日日是好日

退職後の日々を写真で記録

臘八摂心へ

2013-11-29 14:46:55 | 座禅
明日から臘八摂心(ろうはつせっしん)へ初めてでかける。
調べてみると「臘」というのは、「臘月」の略で12月を意味する。「八」は8日のこと。すなわちお釈迦様が12月8日に菩提樹の下で悟られたことから、12月1日から8日まで行う摂心を臘八摂心というようである。



初めての座禅はこの薬師堂のある平等寺であった。当時の住職であった高橋宝善方丈様の指導だった。42年前のことである。そして、男は男から習えと好国寺へつれて行かれた。
臘八摂心は期間の長さ、冬の寒さもあり厳しい摂心だと聞いている。気を引き締めて行ってこようと思う。
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白山に雪

2013-11-27 15:16:02 | 日記
先日の朝デイサービスの人が母を迎えに来たとき、母を支え車に向かいながら「今日は寒いですよ。山が白くなりましたよ。」と話しかけた。見ると遠くの白山は少し白くなっていた。



まだ薄化粧だが、まもなく真白になり、里にも下りてくるだろう。
若い頃は雪が降ってくると何か嬉しくなって外に飛び出したりした。下宿のおばあさんが「雪が降って喜ぶのは、あなたぐらいだ。」と呆れていたものだ。
しかし深々と降る雪には美しさがある。それに惹かれていたのかも知れない。
さすがにこの年になると冬の到来を思うと少々気が重くなるようになった。
今月末から福島へ10日間ほど行く予定である。この間には例年だと初雪がるので、少々早いが車のタイヤを交換した。
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野口英世はなぜ間違ったのか(29)

2013-11-26 12:14:36 | 野口英世
野口はメキシコから帰ってまもなく今度はペルーに出張する。
既にクリグラーがペルーに入り研究を開始していたが、当地の実験室はひどく、町には水がなく電気も使える状態ではなかった。研究に使うモルモットも原因不明の疾病で死亡してしまった。また衛生状態も悪く、黄熱病と共に腺ペストの流行も起きていた。そして実験ははことごとく失敗に終わっていた。
この窮地を救うため、上司のフレクスナーは1920年4月に野口をペルーに派遣した。
その際の研究結果を論文「ペルー北部における黄熱病の実験的研究(1920年8月7日受付)」として、前報と同様にクリグラーとの共著で発表した。



論文の要旨

1920年に発生した黄熱病の流行の14症例(Paytaで3月、4月の9症例とMorroponとPiuraで4月、5月の5症例)をペルーの北部で研究した。
研究の方法は以前に行ったものと同様であるが、研究設備は非常に貧弱だったので相当の変更が必要であった。Paytaにおける仕事は電灯がなく、水と動物のエサが不足し、接種用のモルモットの不具合、古い培地中の変化など不利な条件であったが、このような不利な条件下で得られた結果は決して否定的ではなかった。
血液の直接接種又は培養物での両方で動物に典型的な感染を起こした例はなかった。それでも各シリーズのあるモルモットは一時的に発熱又は温和なレプトスピラ感染を示す肺の明確な出血傷害を示した。暗視野顕微鏡が使えなかったので患者の血液中又は培養液中のLeptospira icteroidesの直接探索は行わなかった。次にPiura研究設備は大いに改善された。暗視野顕微鏡の使用はバッテリーの方法で可能になった。若い健康なモルモットはニューヨークから受取った。そして新鮮なウサギ血清はPiuraで得た。Morroponでの黄熱病5症例の培養は11、12と13日後に調べた。3症例から生きたレプトスピラが見つかった。これら5症例の培養液のモルモット接種によって、暗視野顕微鏡でレプトスピラが見つかる、見つからないにかかわらず、典型的なL.icteroides感染が5症例のうち4症例で見られた。こうして1症例のみが暗視野顕微鏡下でレプトスピラが見つからず、動物接種が陰性であった。
感染モルモットの血液中又は臓器エマルジョン中にレプトスピラが見つかり、そして各株の他のモルモットへの更なる転移が得られた。そして純培養が得られた。
研究中に実際的な重要なポイントが明らかになった。一つは培地には新鮮なウサギ血清を使用することが重要であること。古いウサギ血清は、それのみ又は寒天と一緒であっても熱帯気候では数ヶ月でL.icteroidesの発育に不十分になる。
二番目のポイントはL.icteroidesで感染させるモルモットの感受性の違いである。Morropon培養材料で動物接種陽性の4シリーズのうち二つにおいて与えられた材料を接種されたモルモットの半分だけが典型的な症状を呈した。他の半分は肺に少数の出血斑、又は全く感染しないことで示されるように一時的な温和な感染であった。
これらの事実からPayta材料を接種されたあるモルモットに見られた肺の傷害と発熱は温和なレプトスピラ感染のためと考えられる。
比較実験で、Paytaで得られた土着のモルモットはニューヨークから最近送られたものよりレプトスピラ感染により抵抗性であることが分かった。事実、Morropon流行から得られたL.icteroidesの有毒株を接種された時でさえ、前者の少数しか典型的な感染で死亡しなかった。
最終的に、ペルーにおいて研究された黄熱病の14症例で典型的なレプトスピラ感染と同時に実験的感染モルモットにその微生物が見つかったのは4症例であった。温和なレプトスピラ感染を示した例の大多数は致死的ではなかった。数症例のみが全くの陰性結果であった。
黄熱病のMorropon症例から分離されたレプトスピラは形態的及び培養的にL.icteroidesのグアヤキルとメリダ株と同一であった。そして免疫試験によりグアヤキルの菌と区別できないことも示された。(以上)


