パチンコと競艇の敗北が続いたので、今日からは当分行くところもすることもない。私は部屋に居ると気持が鬱屈して来るので出来れば毎日何処かに出掛けたい人間なのだが、こんなに金のかかる遊びばかりを繰り返していたらいずれはパンクするに決まっている。いつも言っていることだが、体調が良かったら18切符で小旅行でもしたいところだ。しかし今はそれも困難だ。ちょっと前だったら新幹線にでも乗って、一泊若しくは日帰りの旅行にも行けた筈だが今はそれも難しい。進退ここに極まった無為な初老の男である。
空き巣、泥棒、ひったくり、もっと非道いところでは押し込み強盗から更には強盗殺人に至る迄、凶悪な犯罪を犯した人間が当局の事情聴取の進展に応じて次第に報道機関から曝露されるのが「これは《遊ぶ金欲しさの犯行》だ」という簡略化されたお定まりの個人情報である。「(犯行に及んだ人間は)ギャンブルやパチンコをしたいという欲求と衝動をどうしても抑えられなかったのだ」という御丁寧で、しかし余りにも人間の所業を単純化し切った《解説》である。そんな説明をされると、私などは「世の中そんな人間で満ち溢れているのか」と言いたいくらいな驚きの印象を受ける。情報受け手の反応迄もが図式化されパターン化されるのである。
私個人はどうだろうか?
私はいくらパチンコや競艇をしたくなっても強盗や掻っ払いまではしたくないし事実しないだろうと自認しているが、それはその結果犯行が発覚して逮捕され入獄するのが嫌だからではないと言い切るだけの自信はない。「クソ!俺の人生は終わった。後は野となれ山となれだ!どうなってもいい」とそう感じた人間は相当なことをしでかすのではないか。つまり人間心理初動の基本は「己の欲望こそが最優先される」という辺りに在るのではないか、そんな疑念が払拭され難い今朝の私の「敗北の朝」である。