日日是好日

退職後の日々を写真で記録

野口英世はなぜ間違ったのか(26)

2013-10-30 20:32:18 | 野口英世
野口はエクアドルから帰国後、まもなくメキシコ政府から黄熱病の調査の依頼を受取った。メキシコのユカタン半島で黄熱病の流行が発生していたのである。
野口の部下であるクリグラー博士が一足早くメキシコへ向かっていた。野口は一週間ほど遅れてメキシコのメリダに着くと、すぐに上司のFlexner博士に手紙を書いた。



                                      メリダ 1919年1月2日
Flexner博士殿
我々二人より非常に良いニュースをお知らせ致します。黄熱病院へ送られた後に12月16日に死亡した黄熱病患者の血液と肝臓と腎臓の乳剤を接種されたモルモットのいくつかを観察してきました。クリグラー博士のメリダ到着後すぐでした。彼は培養と接種をすることができました。その患者(死後4時間)の肝臓と腎臓の懸濁液を接種されたモルモットの一匹が数日後典型的な体温曲線を示しました。他の症状が十分に進むのを待たずに彼は私の到着の数日前ににいくつかの新しいモルモットに継代しました。私が12月24日(到着の翌朝)に研究所へ行ったとき、我々はこれらのモルモットを詳細に検査しました。
それらのいくつかは典型的な体温の上昇が始まっていました。12月26日にそのモルモットの一匹の血液と臓器の乳剤を新しいモルモットに転移しました。この朝、体温は105°に上がり、見込みがあるように見えました。午後、体温はまだ高かったので、我々はその動物を検査と継代のため殺すことにしました。
この動物は肺にいくつかの出血斑が見られました。肝臓は少し黄色味がかり、肝臓は膨張していました。そして腸は粘膜上にいくつかの出血斑がありました。組織は少し黄疸を示していました。尿は粒状の円柱と胆汁を不運でいました。その感染の本質として疑いないと考えます。
我々は培養、動物接種及び顕微鏡検査をしました。急いだ実験ではレプトスピラは見つかりませんでした。仕事のこの部分は明朝の時間のあるときにじっくりと行います。
同時に私の前の手紙に書きました患者(No2)の血液と培養液を接種した動物が高熱とアルブミン尿を示しました。しかし明確な黄疸又は出血はありませんでした。しかし一般的な特徴点は明確な感染陽性を示していました。それらは一週間ほどではっきりするでしょう。
培養の実験はカビと雑菌が入りコンタミネーションを起こしていました。しかしいくつかの試験管には動かない(明らかに死んでいる)レプトスピラを我々二人で見つけました。我々の意見ではこれらの微生物(非常に僅か)は暫く増殖し、そしてカビ又は細菌に殺されたと考えます。(略)
我々はまもなくメリダでその微生物を得ることを確信してます。 野口英世 (以上)


野口はメキシコにおいても、黄熱病の病原体はレプトスピラだと考えて突き進んでいる。当然、部下のクリグラーも同様である。
良いニュースをとの書き出しではあるが、内容はそれほど良いニュースではないように思える。先ず、病原体とするレプトスピラが見つからないことと、培養では雑菌が混入するなど決して良いニュースではない。翌日の検査でもレプトスピラは見つからなかった。その他についても明確でない部分は自分に都合の良い解釈をしているように見える。
雑菌が混入した培養液から死んだレプトスピラを見つけたとの記載があるが、これも俄かに信じがたい。暫く増殖してから雑菌に殺されたとあるが、これは殆ど有り得ないことだからである。一般的に雑菌は翌日には増殖している。一方レプトスピラの増殖は遅く数日しないと増殖しない。雑菌の増殖前にレプトスピラが増殖することは普通有り得ないのである。研究者の陥りやすいのは、こうあって欲しいとの潜在的欲望を持って観察すると自分の都合の良いように見えたりすることである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野口英世はなぜ間違ったのか(25)

2013-10-26 14:33:23 | 野口英世
野口はグアヤキルを去る前日、マッセン(Madsen)教授に宛てた手紙を書いた。
野口は1903年、27歳のときデンマークの国立血清研究所に留学している。その時に師事したのがマッセン博士である。




