「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

12、手習 ⑫

2024年08月09日 08時25分54秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・浮舟はこうして、
ついに出家した

妹尼に願い出たとて、
許してもらえそうになく、
きっと反対したであろうに、
嬉しくも宿願を果たしたことで、
浮舟は初めて生きていた甲斐が、
あったと思った

僧都たちの一行は京に出発し、
山荘は再び静寂を取り戻した

少将の尼や左衛門たちは、

「思いがけぬことになってしまって」

と尽きず恨み言をいっていた

「私どもも、
お姫さまのご良縁を、
どんなに願っていたことか
心細いお住居も、
しばらくの間のこと、
やがてお幸せなご結婚をと、
みな期待しておりましたのに、
こんなお姿になってしまわれて
先の長いこれからを、
どうやってお過ごしになるおつもり?
老いさらばえた年寄りでも、
出家するとなると、
人生が終わりのように思えて、
とても悲しいものですのに」

浮舟にいって聞かせるが、
浮舟自身は、
はじめて心の平安を得て、
嬉しいのであった

(ああ、これで、
浮世の苦労と縁切りになった
良縁の、結婚の、ということから、
無縁になったというのは、
ほんとに気楽)

と思った

翌朝、
さすがに浮舟は人目を避け、
部屋も暗くして籠っていた

人の反対を押し切っての出家なので、
昨日までと違った姿を見られるのは、
恥ずかしく、
髪の裾がばらばらなのを、
人に頼んで整えてもらいたいが、

(頼めばしてくれるだろうけれど、
またもや愚痴をこぼされる・・・)

と気がひけて、
いい出せないでいる

もともと、
思うことを人に言えない性分なのに、
まして親しく話せる相手もいないので、
浮舟は書くしかなかった

すべては終わった・・・

と書いた

自分の身も、
愛する人も亡きものに思い、
一度は捨てた世だった

それをまた再び捨てたのだ

同じようなことを書き散らして、
いるところへ、
中将の手紙が来た

少将の尼たちは浮舟の出家に、
動揺しているので、
言い繕う考えも浮かばず、
中将にそのままを告げた

「何だって!
あの美女が尼になったと?」

中将はがっかりしてしまった

なるほど、
そんな気持ちがあったからこそ、
かたくなに相手にならなかったのか、
と合点した

折り返し手紙をやる

「申し上げようのない驚きです
彼岸へ船出なさったあなたに、
私も遅れまいと気がせかれます」

浮舟はいつになく、
中将の手紙を見た

「心は浮世の岸を離れました
けれど、行く末はどうなりますか」

紙のはしに書きつけた

少将の尼はそれを、
中将に送った

浮舟の手紙を初めて、
手にした中将は、
嬉しくもあるが、
すでに相手は俗界の人ではない

それが悲しかった






          


(次回へ)

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