「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

26、姥芙蓉  ④

2021年11月16日 09時13分19秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「セキグチ、よそで泊まろう。ええよ、こんな勿体ぶったとこ」

「スズキ、外はじゃんじゃん降りの雨やで」

男の子の声。
山永さんはくつくつ笑っているばかり。

私はほおっておけなくて、寝間着のまま玄関へ出ると、
女将さんはセーターとスカート姿だった。

「あらまあ!お目を覚まさせてしまって」

女将さんは狼狽した。

雨にぬれて玄関に立っているカップルは、
白川通りで私にぶつかった男の子と女の子であった。

夕食を済ませて、ちょっと外へ飲みに出るつもりが、
つい午前二時になったという。

「まあまあ、こないな降りやし、
ご迷惑かけたことお詫びして、泊めて頂きなさい」

私は若者に言う。

二人の部屋は隣室。
やがて二人は廊下から「さっきはすみません」
と栗饅頭などさし入れる。

山永さんも起きてしまった。
フトンを二つ折りにして声をひそめ、
「こっちへお入り」と言うと、二人は入ってくる。

昼間のままのTシャツにジーンズ。
女の子は小柄で可愛い。
男の子は大柄で丸顔。のんびりした表情。

「どこ遊びに行ったの?」

「う~ん、と・・・清水。三年坂」

女の子が答える。

彼女は大学三年、男の子は二年。
二人共大阪の子で、京都で有名な旅館に泊まってみようと思い、
アルバイト代を貯めたらしい。

「宿屋に門限あるって、知らなかった」

よほどのカルチャーショック」だったらしい。

「風呂は狭いし、
部屋は変な臭いがするし、
客は爺さん婆さんばっかり。
それでやたら高価(たかい)んやもん、
あほみたい。
なんでこんなに有名なんですか」

山永さんが二人をからかっている。

「あんたたち、三年坂を歩いたの?
あそこ歩くと赤ちゃんが出来るわよ。
あそこは清水の子安観音へ安産祈願に行く道やから」

「もう、出来てます」

山永さんはむせた。

「赤ちゃん、どうすんの?」

「え~っと、それですが、学生結婚、てことになりますね。
学生して、子育てしまくります」

「お母さん、どうおっしゃってるの」

二人の母親同士が父親にも言えず、大ゲンカしているという。
私たちは思わず「ほ~~っ」と大きいため息が出た。

私はこんな子供がコドモを持つなんて大反対である。
されば(やめなはれ!)というはずであった。

ところが私は何思いけん、女の子がキライでなくなり、
「生みなさい!」むははは・・・

冬の蛙(寒ガエル)では人生しょうがないよ。
まずはぱ~っと行こうやないの。

「ええややこ、生みなはれ」


~~~


・お囃子の舟はどんどこ舟という。
太鼓がドンドコひびくから。

中の島を浮かべた大川は、
日中はあんなに暑かったのに日が落ちると風が渡る。

大いかだに満載の人々。
文楽の人たちの乗る舟では、人形の三番叟が舞われる。

絶えず川面に鉦と太鼓が鳴りひびき、
花火が釣瓶落としに打ち上がる。

かがり火に火の粉がはぜ、
その向こうに照明に浮き上がる大阪城。

(お政どん、あんたまでぱ~っといてしもて)

七月は二十五日、
天神さんのお祭りをともに拝むはずだったお政どんは、
七月はじめに脳溢血で逝ってしまった。

「何を着て行きまひょ」などと弾んでいたのに。
私が病気になったら、すぐ飛んで来てくれたのに。

昔、私は、年を取ることは、
昔なじみが次々死んでいくのを見ること、と発見したが、
私より若いお政どんが先に逝こうとは思いも染めなかった。

そうか・・・モヤモヤさんの意地悪い喜びを感じる。

「ぐひゃひゃひゃ、歌子、
お前は京都で子供生ませて悦に入っとったやろが。
生まれる者もおりゃ、死ぬ者も出てくるのじゃわ」

私は拇指と人差し指をすり合わせ、
川面に粉をすりおろす仕草をした。

現実にはお政どんの遺灰は私に托されなかったけれど、
気持ちの上では、大川へ、天神さんの境内へ散骨したい気分であった。

(お政どん、酔芙蓉が咲き始めたのに・・・)

モヤモヤさんは、

「歌子、ちっとは精神的渋皮がむけたじゃろが。ぐひゃひゃひゃ」

笑い声を立てる。






          


(了)

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