八王子で大昔、「紅茶専門店」をやっていたマスターブログ

元がじゅマスターが頑張ってブログを書いてます。

電動アシストお遍路

2009-05-31 08:13:00 | 四国八十八ヶ所巡りお遍路
雨の翌日は、すっきり晴れては居ませんが何とか曇り空。早めの出発はどこかで昨日磨り減った後輪用のブレーキパッドの交換がしたかったからです。見た目でわかるほど磨り減って本日の旅程の久万高原から三坂峠越えに耐えられないと思いました。久万高原への登りを頑張って、真挙サの手前、道の駅小田の郷でパッド交換をしました。新品パッドで安心感がちがいます。真泣gンネルを過ぎると下り坂。ソコを下っていると岩本寺で同宿した大阪からの電動アシストお遍路さんが登ってくるのとすれ違いました。この方は、私がカヌーで遊んでいる間にドンドン進んでおられました。岩本寺で朝食時に、寺の手前の久礼坂(七子峠超えで七キロの登りが続き後何キロとカウントダウンがあります)を走行中にバッテリーが切れ、通常の自転車より重いアシスト自転車を押して峠を越えると言う辛い修行をされた話を聞きました。携帯電話のバッテリー切れも辛いのですが自転車のバッテリー切れは辛い修行になると思いました。岩屋寺下到着。そこから登り登ってやっと到着。半分岩に食い込んだお寺が異様でした。

その後44番を周って三坂峠超え。706メートルの峠道登り8キロは半端ではありませんでした。が下りが有ります。ここのカウントダウンは海抜表示で海抜600メートルから100メートルごとに有りました。耳がキュンとなりながら100メートルを1分ほどで下るスピードは凄かったです。ここで時間を稼いで本日は松山の51番まで回ることが出来ました。経験値8をゲット。
神の湯で一息

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大雨の中を走る。

2009-05-29 11:58:00 | 四国八十八ヶ所巡りお遍路
宇和島YHで皆さんより早く朝食の準備をしていただき7時過ぎには出発できました。前夜の予報では雨と言うのですが日が照って居てホットして出発できました。一時間半で41番龍光寺へ到着。空が曇り始めてャcリャcリと雨粒が感じられます。降りだす前に少しでも先へとペダルを漕ぐ足にも力が入ります。次の佛木寺でついに降りだしました。お参り後雨具装備第一防水ウインドブレーカーを着ました。そのとき悠然と朝刊を読んでいる、お遍路さんが居てお話しすると「雨の日は行動しない」との事。なにしろお遍路を始めて十年以上になり「急がず何時までも続ける」のだそうです。私には出来無い事だと思いました。雨具装備第一で出発してすぐに歯長峠に差しかかりました。次の寺まで15キロ。海抜400メートルの峠越えできついです。峠を登るとき考えていることは「登りは半分で半分は下りだ頑張ろう」です。それと峠の一番上は大抵トンネルになっていて登っている時にトンネルが見えると峠も終わりだとホッとしたものでした。43番明石寺到着すると本格的な雨になりました。雨具装備第二に変更。白いャ塔`ョにして内側に着る物を薄くします。少しでもトラックから見える格好にします。次の峠が鳥坂峠で海抜500メートル。歯長峠より交通量は格段に多く危険地帯でした。峠の半分は下り坂でブレーキをかけなければ危険です。自転車のブレーキは雨の日にかけるととてもよく磨り減ります。土砂降りに近い雨の中、鳥坂峠を登り鳥坂トンネルから下り大洲の町に入りました。その日は日曜日でトラックばかりでなく乗用車も多くメインロードへ横から入って来る車もとても危険でした。チョッと遅いお昼を関東にはあまり無いファミレスのジョイフルへ入りました。ビショビショのャ塔`ョで一人客。あまり歓迎されていないのは判りましたが休憩させてもらいました。ソコから次の宿泊地を内子に決めて電話で宿探しをしました。土砂降りの中「十夜ヶ橋」を通り内子までの5キロはとても大変でした。内子の町はとても落ち着いた昔ながらの町で内子座という大正時代の劇場があります。チョッと見学に行くと当日は内子町内の人の演券ュ表会をやっていて皆さんなり切ってカラオケや漫才を発表していました。
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レメ[ト途中ですが帰宅しました。

