「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

20、姥蛍  ④

2021年10月24日 08時35分18秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・原典「須磨」の巻には、
未明、京都を発ち、山崎から船で淀川を下り、
海路、須磨をめざしたとある。

春の日永の頃ではあり、追い風のせいもあって、
午後四時には須磨に着いたという。

今はまして神戸から行くのだから、
ほんのちょっとの間に着いてしまう。

山永夫人は私の隣のシートに坐り、

「ねえ、春川さんのことやけど・・・」

と声を低くする。

「亡くなった春川さんはねえ、
これ、ここだけの話やけど、
離婚しはるつもりやったらしいわ・・・」

「えっ!」

「これ、ご主人はご存じないのよ。
春川さん一人そのつもりで、
着々準備をすすめてはったらしいの。
まさかそんなに先が短いとは思わず・・・」

「どうして。仲がお悪かったの?」

「ご主人は典型的な亭主関白で、
やりたい放題の暴君やったらしいわ。
春川さんはおとなしい人やから、それをず~っと我慢して、
色にも出さず従順に仕えて来はったのね」

「ふ~ん・・・」

そういえば、戦前の船場の若御寮人(わかごりょん)はんだった私も、
その通りだったではないか。

私は舅、姑の支配を、
「ず~っと我慢して色にも出さず従順に仕えて来た」のである。

春川夫人のことを、人ごととは思えない。
昔は、女たちはみな、そんなしつけを受けてきたのだから。

「そやから表面的には平和で仲の良いご夫婦に見えたんやけど・・・
三年前、ご主人が大病で入院しはった時、同じ病院に、
奥さんをそれは大事にやさしく看護しはる男の人がいて、
春川さん、それを見て、あ~~、夫婦というものはああいうものか、
と目がさめたように思うたんですって」

「・・・」

「それから気をつけてまわりを見てみると、
やさしい情愛の夫婦が多かったというのね。
春川さんのところのように、何か言おうとすると、
女にはわからん、黙っとれ、とか、
養うてもろとるもんが、このくらいのことをせんか、
などという男は少ないように見える。
五十年もこんな口うるさい、いばり返った男についてきた、
と思うと、悔しくなって来て、
幸い、ご主人も回復して退院できたので、
離婚の準備をはじめた、というのよ」

「へ~え」

「住むところ、年金や収入、ちゃんと手はずを調えて、
ご主人と子供さんにいっぺんにぶちまけるつもりのところ、
急に入院になったでしょう」

「・・・」

「あたしがお見舞いに行ったときはもう、
意識がなくってね、『死にとうない、これからやのに』
と叫んではったわ」

そうか、死にとうないという春川夫人の臨終の言葉には、
そういう意味があったのか。

(そんな男、早う放って別れればよかったのに、
なんで五十年も我慢したのやら)

何年か前の私ならそう思ったであろうが、
現在の私は春川氏をボロクソに言うことも出来ない。


~~~


・須磨は海水浴客で混雑している。

松林の中にある料亭でゆっくり食事を頂きつつ、
先生は須磨蟄居中の源氏の生活について語られるのであるが、
私は上の空であった。

夫婦の人生というものは、うわべからわからないこと。

心に充たされぬものを持ち続けて五十年を暮らした女の人生。
女の気持ちも知らず「よく私に仕えてくれた」と信じる男。

あれこれ考えると面白くもあり、悲しくもあり、
不可解であるのは、男と女の生活である。

貸切のバスが料亭まで迎えにきてくれる。
私たちはそれに乗って、山間のひなびた温泉へ向かう。

明石入道が山へ入って、あとをくらました、
その奥山に見立てて、今夜は山の湯へ泊ろうという趣向。

播州の奥には鉱泉が多い。

沸かし湯の宿であるが、山を背負い、
田んぼの向こうの農家からひとすじの煙の出ている風景など、
いかにも田舎風でみなを喜ばせた

鮎や山菜の夕食を終え、女性たちは温泉へ入るという。

宿の老いた主人が、
蛍が出ているのを見ませんか、と誘ってくれたので、
私は懐中電灯を手にした主人のあとについて行く。
二、三人の人が追って来た。

春川氏もいた。
私は並んで歩きながら、

「風流な旅でしょう?」

「はあ・・・どうも。勝手が違いましてな。
男は『源氏』だの、よくわからんもんですから」

「奥さまはお好きでしたわ」

「ほう!知らなんだですなあ」

あなたの知らないことは多いんですよ、と私は胸の中でいう。

二、三人の人が川のほとりにたたずみ、

「あ、あ、・・・きれい!」

と感嘆の声をあげる。

水辺の水草にまつわり、白っぽい光が点滅する。
と、また風に吹かれるように闇の中から光が浮かびあがる。

「今年は去年より多いようですなあ」

宿の主人が言う。

「きれいですなあ・・・」

春川氏は呻くように言った・。

「見せてやりたかったですなあ。家内に、これを・・・」

春川氏は泣いていないが、
泣くよりも深い声でいうのであった。

「あれが元気でいたら、
この蛍、二人で見とったかもしれんですなあ」

「きっとそうだったでしょうね」

私は力づけるように言った。

蛍は春川夫人の魂のように、
空に消えたり、また水辺へ舞い下りたりする。

「春川さん、
奥さまの分まで、元気で長生きなさいませよ、
奥さまもきっと、そう思うてはりますわ」

と私は、心から春川氏に言ったのである。






          


(了)

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