夏の一番の楽しみは、スイカです。暑い午後に冷えたスイカにカブリつくと、冷たい果汁がサッと口中に広がって暑さを、忘れます。
スペイン巡礼の事をブログにアップしている間に4年に一度のサッカーワールドカップが始まりそして終りました。
スペインが最初の試合で負けてしまったのを見てとても心配だったのですがその後の試合を全て勝ち、世界チャンピオンになってしまいました。
ちょうど私がスペインへ行っていた頃はスペインがヨーロッパチャンピオンになった後で、国内は次のワールドカップにも凄く期待が集まっていてよくテレビで騒いでいました。私のスペイン巡礼中にオランダからの自転車巡礼者とお話した事もありました。ガリシアでタコも食べました。決勝のスペイン対オランダの試合はそんな事も思い出しながら、朝3時に起きて延長までハラハラしながら楽しむ事が出来ました。スペインおめでとう。
世界の大イベントが終わりホッとした所で私の大イベントの発表です。
7月20日から北海道を自転車で廻って来ます。最初は千歳へ飛行機で移動。ソコから苫小牧まで行ってグルッと時計回りに廻ってこようというのがオオザッパな予定です。お遍路や旧東海道のようにゴールを決めず、テントと安宿を使いノンビリと時間をかけて年寄りらしくフラフラと廻ってきます。その状況はこのブログでアップ予定です。お楽しみに。
スペインが最初の試合で負けてしまったのを見てとても心配だったのですがその後の試合を全て勝ち、世界チャンピオンになってしまいました。
ちょうど私がスペインへ行っていた頃はスペインがヨーロッパチャンピオンになった後で、国内は次のワールドカップにも凄く期待が集まっていてよくテレビで騒いでいました。私のスペイン巡礼中にオランダからの自転車巡礼者とお話した事もありました。ガリシアでタコも食べました。決勝のスペイン対オランダの試合はそんな事も思い出しながら、朝3時に起きて延長までハラハラしながら楽しむ事が出来ました。スペインおめでとう。
世界の大イベントが終わりホッとした所で私の大イベントの発表です。
7月20日から北海道を自転車で廻って来ます。最初は千歳へ飛行機で移動。ソコから苫小牧まで行ってグルッと時計回りに廻ってこようというのがオオザッパな予定です。お遍路や旧東海道のようにゴールを決めず、テントと安宿を使いノンビリと時間をかけて年寄りらしくフラフラと廻ってきます。その状況はこのブログでアップ予定です。お楽しみに。
サンティアゴ・デ・コンャXテーラでは、16世紀には巡礼者たちの病院だったところが五つ星ホテル為っていてソコに宿泊しました。建物の(田の字になっている)中心が礼拝堂そして周りの「線」が元病室で廊下に出ると礼拝堂のミサにそのまま参加できる構造になっていた。現在は病室が客室になっていた。
各「口」の真ん中は入口に近い方2つは噴水が有りそこで当時は「ヒル」が飼われていたとか。奥の二つは綺麗な庭園になっていてやはり当時は薬草園だったとか。
大きな地図で見る
この1階の部屋に宿泊。面白くて探検して歩く。同じ作りになっていて廻っているうちに迷ってしまう。現在は一階だけが客室になっていたが忙しいときは二階もあるらしい。
ダンジョンめぐりはロープレゲームの定番だがそれを実際の建物のでやっている気がしました。
やっと出口を発見して外へ。
大聖堂と同じように石造が飾られて歴史を感じる建物です。石造りの建物は壁の厚さがとても厚くトイレの外を覗くことも大変。
日本の木造文化とスペインの石造り文化の違いに大変な隔たりを感じる探検でした。
本日は、バスで地球が平板であると考えられていた時代の最果ての地「フェニステーレ」に行ってみた。
当時の地図では、地中海が真ん中でその周りにローマが有りエジプトが有りイスラエルが有りトルコが有りフランススペインが平板地図の西の果てだった頃の果ての果てがフィニステーレだった。イスラエルのイエスの弟子ヨセフ(スペイン語でサンティアゴ)が最果ての地へ布教に来てその後亡くなった後もその地の守り神になる伝説の大事な舞台がここにある。そして巡礼者がサンティアゴ・デ・コンャXテーラまで無事に到着すると「最果ての地」へ行き着ていたもの全てを焼き払い生まれ変わって再生すると言う大事な行事が合ったらしい。今では公害対策や環境問題で靴の紐一本だけ燃やすなどが行なわれているとか。代わりの紐を持っていなかったので私は東京から持ってきた石を最果ての岬にある石の十字架に積んで無事に到着できた報告をしました。
周りを見ると確かに「地の果て」。現代知識を持っていればこの海の向こうにアメリカ大陸があるはずだが・・・・。本当か?