2009-05-29 11:47:00 | 四国八十八ヶ所巡りお遍路
ブログ更新が遅れているうちに現実のお遍路は八十八ヶ所をめぐり、和歌山へ渡り高野山詣でを済ませて完了しました。ブログはこれからも時間系列を追いかけて続きますが、お遍路の目標達成をご報告いたします。
写真はお礼参りに伺った一番札所 霊山寺門前の私です。ここまで90キロを走りヘトヘトの状況でした。これから南海フェリーに乗って徳島から和歌山へ渡りました。

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宇和島へ向う

2009-05-28 09:29:00 | 四国八十八ヶ所巡りお遍路
安宿(あんしゅくと読む)を6時半に出発。雲り空で薄ら寒い。三原村と言う寒村に向う山道を走る。コンモリとした森の中を通る道は一人ではさびしい。突然「ヴァウヴァウ」と言う声が聞こえる。最初犬かと思い人がいるのだと思ったが道路の上から聞こえる。見あげると大きな猿が私のことを脅すようににらんでいた。急いで三原村を通過したいと自転車をこぐのにも力が入りました。山道は長いです。三原村を3時間かけて通過その後は下り基調で本日一つ目のお寺をゲット。スーパーでのお買い物も出来ました。本日は宇和島の町へ戻った昔のお友達を探すのも一つの目的で早く宇和島に着きたかったので休憩を少なく走り続けました。途中の松尾トンネルが自転車で通過するにはとても危険と情報が入っていたのですが時間短縮のため通行しました。約二キロのトンネルで上下二車線。自転車および歩行者の幅は1メーターも有りません。電灯の数も少なく真ん中辺は特に暗くトラックが横を通る時には生きた心地がしません。トラックが通り過ぎると風圧でトラックの後に吸い込まれそうになり、その後に続くトラックが近づいて跳ねられるような気がしました。出口の明かりが見えたときにはホッとして外に出たときには肩の力が抜けて自転車を止めて休んでしまいました。宇和島の町に入り金剛福寺を先行していた自転車遍路さんに追いつきました。お話するとゆっくりと一日70キロ程度の旅程で回っているようです。私は急ぎ過ぎかも。宇和島東高校の周辺でカレー屋さんをやっているのではないかと思われる昔のお友達を探して学校の廻りを走り回りました。なんか人の居ない町で仕方なく宇和島の駅へ行き観光案内所の人から情報収集。街中にはカレー専門店などは無いと言う事が判明。あきらめて宇和島城見学その後、港の海の駅に向い「宇和島鯛めし」と「キビナゴのお刺身」「ジャコ天」を堪能。宇和島YHへ向いチェックインすると向いの部屋に四万十川YHで同宿した方が居て、二日ぶりに再会しました。写真は「宇和島鯛めし」です。

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金剛福寺往復100キロ

2009-05-27 19:08:00 | 四国八十八ヶ所巡りお遍路
四万十川のカヌーを楽しんでソコから足摺岬にある「金剛福寺」お目指します。四国は都市の名前がアチコチ変わってついこの前まで中村市といっていたところが四万十市と名前が変わっていました。ありがちな「中村」を全国区の四万十市に変更したのでしょうが地元の人も旅行者もスッキリしません。地名には長い歴史が刻まれている気がするので簡単に変えて欲しくないです。とは言えソコを通過して足摺岬の金剛福寺へは、片道60キロほどあります。その先のお寺の事を考えて岬から40キロほど戻って宿泊と言う予定を立てました。朝8時四万十YHを出発。順調に距離を伸ばして旧中村市に入ります。落ち着いたいい町でした。スーパーへ寄ってお買い物。スーパーの名前が「街の冷蔵庫」と洒落ていました。足摺岬へは上ったり下ったりが続きます。途中で青龍寺でご一緒した自転車遍路さんが帰ってくるのとすれ違いました。私がカヌーで遊んでいる間も走ってだいぶ先行されているようです。38番金剛福寺へは13時40分到着。途中休憩も入れて5時間以上かかりました。途中の鰹節工場も見学。お昼はお寺の前の食堂でかつお丼を食べました。普通かつおのお刺身がのっていると思うのですが、鰹節のやわらかいのをスライスしてご飯にのっけその上に海苔がかかっていました。お腹が減っていれば何でも美味しく食べれます。来た道を帰るのは道が判っているのでとても短く感じます。明日の寺にアプローチしやすい所まで戻って今夜の宿を決めました。
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