手紙の概要

                                グアヤキル 1918年10月26日
マッセン教授殿

 大変ご無沙汰しております。聞かれているかも知れませんが、私は1917年5月にチフスに罹り、幾つかの病院で数ヶ月過ごしました。2回再発しました。そして昨年の12月には虫垂炎のため手術を受けました。回復の望みは一時すっかり捨てました。この1月に退院しました。それから徐々に良くなってきました。
 今年の6月にロックフェラー財団の国際保健部がエクアドルにおいて黄熱病の原因を研究するよう依頼してきました。委員会の細菌担当として派遣されます。(略)
我々がここに着いたとき、私の仕事を始めるのに十分な患者がいました。私は直ちに伝染の仕事に着手しました。他の仕事も同時にスタートしました。他のメンバーは既に8月に彼らの仕事を終わらせ9月の初めに合衆国へ帰国しました。彼らの研究は黄熱病の臨床的、化学的観察でした。(略)
 私の仕事は黄熱病の動物への伝染、病原体の発見と培養、免疫現象、予防接種です。これらは私がここで過ごした4ヵ月で済ませました。
私はこの病気をモルモット、犬及びtitiと呼ばれる小さなサルに再現するのに成功しました。普通のサルは免疫性です。その病原体は黄熱病患者の血液と組織内及び実験動物内に見つかりました。暗視野顕微鏡で見ることができ、濾過性です。形態はレプトスピラで、稲田と井戸がワイル病に発見した微生物に似ています。しかし、免疫反応でこの二つを区別できます。これらの二つの微生物の病原的特性も異なっています。そこで黄熱病病原体をLeptospira icterofaciens と呼ぼうと思っています。(icterogenis の術語を避けるため。Uhlenhuch はワイル病の病原体にそれを使用している。もちろん彼はSpirochaete icterogenisと呼んでいる。Leptospira は最近私が提唱した新しい属だからです。)(略)
私の仕事は当地の医学者たちによって追試されています。そして彼らは結果に非常に満足しており、彼らは皆、原因が発見されたと考えています。私はまだ論文を書いていませんが帰国したら書こうと思っています。
喜んで頂けると思いますが、貴方の最初の外国人の弟子がエクアドル陸軍大佐兼軍医少佐に任命され刀を賜りました。帰国したら合衆国軍医にこの制服で講義しようと思います。なぜなら合衆国では外国人は陸軍階級を得られません。そして私はこれらの人を私人として教えてきました。同時に私はエクアドル国とグアヤキル市の市民権を与えられました。これらはここの国会で決議されました。
私は明日の午後、船でパナマに向かい、パナマからニューヨークへは海と陸の二週間の旅です。私は荷造りし、この手紙を終えます。(略) 野口英世  (以上)


野口はこの手紙で、グアヤキルに滞在した数ヶ月での業績を得意げに記載している。はたして、この手紙を受け取ったマッセン教授はどのように感じたであろうか。
野口はこの時点でこの黄熱病の病原体発見についてはまだ公にしてはならないと上司のFlexnerから釘を刺されていたが、誰かに話さずにはいられなかったのであろう。
軍服で講義をしてやろうとするところなどは、野口のアメリカにおける気持ちが垣間見られる。これらの気持ちが、野口の間違いに拍車をかけたようにも思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修行開始

2013-10-14 11:31:25 | 座禅
平成25年10月14日(月・祝)晴れ

摂心会のお手伝いと思い、摂心の始まる三日前の6日午後に好国寺に着いた。
老師は居られず、奥様にご挨拶してから、安吾している僧侶の方のいる大圓閣へ。
玄関前のもみじは色づき始めていた。



今後、この僧侶の方の指導を受けることになる。早速、教育開始で作務が始まった。先ず禅堂の周りの落ち葉掃除からである。食事の時には食事の作法を教わる。全ての動作は極力音を立ててはならない。その都度、厳しい注意が飛んでくる。
翌朝、ある都合により、10日から予定されていた摂心会が中止になった。
それで、安吾の僧侶の方の一日と同じ生活が始まった。朝は4時起き、9時就寝で、その間に座禅、作務、朝課、晩課などの繰り返しの日々である。その中に私に対する教育が入る。お寺での動きは全て鳴り物により音で開始・終了が告げられる。
作務は作務衣を着て、頭には白(白でなければならない)のタオルを巻いて行う。タオルはすぐに汗でグショグショになる。すごい汗をかいた。多血症の私は、これでは血栓が出来てしまいそうなので、常に水をガブガブ飲むようにした。作務はいくらでもあり、体を動かすことのなかった私にはかなりの体の負担にはなったが、新鮮な体験であった。
修行時には一度注意したことは、二度、三度と言わないそうであるが、私は二度も三度も同じ注意を受けた。
10日には宮城県の僧侶の方が指導に来てくださった。三日間で多くを教わった。しかし作務で疲れた頭では理解できても記憶できないことが多く、多くのお叱りを受けた。会社での新人教育とは大いに違っていた。
宮城の僧侶の方の教育が終わり、老師から帰省の許しがでた。
12日の午前、老師にご挨拶してから、お地蔵様に見送られて好国寺を後にした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日から好国寺

2013-10-05 20:10:45 | 座禅
平成25年10月5日(土)晴れ

明日の朝、好国寺へ行く。



摂心が10日から始まるので、またこの大圓閣で10日間お世話になる。
得度してから最初の修行と摂心であり、これから全てか始まる。67歳の小僧として。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする