・「雨の京都にゃ、
仲良し初老カップル、熟年カップルが似合うってもんですわ」
「でも、由ありげなのがイヤなんですよ。
黙っているのも、長年連れ添った夫婦という風情でイヤやけど、
しゃべりまくっているカップル、というのも、イヤミなもんやわ」
「歌子さん、それってもしかして、ジェラシー?」
そうかも知れへん、と二人であはあは笑ってしまった。
山永さんはハキハキと言う。
「私は歌子さんとの旅が最高。
主人が生きていたら、とてもこんな旅は出来ないんですもの。
主人は私が出かけるのをイヤがりましてね、
そのくせ、どこへも連れて行ってくれないんですよ。
自分は学会とか同窓会で、一人でさっさと行ってしまってね」
私たちは女同士の熟年カップルで、
これからも近間の旅をしましょう、と言い合った。
日帰りできる地で一泊するというのは、
シルバーエイジでないと出来ない贅沢である。
関西には、
京都の他に奈良や神戸、姫路、和歌山なんてのもある。
今夜の宿は、石塀小路の卯木屋(うつぎや)。
由緒ある古い宿で、懐石料理が有名。
なかなか、ちょっと泊まれないところ。
熟年の旅にあらまほしい宿である。
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・私と山永さんは、宿に荷物を置かせてもらい、
北野の天神さんへ向かう。きらびやかな本殿を拝んで、
実は天神さんが目的ではなく、その近くの商店街が面白い。
山永さんは、市場が大好きである。
北海道の函館や小樽では市場が観光コースになっている。
京都の錦市場は有名で、今は観光客も行くが、
私はもっと庶民的なのが好き。
天神さんの近くの市場が嬉しかった。
これこれ、これが京都や!と思った。
一条通りを南へ折れると、活気ある市場があらわれる。
下の森商店街。
「これは楽しいわねえ。
新京極歩いているよりずっといいわ」
山永さんは喜んでカメラを取り出す。
いろんなものをごちゃごちゃ売っている通りほど、
人の心をそそるものはない。
お昼は北山通りのモダンなビルでフランス料理を食べた。
天井はサン・ピエトロ寺院のドームを意識して、
デザインしたモダンなもの。
このビルの外観もずいぶんハイカラなのである。
そしてきちんとしたフランス料理で、
やたら和風っぽく、箸を出したりしないのが気にいった。
さて、雨はいよいよ降るけれど、私と山永さんは、
若い人の町、白川通りを歩こうということになった。
白川通りは東山三十六峰のふもとを南北に走っている。
キャンパスが多いので学生街といってもいい。
色とりどりの傘の波、若やいだ熱気、学生食堂、
うどん屋、喫茶店、レストラン、みな若い子向きにカラフルである。
若い人々にはさまって歩いていると、
みな背が高いので、こちらは地の底へのめりこむようだ。
ただし、若い子に混じる時は、よく心せねば。
彼らは目あれど見えず、耳あれど聞こえず、
悪意はないだろうけれど、あとさき見ずにどんどん歩く。
・・・と思う間もなく、
私は後ろからど~んと突き飛ばされ、転倒しそうになった。
私より先に山永さんが悲鳴をあげる。
「すみません」
若い男の子が助けてくれる。
女の子が転がってゆく傘を取ってきてくれた。
雨に濡れた道で転んだりして、
寝たきり老人になる可能性もある。
私も悪い。
八十女が雑踏の中を歩く時は、よほど注意を払わないと、
姥商売は張っていけない。
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・旅館「卯木屋」は、絵に描いたような京風の宿である。
年輩の女将さん、女中さんたちの風情もいい。
料理も申し分ない。これこそ大人の宿というもの。
「歌子さん、明日は東林院の沙羅双樹を見に行きましょうよ。
妙心寺の塔頭、もう咲いているでしょう」
私も賛成した。
二人共、寝つきのいい方なので、ぐっすり眠りこんだが、
話し声で目がさめた。まだ深夜の二時である。
山永さんは、
「今ごろ戻ってきた泊り客がいるらしいわ」
「だって、ここはホテルやないんですもの、非常識やないの」
女将さんは玄関の方で、
「こない真夜中に、戸叩かはるやなんて、
いったい何時や思うてはりますのえっ。
もう疾うに閉めておすえっ!」
「門限あるんなら、そう言うてくれたら、いいじゃないっ!」
若い女の子の声。
「とにかく、ウチへ真夜中に帰って来はるようなお客は、
創業以来、二百三十年、今までおいやさしまへんのどっせ」
(次回へ)