これでスペイン巡礼が終ったわけだが不信心の私としてはこれからがとても楽しみだった。それはガリシアの海の幸と御土産探しでした。
これが有名な(オッパイチーズ)。他にも生ハムとかソーセージとかイロイロあるが農産物はほとんど日本国内へは持ち込めない。残念。
バールで一息ついて考えよう。カフェ・コンレチェ
フィニステーレのおみやげ物屋は江ノ島を思い出させた。
お昼は結願記念、ガリシア風ホタテの料理、ガリシア風タコ、ガリシア風タラとガリシア尽くし。
デザートのプリンも美味しかった。
さよならフェニステーレ岬。この先端に十字架が在った。
サンティアゴ・デ・コンャXテーラへ戻る途中に中世の橋を見物。のどかな時間が過ぎている所だと思う。
迷路のような旧市街に戻りおみやげ物探し。沢山有って迷いながら買い物を楽しむ。旧市街は狭く、すぐに町外れまで来てしまうが、旧市街の外側の公園から眺める大聖堂も中々良い。
又街へ戻りフラフラ。本屋さんで「Harumi Kurihara」発見。
他にもいろいろ発見があって楽しい散歩でした。楽しい時間の経つのは早くもう、暗くなって晩御飯の時間になる。ガリシアの海の幸!!!
ここまでで二本のガリシア白ワインが空いてよい気分。
フラフラと「CASINO」という旧いバールへ移動して甘いものを頂く。
歩いて、パラドールまで帰る道の充実した気分は最高のものでした。パラドール前から見た大聖堂。空には満月が輝き綺麗でしたが写真はピンボケ。
明日は日本に向けて帰ります。食べ続けたこの旅行で体重が「ドンだけ」増えているかとても不安です。
各「口」の真ん中は入口に近い方2つは噴水が有りそこで当時は「ヒル」が飼われていたとか。奥の二つは綺麗な庭園になっていてやはり当時は薬草園だったとか。
大きな地図で見る
この1階の部屋に宿泊。面白くて探検して歩く。同じ作りになっていて廻っているうちに迷ってしまう。現在は一階だけが客室になっていたが忙しいときは二階もあるらしい。
ダンジョンめぐりはロープレゲームの定番だがそれを実際の建物のでやっている気がしました。
やっと出口を発見して外へ。
大聖堂と同じように石造が飾られて歴史を感じる建物です。石造りの建物は壁の厚さがとても厚くトイレの外を覗くことも大変。
日本の木造文化とスペインの石造り文化の違いに大変な隔たりを感じる探検でした。
本日は、バスで地球が平板であると考えられていた時代の最果ての地「フェニステーレ」に行ってみた。
当時の地図では、地中海が真ん中でその周りにローマが有りエジプトが有りイスラエルが有りトルコが有りフランススペインが平板地図の西の果てだった頃の果ての果てがフィニステーレだった。イスラエルのイエスの弟子ヨセフ(スペイン語でサンティアゴ)が最果ての地へ布教に来てその後亡くなった後もその地の守り神になる伝説の大事な舞台がここにある。そして巡礼者がサンティアゴ・デ・コンャXテーラまで無事に到着すると「最果ての地」へ行き着ていたもの全てを焼き払い生まれ変わって再生すると言う大事な行事が合ったらしい。今では公害対策や環境問題で靴の紐一本だけ燃やすなどが行なわれているとか。代わりの紐を持っていなかったので私は東京から持ってきた石を最果ての岬にある石の十字架に積んで無事に到着できた報告をしました。
周りを見ると確かに「地の果て」。現代知識を持っていればこの海の向こうにアメリカ大陸があるはずだが・・・・。本当か?
