7月3日に新しい紙幣が発行される。20年ぶりだという。
自動販売機などの新紙幣対応に多額のお金がかかるとのニュースが流れていた。
新紙幣の肖像画は1万円札が渋沢栄一に、五千円札が津田梅子に、千円札が北里柴三郎に変わる。
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一昨日に書いた「野口英世青春館」の流れで、野口英世と北里柴三郎について書いてみようと思う。
北里柴三郎と野口英世は師弟関係にある。
英世は明治30年(1897)に医師の資格をとり翌年、伝染病研究所の助手となるが、その時の所長が北里柴三郎であった。
明治32年(1899)、ペンシルバニア大学のフレキスナー博士が伝染病研究所を訪れた際に英世は通訳を務めた。
英世は会陽医院の書生時代に独学で語学と医学をマスターしたと言われる。
それで北里柴三郎から通訳をするように言われたのではないかと思われる。
英世は通訳をしたというだけの縁で、明治33年(1900)12月にペンシルバニア大学にフレキスナー博士を訪問し助手となる。
英世が北里柴三郎が所長をしていた伝染病研究所に所属していたのは3年間ほどであったが、この間に英世が北里柴三郎から直接指導を受けたことは無かったであろう。
上記に師弟関係と記したが、正確には北里柴三郎が所長をしていた研究所に英世が所属していて、一度北里柴三郎の通訳を務めたというのが正しいと思われる。
伝染病研究所は明治25年(1892)に福沢諭吉の援助で設立され、北里柴三郎が所長になり、そこに野口英世が所属していた。
この三名とも紙幣の肖像画になっているのも面白い。
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