当時のペルーでは衛生状態が悪く腺ペストが流行していた。腺ペストの感染源はネズミである。当時の衛生状態から多くのネズミが走り回っていたことは容易に想像される。ということは、ワイル病も多数発生していたに違いない。従って野口にとって好都合な黄熱病患者(実はワイル病患者)はいくらでも存在していたであろう。
今回は免疫血清を用いた免疫学的試験を二つの方法で実施している。一つはPfeiffer反応で、もう一つは免疫血清にレプトスピラを加えて18時間放置して暗視野顕微鏡観察する方法である。用いた血清はグアヤキル株で作製した抗icteroides血清とアメリカ株で作製した抗icterohaemorrhagiae血清である。ペルーで分離したレプトスピラの2株は両方の試験法で、前者に陽性、後者では陰性との成績を発表している。この成績は現在でも非常に考えにくいものである。この成績が正しいとするならば、抗icterohaemorrhagiae血清の力価が抗icteroides血清のそれに比べて非常に低かったことを意味する。この実験では両血清の力価を揃えないで行っているので、このような結果になったことも考えられる。当時抗体の力価という概念はなかったのだろうか。


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野口英世はなぜ間違ったのか(28)

2013-11-18 16:43:08 | 野口英世

「野口英世はなぜ間違ったのか(26)」で記したように、1919年12月、野口はメキシコのユカタン州の州都であるメリダでも黄熱病の研究を行っている。
メリダに着いて、13日間黄熱病の新しい発生がなかったが12月15日、一人の兵士が死にかかった状態で黄熱病院へ運ばれてきて、翌日死亡した。死後4時間してから実験目的のため、心臓からの血液、肝臓と腎臓の一片が取られ、実験が開始された。その際の研究結果が論文「ユカタン・メリダで発生した黄熱病の実験的研究(1920年4月3日受付)」として発表された。珍しく、部下のクリグラーとの共著である。