これでスペイン巡礼が終ったわけだが不信心の私としてはこれからがとても楽しみだった。それはガリシアの海の幸と御土産探しでした。
これが有名な(オッパイチーズ)。他にも生ハムとかソーセージとかイロイロあるが農産物はほとんど日本国内へは持ち込めない。残念。
バールで一息ついて考えよう。カフェ・コンレチェ
フィニステーレのおみやげ物屋は江ノ島を思い出させた。
お昼は結願記念、ガリシア風ホタテの料理、ガリシア風タコ、ガリシア風タラとガリシア尽くし。
デザートのプリンも美味しかった。
さよならフェニステーレ岬。この先端に十字架が在った。
サンティアゴ・デ・コンャXテーラへ戻る途中に中世の橋を見物。のどかな時間が過ぎている所だと思う。
迷路のような旧市街に戻りおみやげ物探し。沢山有って迷いながら買い物を楽しむ。旧市街は狭く、すぐに町外れまで来てしまうが、旧市街の外側の公園から眺める大聖堂も中々良い。
又街へ戻りフラフラ。本屋さんで「Harumi Kurihara」発見。
他にもいろいろ発見があって楽しい散歩でした。楽しい時間の経つのは早くもう、暗くなって晩御飯の時間になる。ガリシアの海の幸!!!
ここまでで二本のガリシア白ワインが空いてよい気分。
フラフラと「CASINO」という旧いバールへ移動して甘いものを頂く。
歩いて、パラドールまで帰る道の充実した気分は最高のものでした。パラドール前から見た大聖堂。空には満月が輝き綺麗でしたが写真はピンボケ。
明日は日本に向けて帰ります。食べ続けたこの旅行で体重が「ドンだけ」増えているかとても不安です。
本日はサンチャゴ巡礼結願の日で、6時には起きて朝食を摂る。モンテ・ド・ゴゾに宿泊した人たちが沢山居る割りにユッタリと食事をして歩き始める。
今日も曇り空で今にも降りだしそう。でも気分はウキウキ。1時間でサンチャゴの街の入口へ到着。
本日は、日曜日の朝で皆さん夜遊びの後まだまだ静かに寝ているようだ。
でも大聖堂へ近づくとドンドン巡礼者の数が増えてきて9時からの巡礼証明書(コンャXテラ)をもらう手続の場所には列が出来ていた。
事務所の中も大混雑
私も頂きました。ラテン語で「この者は宗教上の理由でコンャXテラを歩いたことを証明する」と書いてあるらしい。(読めませんが)
大聖堂の前に行って巡礼報告をして正面に在る帆立貝のマークを写真に収める。
大聖堂の三本の塔は曇り空にそびえていた。
今年は聖年と言う事で沢山の巡礼者が集まり大混雑です。正面の階段(オブラドイロ広場側)からは入れず大聖堂の北の門から入り、正面の門へ抜けるという一方通行になっていました。しかし12時から始まる『巡礼者のミサ』には何時間も前から中に入って待つ人が一杯で出る人はいません。北の門の上の彫刻とミサに参加しようとする巡礼者達。
中も一杯で立っているのが辛い。
正面には香を入れて振り回すボタフメイロが光り輝いている。
沢山の神父さんが出てきて重厚なミサが執り行われその最後にボタフメイロという行事(?)です。その昔は巡礼者がこの大聖堂へ着いた時には風呂にも入らず相当臭ったらしくその臭いを香で和らげる為の行事だったらしい。
そんな理由は別にしてミサの最後のイベントとしてとても感動的だった。ミサが終って外に出るとこれもメインエベントの「免罪の門」を見に行く。すごい行列でディズニーランド真っ青。多分2時間待ちとか言われて食事に向う不信心な私でした。
有名なバール街にはやはり食事を求める迷える子羊たちが一杯居ました。
ガリシア地方は海産物が豊富で貝類が特に評判が良い。その中で日本ではあまり食べない「亀の手」というフジツボの仲間が有りました。ウインドウ・イーティング。
定食メニューは、魚のスープで始まりサラダと牛の煮込みとジャガイモ。デザートにタルタ・デ・ケソつまりチーズケーキのコースでした。田舎のレストランと違いワインは付属せず自分でご注文。付いているのが当たり前だったのが懐かしい。
