「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5、パリ ④

2022年10月05日 08時29分56秒 | 田辺聖子・エッセー集










・食前酒を喫茶店で飲んでおしゃべりをたのしむ。

ピガール広場近く、そんな店へ行ったら、
コーラの広告のある、日本の観光地の売店のような店、
カウンターに五、六人の労働者風の男が立って、
グラスを前に、しきりにしゃべっていた。

キールという食前酒なんか、飲むそうである。
私はリカーを飲んだ。

ちょっと変な味で、
木の皮を煎じたような、アブサンめいた強烈な味、
しかし、食後にいいかもしれない。

胃の働きがにぶっているのを、
引き締めてくれるかもわからない。

しかし、食前に飲むと、
眠っていた胃がめざめて、
シャンとするかもしれない。

食欲を刺戟し、
舌を敏感にしてくれるかもしれない。

要するに私にとっては、
いつ飲んでもいい酒なのであって、
二杯目、三杯目と飲むほどに、

「いいんじゃないでしょうか、これは」

ということになってしまう。

「よくない酒、
というのが今までありましたか?」

とおっちゃんにいわれてしまう。

全く、味覚に無節操な私は、
どんな酒をもってこられても美酒に思われ、
「いいんじゃないでしょうか、これ」
になってしまう。

それでも私にも、困る酒があって、
それは例のやつ、甘口の日本酒、
ドンゴロスの砂糖を何袋も投げこんだような、
ねとつく日本酒である。

盃も指もネトネトして、
胸がもたれてしまう。

そこへくると、
ヴェニスで試みたグラッパーといい、
リカーといい、一滴よく心気を爽快にし、
鬱を散ずる零酒であって、
まことに男らしい酒である。

ムッシュ・フランソワーズが連れて行ってくれた所は、
結局、ベトナム料理であった。

わりに安くて、そして東洋風なのが、
いまパリっ子の新しがり屋に受けていて、
はやってる店だそうである。

美青年が主人(マスター)で、
ムッシュ・フランソワーズの友達だそうである。

マスターの妻はベトナム人で、
もう九時すぎの時刻だったから、
夫人は自宅へ帰るらしく、
店を横切って出て行った。

親子連れ、カップルなどが来ていて、
家庭的な店である。

中国風の幟や、宮燈が下がっていて、
ベトナムというより華僑風、
シンガポールの中国料理のようである。

ここで食べたものをご紹介したいのだが、
残念ながら忘れてしまった。

麺類のスープ、
ワンタンメンのごときもの、
何だか炒め物、
といったものが出て、
それはかなり美味しいのであるが、
というのは、舌に馴れた味であって、
とりたてて、おぼえようというほどのものではないので、
何もひっかからずに、
品名さえ忘れてしまった。

暖かくて美味しかったので、
けっこうでした、ということで店を出た。

ベトナム妻が帰ったあと、
マスター一人が店をやっていて、
何だか馴れずに、
マゴマゴしている素人くさい印象で、
なかなかよかった。

ベトナム妻といえば、
パリにはベトナム人も多いそうだ。

パリには「外人」が多く住みついている。

パリというと、
私など「ベルばら」を思い、
フランス映画を思い、
粋なフランス人男女が、
セーヌ河畔を手を携えて逍遥している姿を、
思い浮かべずにはいられないのであるが、
現実には、種々雑多な人種のるつぼであって、
いや、日本人もゴロゴロ、
パリは生きやすいのであるらしい。






          



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5、パリ ③ | トップ | 5、パリ ⑤ »
最新の画像もっと見る

田辺聖子・エッセー集」カテゴリの最新記事