋愛活劇の総称で、喧嘩ばかりしている男女が結局最後には結ばれるといったストーリーは一見出たとこ勝負的な成り行き任せではあるが、洒落た「くすぐり」がふんだんに散りばめられていて、よく笑えるように創り上げられている名画である。

『クラシック映画用語辞典』というところがあるので参考にされたらいいと思う。

 で、映画に関しては、筋とか内容とかに関わる話は極力避けるべきであるというのが私の基本的なスタンスなので、一つだけ言及しておくと、キャサリン・ヘプバーンに最後は婚約者(ケーリー・グラント)を奪われる形となってしまう女性が「あなたは女から女へと渡り歩くバタフライよ!」と決めつけて去る件である。

 私が成る程と思ったのは女性を花に、男性をチョウチョに譬えるのが普通の発想であって、それなら先日どこかに書いた戦争直後の日本女性の話=「オンリーちゃんとバタフライの話」はちょっとおかしいのではないか、何故ならそこでは女性がチョウチョに擬えているから・・という疑念である。

 それともう一つ、アメリカは「孤立主義」を止めて「世界経営」「世界戦略」を目指すことになった第二次大戦後にどうもはっきり、世界的におかしくなったのではないかという、そういう疑いも私にはある。
 勿論欧州の人間から見た「新大陸」発見後の南北アメリカ原住民虐殺という血塗られた歴史こそが所謂『近代』というものの基本的な性格ではあるのだろうが。



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