満腹した後又大聖堂の見学へ向う。大聖堂の中は東西に長い十字架の足があり南北が短い。東の端が祭壇で西の端が正面の入口になっている。その前がオブラドイロ広場になっている。本来ならばソコが正面玄関で巡礼者は西の入口から入りサンチャゴ(聖ヨセフのスペイン名)様の掘られている柱に右手を当ててやっと着きましたと祈りをささげるのが通例だそうだ。ちょうどその柱の周りが工事中で私は祈りを捧げられずその柱に頭を3回ぶつけると知恵を授かるそうだがそれも間々ならず。
その柱に巡礼が祈った後がシミと大理石の磨り減りとで残っていた。
外へ出ると西の門つまり正門。18世紀に修理された重厚なデザインが素晴しい。
外に出て今度は南へ廻る。そこが聖年にしか開かない「免罪の門」。相変わらず人が並んでいましたが頑張って並びました。サンチャゴ様が上から見ていてその下には警官が荷物の持込を警戒中。
中へ入るとステンドグラスが美しい。
その先は祭壇の裏でサンチャゴ様が飾られている。ミサ中の信者さん達がこちらに向って頭を下げているのが見える。
その信者達を見守るキラキラのサンチャゴ様の背中に前の人から順番に抱きついてはお祈りをしている。
間違って別に抱きついて問題を起こしては為らない。
つつがなく全てを赦された私は本日の宿泊ホテル「五つ星 パラドール」で豪華な夕食を頂き又罪を溜め始めたのでした。
今日も曇り空で今にも降りだしそう。でも気分はウキウキ。1時間でサンチャゴの街の入口へ到着。
本日は、日曜日の朝で皆さん夜遊びの後まだまだ静かに寝ているようだ。
でも大聖堂へ近づくとドンドン巡礼者の数が増えてきて9時からの巡礼証明書(コンャXテラ)をもらう手続の場所には列が出来ていた。
事務所の中も大混雑
私も頂きました。ラテン語で「この者は宗教上の理由でコンャXテラを歩いたことを証明する」と書いてあるらしい。(読めませんが)
大聖堂の前に行って巡礼報告をして正面に在る帆立貝のマークを写真に収める。
大聖堂の三本の塔は曇り空にそびえていた。
今年は聖年と言う事で沢山の巡礼者が集まり大混雑です。正面の階段(オブラドイロ広場側)からは入れず大聖堂の北の門から入り、正面の門へ抜けるという一方通行になっていました。しかし12時から始まる『巡礼者のミサ』には何時間も前から中に入って待つ人が一杯で出る人はいません。北の門の上の彫刻とミサに参加しようとする巡礼者達。
中も一杯で立っているのが辛い。
正面には香を入れて振り回すボタフメイロが光り輝いている。
沢山の神父さんが出てきて重厚なミサが執り行われその最後にボタフメイロという行事(?)です。その昔は巡礼者がこの大聖堂へ着いた時には風呂にも入らず相当臭ったらしくその臭いを香で和らげる為の行事だったらしい。
そんな理由は別にしてミサの最後のイベントとしてとても感動的だった。ミサが終って外に出るとこれもメインエベントの「免罪の門」を見に行く。すごい行列でディズニーランド真っ青。多分2時間待ちとか言われて食事に向う不信心な私でした。
有名なバール街にはやはり食事を求める迷える子羊たちが一杯居ました。
ガリシア地方は海産物が豊富で貝類が特に評判が良い。その中で日本ではあまり食べない「亀の手」というフジツボの仲間が有りました。ウインドウ・イーティング。
定食メニューは、魚のスープで始まりサラダと牛の煮込みとジャガイモ。デザートにタルタ・デ・ケソつまりチーズケーキのコースでした。田舎のレストランと違いワインは付属せず自分でご注文。付いているのが当たり前だったのが懐かしい。
満腹した後又大聖堂の見学へ向う。大聖堂の中は東西に長い十字架の足があり南北が短い。東の端が祭壇で西の端が正面の入口になっている。その前がオブラドイロ広場になっている。本来ならばソコが正面玄関で巡礼者は西の入口から入りサンチャゴ(聖ヨセフのスペイン名)様の掘られている柱に右手を当ててやっと着きましたと祈りをささげるのが通例だそうだ。ちょうどその柱の周りが工事中で私は祈りを捧げられずその柱に頭を3回ぶつけると知恵を授かるそうだがそれも間々ならず。
その柱に巡礼が祈った後がシミと大理石の磨り減りとで残っていた。
外へ出ると西の門つまり正門。18世紀に修理された重厚なデザインが素晴しい。
外に出て今度は南へ廻る。そこが聖年にしか開かない「免罪の門」。相変わらず人が並んでいましたが頑張って並びました。サンチャゴ様が上から見ていてその下には警官が荷物の持込を警戒中。