論文の要旨

メリダで黄熱病の致死的症例の死体解剖で得た血液と肝臓と腎臓のエマルジョン(懸濁液)のモルモットへの接種は、これらの動物のいくつかに数日の潜伏期後、体温の上昇が1、2日又はそれ以上続いた。この発熱期で調査のため殺したとき、その動物たちは必ず種々の大きさの出血をしていた。
肺では時には数個、時には多数、胃粘膜ではコンスタントではないが出血が見られた。肝臓と腎臓では一般的な充血を伴っていた。
症例1の肝臓エマルジョンを接種されたモルモットにおいて9日目に少しの黄疸があった。そのようなモルモットの血液又は肝臓と腎臓のエマルジョンの正常モルモットへの接種は発熱と内臓の傷害を再現した。生き残ったモルモットの大多数は急速に正常に戻った。二週間後、これらの生き残ったモルモットを調べると肺に古い出血斑が存在していた。
更に移植株の転移の試みにおいてパラチフス群の細菌で二次汚染して、多くのモルモットが死亡し、症例1の株を失ってしまった。
症例1の解剖時に採られた心血で行った培養の殆どがcoli群の細菌で汚染された。明らかに汚染されなかったチューブの内容物がモルモットに接種されたが、結果は殆ど陰性か又は二次感染で汚染された。
解剖材料の暗視野によるレプトスピラの探索は陰性だった。
一方、症例2の血液で得られた結果は、この病気のモルモットへの直接的な転移だけでなく、培養方法による間接的な転移において明確に陽性だった。
一次培養においてもレプトスピラは見つかった。そしてその培養液で実験的に感染させたモルモットの血液と臓器エマルジョンにも見つかった。
明らかな陽性の直接転移は2日目と3日目に採られた血液の標本で得られた。4日目又は6日目には血液は採られなかった。5日目に採られた血液を接種されたモルモットに不成功又は温和なレプトスピラ感染の徴候があった。
症例2の培養の接種に関して、2日目に採られた血液でなされた培養液(レプトスピラ+)のみがモルモットに明らかな致死的な感染を起こした。このシリーズからモルモットの連続的転移は完全に成功した。
3日目に採られた血液でなされた培養液の5日目を接種したモルモットの一匹が典型的な症状を示した。そして、これから他のモルモットへの陽性転移も行われた。5日目と7日目に採られた血液の培養は二次汚染のため不十分な結果であった。
レプトスピラは症例2の2日目と3日目の血液標本を含む培養チューブのいくつかに検出された。それらはカビ汚染のような不都合な培養状態のために数は少なく、殆ど動きがなかった。(以上)


この頃の野口は黄熱病と思われる患者からレプトスピラを分離することだけに一生懸命になっている。研究方法もワンパターンになっている。
本来であれば見つかったレプトスピラを以前作製したレプトスピラの免疫血清と反応させてみることぐらいはやってみるべきだろうと思われるが、全く行っていない。敢えて避けているようにも見える。
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うつ病・統合失調症と座禅

2013-11-15 16:33:18 | 座禅

現代社会はストレス社会で、そのために心の病気が増えており、メンタルヘルス対策を行っている会社も増えているようである。

うつ病と統合失調症は代表的な心の病気であるが、何れも脳内物質が関与していることが知られている。我々の脳内ではこの脳内物質が脳神経細胞間を行き来して情報を伝えている。その代表的な脳内物質は「ドーパミン」「ノルアドレナリン」と「セロトニン」であり、両方の病気ではこれらのバランスが崩れており、なかでも、「セロトニン」が減少していることが知られている。

以前に「セロトニン呼吸法」(有田秀穂、高橋玄朴、青春出版社、2012年)という本を読んだことがある。

有田秀穂氏は東邦大学医学部教授でセロトニン神経の研究をしている。上記の三つの脳内物質のバランスがほどよくとれていることが、最も幸福で満たされている状態といえ、その働きを担っているのが「セロトニン」であると言っている。更に呼吸法によってセロトニン神経が活性化され、セロトニンを増やすことができるとも述べている。

その呼吸法とは、もちろん我々が日常している呼吸ではない。古くから知られている「丹田呼吸法」である。この呼吸法のポイントは「吐くときに丹田を意識して絞り、吸うときは自然に吸う」である。丹田とは東洋医学におけるツボの名前でヘソから5~10cm下の部分である。吐くときは丹田を意識し、深く、長く、しっかり吐くのが重要である。

この丹田呼吸法は座禅のときの呼吸法でもある。すなわち座禅をすることによってセロトニン神経を活性化できると思われる。従って座禅をすることによりうつ病・統合失調症の改善が図れるのではないかと思われる。

うつ病も統合失調症も完治するには長い年月が必要である。なかでも統合失調症は若くして発症し、外部と接触できるようになるにはほぼ20年近くかかるケースが多いようである。一番楽しい青春時代を病気で過ごしてしまうのはなんとも残念なことである。この期間を座禅で少しでも短くできれば良いのだが。

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