中へ入るとステンドグラスが美しい。
その先は祭壇の裏でサンチャゴ様が飾られている。ミサ中の信者さん達がこちらに向って頭を下げているのが見える。
その信者達を見守るキラキラのサンチャゴ様の背中に前の人から順番に抱きついてはお祈りをしている。
間違って別に抱きついて問題を起こしては為らない。
つつがなく全てを赦された私は本日の宿泊ホテル「五つ星 パラドール」で豪華な夕食を頂き又罪を溜め始めたのでした。
スペインのシンプル朝ごはんを食べて出発です。本日宿泊したオ・ピノホテルはお薦めです。部屋も大きくは無いのですが居心地が良いしサービスも家族経営らしくきめ細かくフレンドリーでした。
昨晩又雨が降ったらしく道路が濡れて空は今にも振り出しそう。
残りも19キロをきっていて本日中にゴールできるのですが到着が夕方になると12時からの『巡礼者のミサ』にその日は参加できない。ゴールを当日の9時にするためサンチャゴ・デ・コンャXテラの手前4.5キロのモンテド・ゴゾ(ゴゾの丘)に宿泊地を決めてある。
大都会 サンチャゴ・デコンャXテラのそばで通勤圏でしょうからとても田舎とは言えないのだがのんびりとした風景が続く。
残り16キロ。もっと歩きたい気分。
モホンもモダンになってきた。
ユーカリ林と黄色い花が綺麗
林が切れると高級住宅街が有りました。
ゴールも近づき沢山の巡礼者が通るユーカリ林。
もうすぐゴゾの丘(ゴゾ=幸福)で歓喜の丘と訳すらしい。昔800キロとか1000キロの旅をして来た巡礼者がここで初めて目的地のサンチャゴ・デ・コンャXテラの大聖堂の3本の塔がこの丘から見えて喜びを爆発させたとか。私は、僅か100キロですが歓喜できるか?チョッと心配。
歓喜の丘のシンボルマークが見えてきた。
ここでバラしてしまうとこのシンボルマークの有る所からは大聖堂が見えないのです。それを知らずシンボルタワーに向って歓喜の叫びを上げた私は演技過剰でした。
大聖堂が見えて歓喜すべき所はこちら。
もう銅像が歓喜していた。
でも良く見えない。
ここの宿泊施設は翌日サンチャゴ・デ・コンャXテラ到着を願う人が沢山泊まれるようになっていて収容能力800人とかの30棟が建っていた。地図上のブルーのテンテンが宿泊棟。
明日の結願(? お遍路ではないよ!)の前祝いのワインと豪華な食事(プリンのデザート付き)を頂いて外へ出るともう9時になるというのにちょうど夕陽が沈む所だった。
昨晩又雨が降ったらしく道路が濡れて空は今にも振り出しそう。
残りも19キロをきっていて本日中にゴールできるのですが到着が夕方になると12時からの『巡礼者のミサ』にその日は参加できない。ゴールを当日の9時にするためサンチャゴ・デ・コンャXテラの手前4.5キロのモンテド・ゴゾ(ゴゾの丘)に宿泊地を決めてある。
大都会 サンチャゴ・デコンャXテラのそばで通勤圏でしょうからとても田舎とは言えないのだがのんびりとした風景が続く。
残り16キロ。もっと歩きたい気分。
モホンもモダンになってきた。
ユーカリ林と黄色い花が綺麗
林が切れると高級住宅街が有りました。
ゴールも近づき沢山の巡礼者が通るユーカリ林。
もうすぐゴゾの丘(ゴゾ=幸福)で歓喜の丘と訳すらしい。昔800キロとか1000キロの旅をして来た巡礼者がここで初めて目的地のサンチャゴ・デ・コンャXテラの大聖堂の3本の塔がこの丘から見えて喜びを爆発させたとか。私は、僅か100キロですが歓喜できるか?チョッと心配。
歓喜の丘のシンボルマークが見えてきた。
ここでバラしてしまうとこのシンボルマークの有る所からは大聖堂が見えないのです。それを知らずシンボルタワーに向って歓喜の叫びを上げた私は演技過剰でした。
大聖堂が見えて歓喜すべき所はこちら。
もう銅像が歓喜していた。
でも良く見えない。
ここの宿泊施設は翌日サンチャゴ・デ・コンャXテラ到着を願う人が沢山泊まれるようになっていて収容能力800人とかの30棟が建っていた。地図上のブルーのテンテンが宿泊棟。
明日の結願(? お遍路ではないよ!)の前祝いのワインと豪華な食事(プリンのデザート付き)を頂いて外へ出るともう9時になるというのにちょうど夕陽が沈む所だった。